体験農園から就農支援までカオスに農業に携わる。「えと菜園」代表・小島希世子さんが語る、農業の魅力
神奈川県藤沢市で野菜農園を営みながら、ネット通販や体験農園、就農プログラムなど幅広い事業に携わる小島さん。新しい農業ビジネスに挑戦し続ける小島さんに、自身のキャリアについて学生時代から振り返っていただきました。
プロフィール
PROFILE

小島希世子さん(おじま・きよこ)
1978年生まれ。熊本県出身。幼い頃から農家を志し、慶應義塾大学卒業後、産地直送の会社に勤務。2009年に株式会社えと菜園を設立し、その後体験農園コトモファーム、NPO法人農スクールを創立。 現在は、神奈川県藤沢市で野菜農園を営みながら、農作業を活用した企業の新入社員研修のプログラムの構築、自治体等での就労支援の現場でのプログラムの構築、大学の非常勤講師も務める。
#1.「餓死をなくしたい」と農家になることを決意
#2.環境情報学部に進むも、持ち前の“知りたい病”で文学部に編入
#3.ネット通販や貸し農園など新たな農業ビジネスに挑戦
#4.生活困窮者と農家を救う「就農支援プログラム」
#5.小島さんが語る、農業の魅力
「餓死をなくしたい」と農家になることを決意
幼い頃から農家を志していた小島さんですが、実家が農業を営んでいたわけではありません。
「私の両親は教師でしたが、近所の友達には農家が多かったんです。牛を飼育していたり庭にトラクターがあったり、米の収穫時期には積んである籾殻に飛び込んで遊んでいましたね」。
その頃から「農家って楽しそう」と興味を持ったという小島さん。本格的に農家になろうと決意したのは、あるテレビ番組がきっかけでした。
「たまたま観たドキュメンタリー番組で、食料がなくて死んでいく子供たちがいる現状を知ったんです。私が将来、食糧難に苦しむ国にいって、たくさんの農作物を作れば、世界から餓死をなくせるんじゃないかと考えました」。
農家になるためには体を鍛えなければならないと思った小島さんは、小学校4年生で剣道を始めました。その後中学・高校では柔道部に所属。部活のない日は空手道場にも通っていたそうです。
「最初は体作りのために始めた柔道ですが、その魅力にハマってしまいました。テスト前に部活が休みになると柔道の名門校の先生に頼んで練習させてもらっていたくらい。高校時代はあまり勉強していなかったですね」。
環境情報学部に進むも、持ち前の“知りたい病”で文学部に編入
小島さんは、バイオテクノロジーで餓死をなくす取り組みがしたいと考え、研究の最高峰である京都大学農学部を受験しますが、残念ながら不合格。浪人して再び合格を目指すことにしました。
「浪人時代は机に張り付いて勉強していましたね。理系の科目は得意だったのですが英語が苦手で……まる一年英語しか勉強していなかったといえるくらい勉強しました。だけど最後の最後で、英語の先生に呼ばれて、『農学部に執着しなくても国際教育や食料問題に取り組める学部があるよ』と、慶應義塾大学の環境情報学部の数学受験を勧められたんです。先生から見ても英語がダメだったのかと(苦笑)」。
その後小島さんは、慶應義塾大学の環境情報学部に進学。しかし、想像していた学部とは違っていたといいます。
「環境情報学部は、主にコンピュータや語学を学ぶ学部だったんですよ。あとは宗教系や心理系、経済系など、広く浅く学べて興味があれば深掘りできるという学部でした。」。 最初は戸惑ったものの、海外の文化や宗教心理学を学ぶうちにもう少し勉強してみたいという気持ちが湧いてきたそうです。
「私自身無宗教なので、宗教によって人の行動や犯罪率まで変わってしまうなんて想像できなかったんですよね。純粋な知的好奇心でもっと深掘りしたいと思うようになり、3年次学士編入で文学部に編入しました」。
自身を“知りたい病”と呼ぶほど、小島さんの好奇心は強め。大学時代には、居酒屋、コンビニ、塾の講師やアパレルまで数多くのアルバイトを経験しました。
「『郷に入っては郷に従え』というように、職場ごとに学ぶことも違うし、文化も違います。その職場ごとにやって良いこと・いけないことをなるべく早く察知できるように、よく観察していました。この頃身につけた能力は、農家さんたちとのやりとりにも活かされています」。
ネット通販や貸し農園など新たな農業ビジネスに挑戦
いずれ農家として独立すると決めていた小島さん。大学卒業後は、農業ビジネスのノウハウを学ぶために、学生時代からアルバイトをしていた農作物の卸業の会社に就職しました。
「会社は全国の提携農家が作った作物を、食品メーカーに流通させている会社です。私は受発注や経理を担当していました。入社時から、会社には『起業をしたい』と伝えていたのですが、それでも採用してくれた社長には感謝しかありません」。
その後、更なる経験を積むために生産者の出資によって設立されている会社に転職。「商品の企画やプロモーションなどの仕事に携わったため、色んな農園を訪問する機会がありました。目先の利益だけでなく、次世代のために組織が行動しているような会社の文化があって、仕事の意義を実感しながら仕事ができました。」
2009年に、株式会社えと菜園を設立しました。
「最初は、農家直送のネット通販から始めたのですが、立ち上げた当初、野菜を買ってくれていたのは同級生や先輩、後輩ばかりでした。彼らの忌憚ないダメ出しを受けてサービスをアップデートしていった結果、徐々に知り合い以外のお客さんが買ってくれるようになったんです。ただ、ネット通販をやっていて感じたのは、お客さんと農家の距離は近くなっても、お客さん自身が農作物の育っていく様子を見る機会がないということでした。生産者と消費者をきっちり分けるのではなく、両者が入り交わってもいいんじゃないかと思ったんですよね。消費者が作った作物を生産者が食べるようなことがあってもいいのではと」。
そこで小島さんは、農業が体験できる貸し農園をスタートすることにしました。
「まず貸し農園の前身として『チーム畑』という家庭菜園塾を始め、その後、体験農園のコトモファームをオープンさせました。最初の頃の会員は、前職や前々職の社長やスタッフが紹介してくださった方々に始まり、1、2年で徐々に軌道に乗っていきました」。
さらに新型コロナウイルスの流行を機に、子供連れのお客さんが1.7倍ほど増えたといいます。
「コロナ禍で子供を遊ばせる場所を求めて、家族の利用がすごく増えましたね。ネットや口コミで広まっていき、お客さんがお客さんを連れてきてくれるようになりました。農園では年間20種類ほどの作物の種まきから収穫までを体験することができます」。
現在コトモファームを利用しているのは、約250家族。常時600人くらいが出入りしているそうです。コトモファームで子供たちが自然を体験することで、将来環境問題を考えるきっかけになればうれしいと小島さんは語ります。
生活困窮者と農家を救う「就農支援プログラム」
小島さんが幼い頃から抱いていた「農業で餓死をなくしたい」という思いは、新たな取り組みにつながっていきました。それがホームレスや生活保護受給者を対象とする就農支援プログラムです。
「熊本から神奈川に出てきたとき街中のホームレスの方を目にして、日本でも食料に困っている人がたくさんいることを改めて実感しました。その人たちが就農すれば餓死することなく生き生きと生活ができますし、農家の人手不足も解消されるんじゃないかと思ったんです」。
就農支援プログラムは、「横浜ビジネスグランプリ2011ソーシャル部門 最優秀賞」を受賞。その後NPO農スクールを立ち上げ、現在ではホームレスをはじめ、働きたくても働けない長期失業者、引きこもりの人の就農支援も行っています。
「就農支援プログラムでは、農業スキルを学ぶとともに農家へのインターンシップなども行います。このプログラムで実際に就農をしていく方々は、決して受け身ではなく、自分を変えて、農家のためになりたいと考えているんですよ。そういう気持ちを伸ばしていくことを大切にしています」。
小島さんが語る、農業の魅力
起業してから十数年。周りのニーズに答えることと、自分がやりたいことが重なる部分を、一つ一つ事業にしていくうちにどんどんビジネスの幅は広がり、本人曰くカオスチックになっているとのこと。それでも「まだまだやりたいことがたくさんある」と小島さんはいいます。
そんな彼女が農業に感じている魅力を伺いました。
「観念的な話になりますが、種と土があれば万一の場合でも自分と仲間が食べるものは作れるんですよね。野菜作りができるということは、自分の生命線を自分で握っている感じ。それは自分の自信にもつながっていくと思います」。
また小島さんは、農業は自由度が高い仕事だといいます。
「決められた通りにしないと農家を名乗ってはいけないというルールもありませんし、自分の考えや思いを事業体として表現できるのが農業だと思います。自己責任は伴いますが、自由度が高いのが魅力。さまざまなものがごちゃ混ぜになったカオスな自然界と、整理された人間界との間にあるような仕事なので、価値観を揺るがす体験や発見と日々出逢えるはずです」。
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取材・文/安藤茉耶
編集:学生の窓口編集部
提供:農業の魅力発信コンソーシアム
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