「憧れだけでなく、自分を知ることが大切」湘南乃風が学生に伝えたい、海を越えて感じた後悔 #19才のプレイリスト

編集部:ゆう

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人生はきっかけの連続だ。だからこそ、自分のやりたいことをどう選べばいいのかわからない。今何をするべきなのか迷ってしまうという大学生のために、「音楽」という道を選んだアーティストに直撃し、19才の頃に聴いていた楽曲を元に人生観を語っていただく連載『#19才のプレイリスト』。 

今回は、3年ぶりのシングル『湘南乃「海 その愛」』をリリースすることになった湘南乃風のSHOCK EYEさんとHAN-KUNさんにインタビュー。 彼らの人生を変えた音楽との出会いや、レゲエの聖地ジャマイカでの思い出を振り返り、今、前を向いて歩んでいる学生に伝えたいことを熱く語ってもらいました。

文:於ありさ
  写真:島田香
編集:学生の窓口編集部

『湘南乃「海 その愛」』オリジナルの良さに湘南乃風らしさを加えた1曲

――今回リリースする『湘南乃「海 その愛」』ですが、3年ぶり、そして記念すべき20枚目のシングルとなりました。すでにライブでも披露されていますが、ファンからはどのような反応を頂いてますか? 


SHOCK EYE:まだ2回しか歌ってない上に、ファンの方々がライブのネタバレを気にかけてくれているのもあって、あまり多くの感想を見たわけではないのですが、歌っている感覚としてはすごく良いです。 

HAN-KUN:初披露の会場が厚木だったのもよかったよね。会場全体が温かい気持ちに包まれていて、心地よかったな。 

――そもそも加山雄三さんの名曲「海 その愛」を使用することになったのは、なぜなんでしょうか? 

HAN-KUN:テレビ番組でご一緒したのがきっかけですね。楽屋あいさつに行った時に肩を組んでもらったり、写真を撮ってくださったりした上に、自分たちの楽曲に興味を持ってくださったんです。ステージでご一緒しただけでも嬉しかったのに、こんなに光栄なことはないなと思いました。 そんなやりとりもあって、帰りの車の中でメンバー・スタッフ皆んなで「いつかなにかでご一緒できたら嬉しいね」なんて話していたら、チームのスタッフが話を進めてくれて。 

SHOCK EYE:番組でご一緒させてもらったのが去年だったので、リリースまでトントンと進んでいきました。 

――オリジナル楽曲の良さも残しながら、湘南乃風らしさもしっかりと効いた『湘南乃「海 その愛」』ですが、どんな想いを込めて制作を進めて行ったのでしょうか? 

HAN-KUN:アレンジせずとも大名曲なので、オリジナル楽曲をベースに、自分たちの湘南乃風という船に乗っかって、この時代、大海原に乗り出す、その人生の戦っているさまを描きました。自分の人生観、加山さんへの感謝、親への気持ちなど、それぞれが自分の解釈を歌詞に落とし込んだという感じですね。 

SHOCK EYE:僕は父親が加山さんの大ファンということもあって、幼い頃から車の中で聞いていたことから、海での父親との思い出を思い起こして詞に落とし込みました。 

――完成した楽曲を聴いて、加山さんはどんな反応をされていましたか? 

SHOCK EYE:「ありがたい」ってずっとおっしゃってました。 

HAN-KUN:本当に大きな方ですよね。よくわからない4人組のお願いを聞き入れてくださっただけでなく、「自分の曲を受け継いでくれるなんて、こんなに嬉しいことはないよ」っておっしゃってくださったんです。 

SHOCK EYE:本当に寛大な方なんですよ。僕たちが緊張しないようにフランクに接してくださったりもして…。 加山さんの姿を見て、自分たちが歳を重ねた時にも若い人たちに対して寛大な心を持てるような大人になれたらなと思いました。

人生を変えた音楽との出会い

――おふたりは19歳のころ、どんな毎日を過ごしていて、どんなことに悩んでいたか教えてください。 

HAN-KUN:すでにレゲエをやっていて、レゲエに本気で向き合っていったころかな。正直、プロと言われる人との境目もわからないけど、「これで有名になりたい」「来てくれるお客さんを盛り上げたい」というところに本気で向き合っていました。 それで、レゲエの聖地であるジャマイカに行ったんですよね。それが僕にとって、初めての海外だったんですけど、そうとう衝撃を受けましたね。 

SHOCK EYE:すっごい覚えているのがさ、当時って歌を作って「どうすりゃウケるんだろう」とか「ウケると思ったのに、ウケないのはどうしてだろう」ってずっと悩んでいたよね。 

HAN-KUN:そうだったね。辞める辞めないとかは悩んだことないんだけど、なんで上手くいかないか、上手くいくためには、どうしたら良いかを毎日ひたすら考えていました。たぶん僕だけじゃなくてメンバー各々がそうだったとも思うんですけど。 

――SHOCK EYEさんはどんな19歳を過ごしていましたか?  

SHOCK EYE:僕はHAN-KUNの2個上なので、19歳の頃というと、今のエピソードの2年前なんですけど、ただひたすら自分の部屋に引きこもって何もしていなかった時期でしたね。なぜか部屋にブラックライトを仕込んで、ゴミを捨てに部屋を出るのも嫌だから、部屋にゴミも溜まっていって。 

―今の姿からは想像できないですね。 

SHOCK EYE:ちょうど16歳の頃からヒップホップを始めて、真剣にやっていたんですけど、18歳になった途端に一緒にやっていた仲間が「大学に行く」「就職をする」といなくなってしまって、自分くらいしか残らなかったんですよね。 

そのときに、なぜヒップホップをやりたかったのかと改めて考えて見たら、真剣にやりたかったとかではなくて、ただその人たちとずっと一緒にいたかったから音楽をやっていたんだなってことに気づいてしまったんですよ。 

それで「なんのために音楽をやっていたんだろう」って意味を見失ってしまった。でも、「何かしたいな」って気持ちはあったので、カレーを作ってみたり、バーテンダーの真似事をしながら、模索していたという感じですかね。 

――その悩みをどう打開していったのですか? 

SHOCK EYE:昔の仲間が楽しくレゲエをやっているのを見て「一緒にやりたい」って言ったところ、「歌やる人いないから、歌ならいいよ」と言われてレゲエを始めたんです。 それでその友達に「ジャマイカ行くけど行く?」って言われて、16歳からずっと貯めて買っていたレコードを全部売って、レゲエのレの字もわからないままジャマイカに行ったのがきっかけですかね。 

でも、最初はジャマイカに行ったら、辞めようと思っていました。街自体も怖いし、一緒に行ったクルーは喧嘩するし、バカにされるしで…

でも、最後に見に行ったショーがすごく良かったんですよね。めちゃくちゃ熱かった。その一発を見て「日本に帰ったら本気でレゲエやろう」と思って、レゲエに本気で向け合うようになっていくうちに、今の湘南乃風のメンバーに出会ったんです。

ポジティブすぎるジャマイカでウケたカルチャーショック

――HAN-KUNさんも、ジャマイカでそうとうショックを受けたと言っておりましたが…  

HAN-KUN:僕も初めての海外が初のジャマイカだったので、「まじで失敗した」って思いましたね。良い部分も悪い部分もカルチャーショックの塊をぶつけられるみたいな場所だったので。

 衝撃的なことはたくさんあったのですが、何事においてもすっごいポジティブだなと感じました。突然雨が降った時に傘がないなら、裸足で歩けば良いし、なんなら体も洗っちゃえみたいな。 あと、お金がなくて着るものや食べるものに困っている人たちも、みんな自信を持っているんです。  

SHOCK EYE:自己肯定感が高いよね。 

HAN-KUN:あとは、愛国心がめちゃくちゃ強い。自分の国のことをすごく愛しているのを感じました。僕は当時、海外に憧れを持っていたからこそ、日本のことをちょっと斜めに見ていたんですけど、自分の国に誇りを持つこと、何かをするって大事だな、困った時の原動力の1つになるんだなって思ったんですよね。 

SHOCK EYE:タフって言葉がめちゃくちゃ似合うよね。  

HAN-KUN:そうそう。あと、覚えているのがお金を稼ぐために、違う国に行ったお父さんを思いながら、外で洗濯しているおばちゃんが飛行機に向かって「あれにお父さんが乗っているかもしれない!帰ってくるかもしれない!」と手を振る動きが「signal the plain」って曲になって、ダンスになってるんですよ。 

SHOCK EYE:ただ、これめちゃくちゃいい話だから、スローテンポな曲なのかなと思いきや、めちゃくちゃダンスナンバーなんですよね。 

HAN-KUN:そうそう。そのエピソードを聞いてから曲を聞いた時に「なにそれ!解釈がすごすぎる!」って驚きました。

海外に行きたい学生は自分のことを語れるようになるべき

――当時、聞いていてガツンと来た1曲があれば教えてください。

HAN-KUN:僕はブジュ・バントンというジャマイカのアーティストの、アントールド・ストーリーズですかね。その曲がレゲエとの始まりだったので。

SHOCK EYE:すごいマニアックなんですけど、ジョイライドという曲があるんですよ。それって、同じトラックでいろんなアーティストが歌ってるジャマイカ特有の曲なんですけど。

それが「帰ったらやめよう」と思っていた初ジャマイカの最終日のステージで聞いた曲だったんです。そういう意味では食らいましたね。もうね、本当に当時のジャマイカのスターがどんどん登場して、ばっちばちに会場が盛り上がっていたんですよね。

――海外でのお話が多かったのですが、学生の中には海外に行きたいなと思いつつも、今行けなくて悩んでいる人が多くいます。そういう人たちに伝えたいことがあれば教えてください。

HAN-KUN:ジャマイカに行っても、ニューヨークに行っても感じたことは、いろんな街にいろんな人がいるわけなんだけど、出会った人の多くが愛国心があって、アイデンティティを強く持っていたということです。

それを見て、自分の国に対する誇りを持つことって、世界で生きる、人として生きる上で大切なのかなと思いました。

もちろん海外に行く理由のきっかけは、多くの場合、憧れだとは思うんだけど、やっぱり日本人として、日本のことを知ることが大切なのかなって。僕自身、海外の人から日本のことを聞かれた時に答えられないことって多すぎて「え?日本人なのに?」って驚かれた経験が多々あったんですよ。

これは日本ってだけでなく、住んでいる町についてもそう。なんとなく好きなものだけでなく、誰かが来た時に喜ぶ情報を出せるかどうかって大事だなって思いました。

SHOCK EYE:全く同感ですね。きっと、どうして海外に行きたいのかというところを しっかり持っていかないと、言い方変だけどコンプレックスだけを持って帰ってくることになると思うんです。だから、自分を知ることもしてほしい。

僕も最初ジャマイカに行った時って、目的持たずに行ったんですよね。だから、悔しいが多かった。だからこそ、まずは自分のことを知った上で外側を見ることが大切なのかなと思います。

HAN-KUN:そういえば、英語を勉強している中で、先輩からまずは日本語を覚えろと言われたこともあります。

例えば、前置詞とか、助詞とかを英語で説明されて調べても、日本語で理解していないと「え?前置詞ってなんだっけ?」ってなってしまうじゃないですか。日本語で解析できないことが、英語で解析できるわけがないので、海外に行きたいからこそ日本語と向き合うことも大切なのかなと思いました。

――最後、10代や学生時代を振り返って、これはやっておいた方がいいよということがあれば教えてください。

HAN-KUN:僕は勉強しとけばよかったって思いますね。中卒なこともあって、普通に学校に行っておけば良かったなって思うことがあるので、勉強を頑張ってください。

SHOCK EYE:ありきたりですけど、失敗とか挑戦はしたほうが良いかなと思います。きっと19歳の頃にする挑戦って、別にほとんど失敗するんですよ。だから、そこを気にせずにトライアンドエラーしながら、小さな成功体験をしておくことがいいのかなって。そうすることで、大きな勝負をするときにも生きてきて、ぐっと踏み込めるのかなと思います。

学窓会員限定!HAN-KUNの生歌唱から、SHOCK EYEの「運気アップ」まで、ここでしか見ることのできない動画コメントはこちらから!

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