鎌倉に旅行するなら絶対行くべきオススメ人気観光スポット14選 2ページ目
◆銭洗い弁天
源頼朝の夢のお告げ「銭洗弁財天宇賀福神社」。クレジットカードでの効果は果たして‥?
「銭洗弁財天」(正式には銭洗弁財天宇賀福神社)は、神奈川県鎌倉市佐助にある神社。境内の奥にある洞窟の清水で硬貨などを洗うと、お金が増えると言われています。
その発端はさまざまなエピソードには事欠かない源頼朝。文治元(1185)年、巳年・巳の月・巳の日に、頼朝の見た夢の中で「西北の仙境に湧き出している水を汲んで神仏を供養すれば、天下が平和になる」とのお告げがあったそうです。
それで、頼朝はお告げにあった泉を探し当て、お告げのとおり、福の神である宇賀弁財天をお祀りします。それが銭洗弁財天のそもそものはじまりでした。後には、やはり、巳年の1257年(正嘉元年)に、北条時頼がこの霊水で銭を洗って一族繁栄を祈願。
本格的に「銭洗い」のご利益が広まっていったのは、実はそこからともいわれます。
お祈りすればお金がザクザクという下心も一途な祈りに昇華してしまうほど、銭洗弁財天がある佐助ヶ谷(さすけがやつ)へ続く小路も、脇を流れる小川や山を臨む景色も美しく、沿道には甘味処や食事処があったりします。
まだかなと思いながら歩くうち、突如、急勾配の坂があり、境内へのトンネルを抜けると、そこは明るく開けた境内。あちこちで清冽な水が流れる音がして、なるほどここが800年前に頼朝の夢に現れたところだったのかと納得する雰囲気です。
神社奥の洞窟には宇賀神と弁財天が祀られ、銭洗い用のざるが用意されています。参拝者はざるに硬貨や紙幣を入れて銭洗水で洗い福徳利益を祈願しましょう。銭洗弁財天でお祀りしている宇賀福神は、蛇の体に人の頭をもつ水の神。
そんなわけで霊験あらたかな巳(み)の日には大勢の参拝者でにぎわいます。
■住所:鎌倉市佐助2-25-16
■交通:JR鎌倉駅から徒歩20分
http://kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=42...
▶銭洗い弁天周辺のグルメをチェック!
◆鶴岡八幡宮
源頼義が京都の「石清水八幡宮」をこの地に移した「鶴岡八幡宮」は「質実剛健」を旨とする「武士道」精神の原点
なんといっても、鎌倉に旅行したらまず、100%行くのがここ。あまりにも有名なこの「鶴岡八幡宮」は、京都の石清水八幡宮を熱心に信仰していた源頼義が、前九年の役で奥州の安部氏を平定した後に、康平6年(1063年)8月、京の「石清水八幡宮」を鎌倉由比ガ浜にお祀りしたのがその起源です。
その後、源氏再興を果たした源頼朝公は、治承4年(1180年)鎌倉に入ると御神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地に移し、建久2年(1191年)には武士の守護神として、また、鎌倉幕府の宗社にふさわしい上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としたのでした。
源頼朝がこの社殿を作った当時には平家はすでに滅亡し、翌年に、源頼朝は征夷大将軍になるなど、頼朝の絶頂期と言ってもいいほどになっていました。鎌倉はこの頃には京都と並んで政治文化の中心的存在となり、頼朝は関東の総鎮守と崇敬されるほどに。
幕府の儀式・行事なども、この「鶴岡八幡宮」で行われました。
それ以降、「鶴岡八幡宮」は武家の精神のよりどころとなり、この神社への信仰を背景に鎌倉で興った「質実剛健」の気風は、「武士道」精神の基調ともなっています。 現在では国際的歴史の都、鎌倉の中心的観光施設として国内外からの多くの観光客を集めています。
■住所:鎌倉市雪ノ下2-1-31
■交通:鎌倉駅東口から徒歩10分
https://www.hachimangu.or.jp/
▶鶴岡八幡宮周辺のグルメをチェック!
◆鎌倉宮
28歳の若さで、非業の死を遂げた英雄、大塔宮護良親王をお祀りする「鎌倉宮」は明治天皇によって作られました。
鎌倉宮(かまくらぐう)は、神奈川県鎌倉市にある、後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良親王をお祀りする神社です。別名、親王の名から「大塔宮」とも呼ばれています。ここは、比較的新しい神社で、明治2年(1869年)、護良親王の遺志を後世に伝えることを望まれた明治天皇によって創建された神社です。
大塔宮護良親王は後醍醐天皇の第三皇子。元弘の変が起きると、後醍醐天皇をたすけて吉野、熊野等で鎌倉幕府討幕運動の中心として建武の新政のために力を尽くします。鎌倉幕府は滅亡し、護良親王は、元弘三年(1333年)に、征夷大将軍にもなり軍勢を率いて入洛しました。
ところが、その後、足利尊氏との対立を深めたために足利尊氏の謀反にあい、建武元年(1334年)、囚われの身となって東光寺の土牢に幽閉されてしまいます。さらに翌1335年7月11日には、尊氏の弟の足利直義に暗殺され、28歳の若さでこの世を去りました。
鎌倉宮は、その東光寺の跡地にあたります。
さらにこれには、後日談があります。護良親王のお世話をしていた藤原保藤の娘、南方(みなみのかた)が、護良親王の死後に出産。その子は成長して日蓮宗の僧、日叡となり、父、護良親王を弔うために「妙法寺」を興したのだそうです。
■住所:神奈川県 鎌倉市 二階堂 154番地
■交通:JR鎌倉駅 東口下車 徒歩30分
http://www.kamakuraguu.jp/index.html
▶鎌倉宮周辺のグルメをチェック!
◆鎌倉釈迦堂切り通し
鎌倉にこんな場所があったのかという「釈迦堂口切通」は北条泰時が建てた「幻の寺」の名前から。
「釈迦堂口切通」というのは、鎌倉と名越を結ぶ道の途中にある天然の切通し。「鶴ヶ岡八幡宮」からは、すぐ近くで、歩いて行ける距離なのに、民家途切れたところに現れるちょっとした異世界。岩をくり抜いたような昔のままの形がちょっと異様です。
「釈迦堂切通し」とは、どうしてそう呼ばれるのかというと、その昔、この谷のどこかに三代執権・北条泰時が、父、義時の菩提を弔うために建てた釈迦堂があったから。正式には「釈迦堂ヶ谷」と言われているようですが、その釈迦堂の場所は探しても、いまだにわからないのだそうです。
鎌倉の地から外部に出ている、当時の七つの街道の切通しを「鎌倉七口」と呼びますが、この釈迦堂口切通しの場合には、鎌倉と名越のいわば鎌倉の内部を結ぶ切通しとなっているため、「鎌倉七口」には数えられてはいませんが、その佇まいは立派に「鎌倉古道」のひとつに数えられていいほどのものです。
そのスケール感には、けっこう迫力があり、圧倒されます。
トンネルの中には小さなほこらがくり抜かれてあり、五輪塔が祀られています。切り通しといってもそんなに暗い道ではないので、ここは、以前は、とても人気のある古道でした。しかし、今は、くずれると危険ということで、通行禁止の標識があります。
鈴木清順監督の映画『ツィゴイネルワイゼン』では、象徴的なシーンとして、この場所が使われました。
■住所:鎌倉市大町
■交通:京急バス鎌倉駅発十二所神社方面杉本観音下車徒歩15分
http://homepage3.nifty.com/kamakurakikou/asyakado....