【「天ぷら」はいつからある?】はじめての「天ぷらおどおど」(基礎知識編)#あつまれ!_おどおど学生。
学生読者の皆さんは天ぷらは好きですか? 天ぷらというのは、実は家庭で揚げるのはけっこう難しいもの。揚げ物が得意という親御さんの元で育った人ならおいしい天ぷらを食べ慣れているかもしれませんが、それはとても幸せなことです。
学生読者の皆さんに一度味わっていただきたいのは、「天ぷら屋」さんの天ぷらです。中には明治時代から続く天ぷら屋もあり、そのようなお店で食べる天ぷらはとてもおいしいものなのです。というわけで、今回は「天ぷら」についてご紹介します。
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日本を代表する料理「天ぷら」とは?
かつては日本を代表する料理といえば「スキヤキ」「すし」「天ぷら」といわれました。現在では、日本で魔改造された「ラーメン」「カレー」なども日本のグルメとなっていますが、それでも天ぷらのおいしさは特筆すべきものがあります。
現在でも日本人に愛されている「すし」「天ぷら」「そば」「うなぎ」は、全て江戸時代に考案されて一般的になったメニューです。
「天ぷら」という名前の由来は?
「天ぷら」という名前になった理由については諸説あります。有名なのは、ポルトガル語で調理を意味する「tempero」(テンペロ)に由来する説。また、スペイン語の「tempora」(テンポラ)がキリスト教の金曜日の祭りのことで、この日には鳥獣肉ではなく魚肉を食べることから、その食事に出る魚料理の名が「てんぷら」に転じたという説があります。
また、一般にはあまり知られていないのですが、山東京山が自分の兄・山東京伝が「天麩羅」と名付けたという説を『蜘蛛の糸巻き』(1846年)の「天ぷらのはじまり」で書いています。ただ、山東京伝が名付けたという時期よりも以前にすでに「天ぷら」という言葉が使われているので、この説は成立が難しいとされています。
「天ぷら」はいつからある?
読者の皆さんもご存じのことでしょうが、江戸幕府を開いた徳川家康がタイの天ぷらにあたって死んだ、という話があります。もし本当にそうなら、徳川家康が死んだ1616年ごろにはすでに天ぷらはあったことになります。
史料によると「タイの切り身をカヤの油で揚げて、その上にニラ(あるいはヒル)をすりかけたもの」を食べて、腹痛を起こした――ことは確認できます。
ただし、この油で揚げたものはいわゆる「素揚げ」であって、現在の天ぷらのように「衣」を付けたものであったとは確認できないのです。
飯野亮一先生の著書『すし 天ぷら 蕎麦 うなぎ 江戸四大名物食の誕生』によれば、天ぷらの名称が初めて登場するのは、京都の医師奥村久正の『料理食道記』(1669年)のことで、「てんふら 小鳥たたきて かまくらゑび くるみ くずたまり」とあります。
レシピが登場するのは18世紀の中ごろです。同著によれば、『黒白精味集』(1746年)には「てんぷら 鯛をおろし、切目(切身)にして、暫く塩をあて、洗いて、うんどん(うどん)の粉を玉子にてねり、右の鯛を入れくるみ、油上げにして、汁、だし・醤油にて塩梅して出す。鯛をうんどんの粉ばかりにくるみ、油上にもする也」と書いてあります。
この場合は衣も付いていますし、天つゆの作り方も入っています。
天ぷらの屋台が大繁盛!
そもそも「すし」や「そば」もそうですが、「天ぷら」も屋台で販売されるファストフードとして大当たりしました。
上記で名付け親としての説があるとご紹介した山東京伝の『江戸春一夜千両』には、サザエの天ぷらを買い食いしてその味が忘れられなくなる丁稚が登場します。
値段は1串四文だったようです。安いし手軽につまめるスナック感覚の食べ物となり、江戸時代の文化年間にはあちこちに天ぷらの屋台が出ていました。
江戸時代の人は淡白な味のものばかりを食べていたので、油のこってり感がある天ぷらは特別な食べ物でした。そのため、天ぷらには大根おろしがサービスで付くことになります。こってりになった口を大根おろしでさっぱりさせるわけです。天つゆに大根おろしを添えるという習慣は今に続いていますが、これは江戸時代に由来するのです。
ちなみに屋台の天ぷらはテイクアウトもありました。揚げたての天ぷらを買って帰り、酒のさかなにしたりおかずにしたりしたのです。想像するだけでもうまそうですね。
高級天ぷらが登場する!
屋台のファストフードとして大人気を博した天ぷらですが、江戸時代も19世紀に入ると「高級天ぷら」が登場します。差別化です。当時の高級食材、初鰹、鶏卵、芹鴨を天ぷらにして食べさせる「吉兵衛の天麩羅」というお店が話題になりました。
面白いのは、この吉兵衛さんの店の隣にはそばの屋台があったこと。そばを買って、そばの上に吉兵衛さんの天ぷらをトッピングという食べ方が流行しました。そう、天ぷらそばです!
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江戸時代の「天だね」とは?
江戸時代の食についてよく知ることができる『守貞謾稿』には、「江戸の天麩羅は、あなご・芝ゑび・こはだ・貝の柱・するめ。右の類、惣じて魚類に饂飩粉をゆるくときて、ころもとなし、しかる后に油揚げにしたるを云う」と書いてあります。
スルメは、あの干したものではなくてスルメイカです。また天だねとしては、他にもギンポ、ハゼ、コチ、アナゴなどがありました。天だねを見ると現在と変わりはなく、当時から天ぷらはかなりおいしかったものと思われます。
「天ぷら専門店」が登場!
江戸時代には天ぷら専門店というのはなく、あくまでも屋台で販売されるものでした。ところが、明治時代になって天ぷら専門店が登場します。明治時代には天ぷらの名店といわれる店が当時のガイドブックに掲載されるようになりました。そして、お客さんの目の前で天ぷらを揚げて食べさせる「お座敷天ぷら」が登場。これが現在の「高級天ぷら店」につながるのです。
⇒参照・引用元:『すし 天ぷら 蕎麦 うなぎ 江戸四大名物食の誕生』著:飯野亮一,ちくま学芸文庫,2016年3月10日 第一冊発行
解決!! 「天ぷら」おどおど(基礎知識編)
今回は、日本を代表する料理である「天ぷら」の基礎知識についてご紹介してみました。次回は、すでに100年以上も営業している老舗「天ぷら屋」さんのメニューについて、また天ぷらの楽しみ方についてもご紹介します。ぜひ次回もチェック!してみてください。
文:高橋モータース@dcp
編集:学生の窓口編集部