プロ野球選手からイチゴ農家へ。元中日ドラゴンズ・三ツ間卓也さんが語る、セカンドキャリアとしての農業の魅力
中日ドラゴンズの投手として活躍したのち、イチゴ農家というこれまでとは異なるセカンドキャリアを歩み始めた三ツ間さん。来春に自身の農園オープンを控えた今、三ツ間さん自身のキャリアについて学生時代から振り返っていただきました。
プロフィール
PROFILE
三ツ間卓也(みつまたくや)
1992年生まれ、群馬県出身。幼い頃からプロ野球選手を志し、地元の健大高崎高校から高千穂大学に進学。卒業後はプロ野球の独立リーグ・BCリーグに入団し、2015年のNPB育成ドラフト会議にて中日ドラゴンズから育成3巡目指名を受け、入団。2017年には開幕一軍入りを果たした。昨秋、戦力外通告を受け、その後現役引退。セカンドキャリアとしてイチゴ農家を目指し、現在は「かながわ農業アカデミー」に通いながら、神奈川県内でイチゴ農園「三ツ間農園」を開くため、準備に忙しい日々をおくる。
#1.高校3年間は人生で一番挫折を味わった時期
#2.内定式に出るも、プロの道を諦めきれずに
#3. すべてを野球に捧げて、プロ野球選手の道へ
#4.コロナ禍で始めた家庭菜園からイチゴ農家に転向
#5.ファンが野球観戦前に遊びに来られる農園にしたい
#6.三ツ間さんが語る、農業の魅力
高校3年間は人生で一番挫折を味わった時期
元・野球選手という華々しいキャリアを持つ三ツ間さんですが、プロになるまでには多くの挫折を経験したといいます。最初に挫折を味わったのは、高校時代のことでした。
「高校では野球しかやっておらず、将来プロ野球選手になりたいという気持ちはずっとありました。ただ、現実は一度も大会に出ることがなく、練習のみの補欠選手で終わってしまった。悲しい高校球児だったんですよ。甲子園どころか地方大会に出場したこともなく、大会ではずっとスタンドで応援していましたね。普通、高校時代って人生の中でも楽しい瞬間だと思うのですが、僕にとっては本当に辛い3年間でした」。
高校卒業後、そのままプロ野球選手になるという目標を持っていた三ツ間さんにとって、初めて夢が打ち砕かれる瞬間だったそうです。
「気持ちが折れそうになり、高校卒業後は野球を辞めて専門学校に進もうと思っていた時期もありました。でも、その頃たまたま観ていたテレビ番組である出会いがあったんです。高校時代ずっと補欠選手だった浅尾拓也さん(元・中日ドラゴンズ)が、その後プロ野球選手になったというドキュメンタリー番組でした。影響を受けやすい年頃だったこともあり、僕もまだプロになれるかもしれないと思いなおし、大学で野球を続けることにしました」。
野球を続ける決意はしたものの、三ツ間さんは、高校三年間で味わった挫折によって自信を失っていました。
「大学でもまた試合に出られず終わってしまったらどうしようという、不安の方が強かったですね。強豪大学からスポーツ推薦の特待生で来ないかというお話もいただいたのですが、まず自分が試合に出られる大学に行きたいと考え、AO入試で東京の高千穂大学に進学しました」。
内定式に出るも、プロの道を諦めきれずに……
大学進学後は、三ツ間さんの思惑通り一年生から試合に出場し、投手として活躍。アルバイトで一人暮らしの生活費を稼ぎながら、野球に明け暮れる日々を過ごしました。
「授業料全額無料のスポーツ推薦を断って東京の大学に進んだので、仕送りはもらわないと決めていました。週4、5にちはアルバイトして生活費を稼いでいましたね。ラーメン店の『一蘭』とスーパー『サミット』を掛け持ちして、月15〜18万円くらいは稼いでいたと思います」。
忙しい毎日の中でも、学業には力を注いだそうです。
「経営学部に進んだのですが、入ったゼミがすごく良かったんですよ。ゼミの先生がOBに話を聞く機会をたくさん作ってくれる方で、就活や社会に出た後のリアルな体験談を知ることができました。経営や雇用など、会社の成り立ちを教えてもらいましたね。当時はボヤッとしか理解できていなかったのですが、将来に役立つに違いないと。どんなに練習やアルバイトが忙しくても、ゼミの授業はサボらず全部出席していました」。
プロ野球選手を目指しながらも、充実した大学生活を過ごした三ツ間さん。しかし、プロへの道は、想像を超えて険しいものだったようです。
「大学4年生になると、『この球団が、あなたに興味を持っていますよ』という書類が届くんですよ。でも、僕の元には一枚も届かなかった。一球団も僕に興味がないという現実を突きつけられて、とうとう野球を諦めなければならない時期が来たんだなと。実は 一度はプロの道を諦めて、就職活動をして内定もいただいていたんです」。
不動産会社に内定をもらい、内定式にも出席。野球をすっぱり辞めて本気で入社するつもりだったものの、内に秘めた情熱の炎はまだ燃え続けていたそうです。
「野球には、独立リーグというプロを目指す選手が所属するリーグがあるのですが、最後の最後に、そこから声がかかったんです。『もう一年本気で野球をやってみないか』という言葉に心を打たれてしまいました。それで心苦しくもありながら内定を辞退し、独立リーグに進むことにしたのです」。
すべてを野球に捧げて、プロ野球選手の道へ
三ツ間さんは、「一年でプロになれなければ、野球は諦めてもう一度就活をする」と決意して、独立リーグに入団。当時の給料は手取り約6万円。自分を追い詰めるためにあえてオンボロアパートに住み、 貯金を切り崩しながら生活をしていたそうです。
「肉体改造のためには食事やトレーニングも重要。夜9時以降にスーパーに行き、割引の弁当を2、3個買って食べまくり、少ない給料からトレーニングのためのジムの費用も捻出していました。一年で体重を20kgも増やしたんですよ。切り詰めるところは切り詰めて生活していました。当時はジャージ一式しか服を持ってなかったぐらいです(笑)。すべてを野球に捧げていました」。
そんな努力の甲斐あって、2015年のNPB育成ドラフト会議で中日ドラゴンズから育成3巡目の指名を受けて、入団。プロ野球選手になるという夢を叶えることができました。
「僕の場合、育成選手という通常とは違う入団の仕方をしたので、プロになってからもまだ満足はできなかった。僕はとにかく負けず嫌いが凄すぎるんですよね。プロ野球選手は普通、背番号が二桁なのですが、育成選手は三桁。僕の背番号は206番でした。背番号が三桁の選手は一軍の試合に出られる可能性がゼロなんです。一軍に上がるためにはまず背番号二桁にならないといけない。野球選手ってたくさんお金をもらっているイメージがありますが、初年度の年俸は180万円でした。周りの選手は契約金1億円をもらって、いい車やいい服、いいものを食べている。でも僕は月12、3万円だったので、外食することもできず、ずっと寮にいましたね。服も相変わらずジャージで(笑)」。
三ツ間さんは当時、悔しくて仕方なかったといいます。
「ドラフト上位の選手に技術量で劣っている部分を埋め合わせするために、栄養学や解剖学などを勉強して、どうにか差を縮めようとしました。一年かけて背番号を二桁に変えることができ、翌年は開幕一軍入りを果たすことができたんです。それでやっと満足できましたね」。
2年目の2017年には30試合以上登板し、中継ぎ投手としてチームに貢献。しかし昨年10月、戦力外通告を受けて現役を退くことを決めました。
コロナ禍で始めた家庭菜園からイチゴ農家に転向
引退後に三ツ間さんが次のキャリアとして選んだのは、イチゴ農家という仕事。これまでとはまったく違う農家に転向するきっかけは、現役時代にあったそうです。
「新型コロナで緊急事態宣言が出たとき、プロ野球の試合も延期になり、外出自粛で練習場にすら行けない状況になってしまいました。しかし体は鈍らせるわけにはいかないので、自宅のベランダを掃除して練習スペースにしたんですよ。子供も一歳半で外で遊ばせたかったのですが、それもなかなか難しいので、ベランダに花や野菜を植えて家庭菜園も作ったんです。その中にイチゴがありました。YouTubeの動画を見ながら独学でイチゴの育て方を勉強したらすごく上手く出来て、子供が『パパのイチゴ美味しい』と喜んでくれたんですよ。 自分の作ったものを美味しいと言ってくれたことに、ウルっとくるくらい感動してしまったんですよね」。
それからイチゴばかり作るようになったという三ツ間さん。野球選手をし、休日には家庭菜園で美味しいイチゴを作るために試行錯誤を繰り返す最中に、所属チームから戦力外通知を受けたそうです。
「現役を引退したあとは、家族のために安定した職に就こうと考えていたのですが、妻から『あなたが一番好きなのは家庭菜園じゃないの?』と言われたんですよ。野球の次に好きなことはイチゴ栽培なのだから、それをしたらいいと。一緒に頑張ろうよと、妻に背中を押してもらい、イチゴ農家を目指すことにしました」。
ファンが野球観戦前に遊びに来られる農園にしたい
どこでイチゴ農園を開きたいかを考えたとき、頭に浮かんだのは野球ファンのことだったといいます。
「ファンの声援や拍手ってすごく力をもらえるんですよね。僕がイチゴ農園をやるなら、野球ファンにたくさん来てもらいたい。それで横浜DeNAベイスターズや読売ジャイアンツ、ヤクルトスワローズという3球団の本拠地にアクセスのいい横浜に農園を開こうと思いました。野球の試合が始まる前に僕のイチゴ農園に来てもらい、イチゴ狩りを楽しんでから野球観戦を楽しみに行ける。そんなアプローチをしたいと考えたんです」。
決断したら即行動。すぐさま神奈川県海老名市にある「かながわ農業アカデミー」に入学した三ツ間さん。農業の基礎を学びながら、農園を開くための準備も始めたそうです。
「学校といっても基礎を学ぶ場所で、イチゴ作りのノウハウを教えてくれるわけではないんですよ。技術はイチゴ農家に研修に行って教えてもらわなければならない。普通、研修先は人づてに頼んで紹介してもらうのですが、僕は横浜に所縁のない余所者。断られることも多く、研修先を探すのには大変でしたね。なんとか僕の理想に近いイチゴ栽培をする人に出会え、研修に行くことができたんです」。
週2日は研修先でイチゴ作りの技術を磨き、学校に帰ったあとも学んだ知識を復習する日々。三ツ間さんは学校入学と同時に、農園のための土地探しも始めました。
「土地勘のない場所なので苦労するとは思ったのですが、土地探しは想像以上に大変でした。農園を開く土地の条件は、横浜スタジアムに電車で乗り換えなしでいけること。遠方の人が遠征で来るときに迷わないことが重要です。この条件は、経営戦略の上でとても大事な要素だったので、妥協したくはなかったんです。休日には車で横浜周辺を走り、空いている農地を見つけたら近隣の家に聞き込みをして、地権者を探すということを繰り返していました」。
運よく地権者が見つかっても、門前払いを食うことも多かったそうです。しかし、三ツ間さんは、たとえ冷たく断られても諦めることはしませんでした。「とにかく負けず嫌いなので、断られた翌日にまた訪ねてプレゼンしていましたね」と話します。そうすることで、徐々に僕の本気度が地権者の方にも伝わっていくのを実感しています。
「今は研修先でイチゴ作りと農園経営のノウハウを実地訓練しながら来春の三ツ間農園オープンに向けて準備を進めています」。
三ツ間さんが語る、農業の魅力
プロ野球選手からイチゴ農家への道を歩み始めた三ツ間さん。
最後に異なるキャリアを築いてきた三ツ間さんだからこそ感じる、農業の魅力を教えていただきました。
「やっぱり、自分の作ったものを食べて喜んでくれる姿を見ることが一番の喜びですね。植物は手間をかけて育てれば、成長という形で返してくれる。作物も努力した分、成果が返ってくるので、共通している部分に惹かれたのだと思いますね。わかりやすい努力の対価としてはお金もありますが、ある程度あればもう必要ないという人もいます。だけど“味”というのは、いろんな方を幸せにすることができます。美味しいという気持ちは万人に共通しているものなので、それを僕のイチゴを通して多くの人に届けていきたいです」。
「農園をオープンしてから1〜2年は経営を安定させることが第一の目標」と前置きしつつ、三ツ間さんは今後の夢についても語ります。
「経営が安定したら、農園のイチゴで作ったアイスやシェイクを野球場で販売するなど、6次産業にも力を入れていこうと思っています。横浜には、ビニールハウスが立つくらいの小さな空き農地がたくさんあります。それらを活用して、イチゴ狩りの店舗展開やフランチャイズ化など、新たなビジネスモデルにも挑戦していきたいですね」。
取材・文/安藤茉耶
編集:学生の窓口編集部
提供:農業の魅力発信コンソーシアム
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