【絶景!感動!「黒部ダム」を見に行こう!】 はじめての「『黒部ダム』おどおど」#あつまれ!_おどおど学生。
大学生になると、時間とお金がこれまでより自由になるでしょう。大学生読者の皆さんにはできるだけ多くの地域に出掛け、見聞を広めていただきたいものです。
本シリーズ記事では、大学生読者の皆さんに一度は訪問してほしい全国各地の「必見の観光スポット」をご紹介しています。今回は「黒部ダム」です。
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「黒部ダム」とは?
黒部ダムは、長野県と富山県との県境近く、北アルプスの立山連峰と後立山連峰に挟まれた深い黒部渓谷にあります(所在地は富山県側の立山町)。ダムの堤の長さは492メートル、高さは186メートル、2億トンもの水を貯められる空前絶後の巨大ダムです。
実際に見るとその巨大さに打たれます。
3,000メートル級の山々に囲まれた急峻な渓谷、しかも標高1,500メートルもの場所にダムを造ろうというのが無茶苦茶です。道もなかったのです。非常な難工事が予想されちゅうちょされました。この地にダムを造るという計画は大正時代からあったのですが、かかる資金の量と工事の難しさもあって、とても無理だと判断されていたのです。
しかし、第二次世界大戦後、昭和30年代の高度成長期を迎えて、日本は深刻な電力不足に陥っていました。これを解消するため、『関西電力』が黒部ダムの建設に乗り出します。
当時の『関西電力』太田垣士郎社長が万難を排してダム建設を行うことを決断したのです。太田垣社長は「工期7年、遅れれば関西の電力は破綻する」と語り、背水の陣の覚悟で工事の指揮を執りました。
1956年5月に政府が計画を承認。6月には厚生大臣が建設を許可して7月には着工します。
重機も入れないような場所、断崖絶壁での難工事を乗り越え、完成したのは1963年のこと。第1次送電は1961年に開始していますが、完工まで7年の歳月を擁しました。
総工費は最終的には『関西電力』の資本金の4倍に達したといわれています。また世紀の難工事の中で171人の尊い犠牲者を出しましたが、黒部ダムが竣工したおかげで、大阪府の電力需要の50%に当たる25万kWをまかなうことができるようになりました(当時)。
↑黒部ダムには難工事に挑んだ人々への慰霊碑が掲げられています。
黒部ダムに貯められた水は導水トンネルを通り、約10キロメートル離れた黒部川第四発電所に送られて発電します(545.5メートルの落差)。「黒部川第四発電所」という名称からとって、黒部ダムは「黒四(くろよん)ダム」とも呼ばれています。