「共感できること」だけがすべてじゃない。大森立嗣監督が『タロウのバカ』で伝えたいこと
『まほろ駅前』シリーズや『セトウツミ』などを手がけた大森立嗣監督の最新作『タロウのバカ』が9月6日に公開されます。マイナビ学生の窓口では本作の独占試写会を実施。そして参加者の大学生から映画の感想と大森監督への質問を募りました。
ふだんはスポットライトが当たらない、現代社会の闇を切り取ったような本作を観て、大学生は何を思ったのか、また大森監督はそれにどう答えるのでしょうか?
主人公の少年タロウ(YOSHI)には名前がない。戸籍すらなく、一度も学校に通ったことがない。そんな”何者でもない”タロウには、エージ(菅田将暉)、スギオ(仲野太賀)という高校生の仲間がいる。エージ、スギオはそれぞれやるせない悩みを抱えているが、なぜかタロウとつるんでいるときは心を解き放たれる。
大きな川が流れ、頭上を高速道路が走り、空虚なほどだだっ広い町を、3人はあてどなく走り回り、その奔放な日々に自由を感じている。しかし、偶然にも一丁の拳銃を手に入れたことをきっかけに、彼らはそれまで目を背けていた過酷な現実に向き合うこととなる…。
今回、メインキャラクターの3人を演じたのは、仲野太賀さん、菅田将暉さん、そして演技未経験のYOSHIさんでした。演技未経験のYOSHIさんを主役に抜擢した理由、そして3人の共演による化学反応のようなものはありましたか?
映画を作ることはある種の社会的行動で、作るときには効率も求められるんだけど、『タロウのバカ』では社会に対するアンチテーゼを描こうとしているのに、自分自身が社会的なシステムの中にいていいのかなという思いがあって。
だから主人公は、演技経験があってもなくてもいいから社会に毒されていない子を選ぼうと思った。
いっぱい面接とか公募もしたけど、15歳にもなるとみんな社会化されていて、なかなかぴったりな俳優が見つからなくて……面接のときに「よろしくお願いします!」とかも言えなくてよかったんだけど。
結局YOSHIくんは「14歳 有名人」でGoogleの画像検索をしてたときに出てきて、顔にピンときて選んだんだよね。
菅田と太賀は俳優としては先輩だけど、撮影では3人は対等。カメラが回ってないところだとYOSHIくんは特に菅田くんに影響を受けていて、菅田くんがいい先輩としてよくやってくれたと思う。
暴力的なシーンなどショッキングな場面も多く描かれていましたが、映画に表現の限界はあると思いますか?
商業映画はやっちゃいけないことが法律で決まってるんだけど、それ以外になんとなくみんな「これはやっちゃいけないだろう」という雰囲気を作って勝手に遠慮していることがある。それは、本当に危険なことだということを知ったほうがいいよね。
たとえば『タロウのバカ』には障害者の方が登場するけど、それにびっくりする人もいる。でもそれは受け入れる人たちの問題で、障害者の方のなかには映画の現場を経験できて喜んでくれる人もいるんだ。特別なことをしているわけじゃなくて、普通に撮りたいものを撮ろうとしているだけ。
撮影の手法も、無軌道な3人の少年たちを表現するために、ワンカットや手持ちカメラを多用して、出演者には360度どこでも動いていいと伝えてやっていた。同じことを角度変えてやってみて編集でつなげたり、完全に自由に動いてもらってたよ。
映画に登場する破天荒な3人に感情移入や共感ができない人もいると思うのですが、そういった感情を詳細に描けることに衝撃を受けました。経験したことのない感情を描くためにどうしていますか?
感情移入できる映画ばっかり見ていると、感情移入できることがいいことって思ってしまうけど、実はそうとも限らない。映画には「起きていることを目撃する」みたいな見方もある。
たとえそれが自分では理解できないことだったとしても、生きているとわからないことに接することのほうが圧倒的に多い。
大概の人は育ってきた環境がぜんぜん違って、わかり合えないことがいっぱいあるんだよ。わかり合えない人と出会うことのほうが多いのに、わからないものを排除する生き方をしていると何にも出会えなくなっちゃう。
感情移入できる映画を観るのって楽しいしもちろん悪いことではないんだけど、わからないことと向き合うこともすごく大事なこと。
わかり合えないもの出会ったとき、自分がどう思うのか何を感じるのか、そういうときも優しくいられるのかが、大事なことという気がするよね。
この映画では菅田将暉さん演じるエージ、仲野太賀さん演じるスギオ、YOSHIさん演じるタロウの3人がそれぞれ違う結末を迎えますが、どういう意味を込めたのですか?
ぼくたちが普通に生きている社会では、「生きる意味を考えなさい」と教育を受けてきた一方で、社会人になったら効率よく仕事しないといけなかったり、どんどんいろんな規制が増えてきたり……日本は戦争に負けてから経済的な合理性を求めることで幸せになれるんじゃないかっていう考えが根付いてきたけど、本当にそうなのかって思うんだよね。
そんななかで、この映画に登場する、社会とのハザマにいるスギオ、社会から飛び出そうとするけどなかなかできないエージ、学校にも行ってないし名前もないタロウ。そんな3人の物語を描くことで現代の社会に対するある種の警鐘を鳴らしたいと思った。
映画の中でタロウが何度も「好きって何?」とたずねていましたが、大森監督は「好き」とは何だと思いますか? また、このセリフで伝えたかったことは何でしょうか。
「好き」は、ある意味使い古されて汚れた言葉でもあると思っていて。タロウみたいに言葉を知らない子が感じる、ぼくたちが使う言葉とは違う純粋な「好き」という気持ちは素敵だと思うし、そういう風にいつも純粋に物事を見ていたいなって思う。
でもなかなか普段の生活では難しい。ぼくたちは言葉を使い過ぎていて、言葉で全部言えているような気になっているけど、ほんとうにそうなのかな。
タロウを通して改めて考えてほしいなと思います。
映画『タロウのバカ』9月6日(金)よりテアトル新宿ほか全国ロードショー
監督・脚本・編集:大森立嗣
出演:出演:YOSHI、菅田将暉、仲野太賀、奥野瑛太、植田紗々、國村隼
配給:東京テアトル
(c)2019「タロウのバカ」製作委員会
撮影:佐藤友昭
文:学生の窓口編集部いとり