なぜ鮨職人の道へ? 西麻布の高級鮨店「きたむら」板長兼オーナーの北村淳さんにインタビュー!
みなさん「職人」と聞くとどんなイメージがありますか? 下積みや修業が大変そう、強いこだわりや信念を持ってそうなど、それ相応の覚悟や鍛錬が必要なイメージがありますよね。たくさん存在する職人の中、今回は「鮨職人」の仕事に触れてみたいと思います。港区西麻布に店を構える板長兼オーナーの北村淳さんにお話を伺いました。
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――どんな学生時代を過ごしていましたか?
中学・高校と何をしたいとかは特になく過ごしていました。高校は青森の工業高校の自動車科だったので、卒業すると整備士やセールスマンになる人が多いですが、自分は別にそういう道に進むつもりもなく、ただ入っただけという感じでした。
――飲食を目指したきっかけは?
高校時代の居酒屋でのアルバイト経験です。最初はお金を稼ぐためだけにしていたのですが、働いているうちに料理が好きになり、素敵なお客さんや先輩にも恵まれて、板前を目指すことを決意しました。学校の先生や両親も後押ししてくれて、卒業後に夜行列車に乗って上京しました。
――職人というと修業がつらそうなイメージがありますが……。
朝が早いとか毎日練習があるとか、いろいろと大変なこともありましたが、どんな仕事も大変なのは同じだと思います。自分は頑張ればそのぶん認めてもらえるんだ、というスタンスでいましたね。先輩や同期に勝ちたいという思いも強くあったので、乗り越えられました。ちゃんと目的があるとそこまで行こうと思えますよね。つらいと思えばつらいですが、目標のためにそのときは無我夢中でした。
――修業しているとき、目標にしていたことは何ですか?
まずは一人前になりたい、自分が1から10まで作った料理でお客さんに感動してもらいたい、ということです。他にも修業しながら鮨の食べ歩きもして、鮨でも5千円のところもあれば1万、2万の高級なところもあって、いつかそういう店を持ちたいという思いも持つようになりました。
――修業から独立まではどういう流れでしたか?
親から「最低5年はつらいことがあっても一つの店で続けなさい。一つの場所で頑張れないことで長続きはしない」という言葉をもらい、5年間最初の店で修業を続けました。さらに経験を増やすために、その後何店舗かの門をたたいて修業させてもらいました。その中で出会ったお客さんが出資してくださり、26歳のときに鮨屋を構え、3年半後の30歳で独立しました。
――まだ26歳の人に店を任せるってすごいことですね。出会いが運命的だったのでしょうか?
たまたま実家からリンゴジュースが届いて、お礼も兼ねて届けたんです。他愛もない話から店をやらないかという話になって、すぐにチャンスだと思いました。人生に何回かあるターニングポイントだったと思います。誰にでもそれぞれターニングポイントってあると思うんですが、それをただ見逃すかチャンスにするか見極めることが大事だと思います。
――30歳で独立というのも早いですね。
26歳のときのお店が3か月もすると予約で入れないようになって、自分で経営したいという思いはすぐに芽生えました。独立した後も順調で正直大変だったことはないんです。男ってやっぱり野望が尽きない生き物なんでしょうね。次には店を広げるという目標ができ、32歳で2店舗目をオープンしました。
――目標一直線で、とんとん拍子にいっている感じがしますね。
実は何店舗か修業させてもらっている中で、修業がつらくて一度辞めたこともあります。地元に帰ろうかとも悩みました。引っ越しやポスティングのアルバイトをして過ごしていたのですが、そういう仕事は別に自分じゃなくてもできる仕事なんですよね。自分が特別な人間になるためには自分しかできないものを磨いていくしかないと再確認しました。