鎌倉に旅行するなら絶対行くべきオススメ人気観光スポット14選
歴史あり、グルメあり、お寺あり、江ノ電あり、海岸ありと観光にもデートにも最高の街「鎌倉」。そんな鎌倉を余すこと無く堪能したい方必見のオススメ人気観光スポット14コを一気にお届けします。
鎌倉の定番観光スポットは?
明月院
雨のそぼ降る「あじさい寺」、「明月院」でまるく切り取られた「悟りの窓」から悟りをひらく。
俗に「あじさい寺」とも呼ばれるほど、紫陽花の名所として知られる「明月院」は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗建長寺派のお寺です。お寺に伝わるところでは、平治の乱で没した首藤俊通(しゅどうとしみち)の菩提のため、永暦元年(1160年)のその子にあたる経俊が「明月庵」を建立したのが最初。
実質的な開基(創立者)は上杉憲方といわれています。
もともと明月院は、それ以前には、禅興寺という寺の塔頭(たっちゅう・お寺の祖師や高僧の遺徳をしのび本堂に寄り添って建てられた塔)でした。ところが、本体の禅興寺は明治初年頃に廃絶し、今は明月院のみが残っています。
院内にある紫陽花の数は約2,500株。ふつうの観光地は梅雨時ではあまり賑わったりしないのでしょうが、ここ「明月院」ならシトシトと小雨が降っているようなお天気の日こそ紫陽花の美しさを楽しめます。
たくさんの紫陽花があまりにも有名で、梅雨のシーズンにはたいへんな混雑をみせる「明月院」ですが、実はこの寺で紫陽花を植え始めたのは意外に最近だとか。「手入れが比較的楽だから」と戦後に植えたものが人気になったのだそうです。
紫陽花ほどは知られていませんが、このお寺は他にも1年中花が絶えることがありません。冬には蝋梅、春は梅と桜が咲き乱れ、秋の紅葉も見事です。
そんな四季の自然の庭の風景を、薄暗い室内側から「悟りの窓」と呼ばれる円窓を通して眺めて見る。それだけで、なんだかちょっと悟ったような気になるから不思議です
■住所:神奈川県鎌倉市山ノ内189
■交通:鎌倉駅西口出口から徒歩約29分
http://www.kanagawa-kankou.or.jp/seeing/kanko/sise...
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◆鎌倉大仏
青空の下、慈愛に満ちた表情でどの宗派からも信仰を集める「鎌倉大仏」は奈良の大仏に次ぐ巨大さ。
神奈川県鎌倉市の長谷にある浄土宗の寺院、「高徳院」には、「鎌倉大仏」「長谷の大仏」と親しまれる本尊の「阿弥陀如来像(国宝)」があります。2004年(平成16年)2月には境内一帯が「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡となっています。
とはいえ、「高徳院」の開山、開基はいまだ不明。大仏の造像の経緯も史料が乏しく、分からないところが多いのだそうです。寺の草創についても鎌倉市材木座の光明寺奥の院を移建したものが当院になっていったとのだという説もがあるものの、確定には至っていません。
このお寺自体は、創建された最初の頃は真言宗で、密教系の僧が住持となっていましたが、後には臨済宗へと変わり「建長寺」の末寺に。江戸時代の正徳年間(1711年 - 1716年)にはそこからさらに祐天上人による再興があり、以降は浄土宗、材木座の光明寺(浄土宗関東総本山)の末寺へと変わっていきました。
「高徳院」の院号はそのあたりからということです。
鎌倉時代末期に鎌倉幕府の有力者・北条(金沢)貞顕が息子の貞将(六波羅探題)に宛てた書状の中には「関東大仏造営料を確保するため唐船が渡宋する予定」とある(寺社造営料唐船)ものの、実際にどうなったかはこれも不明です。
ただ、大仏を覆う大仏殿のあったことは、平成12年から13年(2000 - 2001年)の境内の発掘調査によって確認されています。「太平記」には、建武2年(1335年)、大仏殿が大風で倒壊したという記録があり、また、「鎌倉大日記」にも、応安2年(1369年)にも倒壊したとあります。
現在は、そんなわけで、大仏さまは屋外におられますが、創建750年余を経て、国内外、宗派の別を問わず数多の仏教徒の信仰を集めています。像高約13.35メートル(台座を含む)。重量約121トン。鎌倉期に流行した「宋風」の面影を色濃く残し、鎌倉時代の代表的仏教彫刻として国宝に指定されていいます。
■住所:神奈川県鎌倉市長谷4丁目2番28号
■交通:JR横須賀線「鎌倉」駅下車。江ノ島電鉄(藤沢方面行き)に乗り換え「長谷」駅で下車。徒歩約7分。
http://www.kotoku-in.jp/top.html
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◆報國寺
「ミシュラン・グリーンガイド」三ツ星の茶席「休耕庵」のある竹の寺「報國寺」は4代鎌倉公方足利氏終焉の地
このお寺は、1334年(建武元年)に臨済宗の僧、天岸慧広(てんがんえこう)が中国への修行の後、開山・創建したと伝えられています。天岸慧広はこの場所で修業もし、また茶席「休耕庵」を建てて余暇には詩作を楽しみ、静かに生涯を過ごしたということです。
また、この寺の開基(経済面でのスポンサー)は足利家時ですが、上杉重兼も寺の創設にかかわっていたといわれます。は室町幕府を樹立し、足利尊氏は家時から二代あと、関東を治めるのに、その子である基氏を鎌倉公方の任につけました。
その後、鎌倉では4代、90年にもわたって足利氏が栄華を極めました。しかし、「永享の乱」では一族は劣勢となり、4代鎌倉公方であった持氏は瑞泉寺の塔頭(たっちゅう)永安寺で、また、嫡子の義久は菩堤寺である、ここ「報国寺」で自害割腹。
つまり、「報国寺」は関東における足利公方終焉の地となったわけです。
そんな栄枯盛衰もありながらも、この一帯は往時より宅間法眼一派の芸術家達が住んでいた地でもあります。なので、現在も「宅間谷戸」(谷戸(やと)は丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形のこと)とも呼ばれます。
近年では川端康成、林房雄らが寺領内に住み、川端康成は、この山あいのしじまの音なき音を「山の音」と表現したことでも知られています。
この「報國寺」の有名な「竹の庭」の中にある茶席「休耕庵」は、観光地の格付けを行う「ミシュラン・グリーンガイド」で三ツ星も獲得しています。静かな竹林を眺めながらのお抹茶はまさに醍醐味。ゆっくりしようという方には平日の朝早い時間からがおすすめです。
■住所:鎌倉市浄明寺2丁目7番4号
■交通:JR横須賀線「鎌倉」駅下車すぐ
http://www.houkokuji.or.jp/
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◆鎌倉文学館
昭和初期の浪漫を感じさせる「鎌倉文学館」。春・秋2回楽しめるローズガーデンも見応えがあります
ノスタルジックな雰囲気の江ノ電「由比ヶ浜」駅改札を降り、右手に向かって由比ヶ浜大通を少し行くと、「文学館入口」交差点があります。信号を渡って住宅地の中の細い道を進むと、小高い丘に建つ青屋根の洋館が見えます。
その堂々とした洋館が「鎌倉文学館」。文学青年・文学少女ならずとも「由比ヶ浜」を降りてからたどる、そんな小道もなんだかワクワクします。
この「鎌倉文学館」は、夏目漱石や川端康成など、いずれも鎌倉にゆかりのある文学者300人以上もの著書、原稿、愛用品など貴重な資料を展示する文学専門の博物館。本館は、旧前田侯爵家の鎌倉別邸となっています。
明治から昭和初期にかけてのレトロな雰囲気と格調をそのままに残した建物は、昭和11年に旧加賀藩の前田家第16代当主前田利為氏が建築したもの。相模湾を見下ろす丘陵地の中腹にその威容を誇る、当時の鎌倉の別荘を代表する建物の一つです。
昭和58年には前田家より鎌倉市が譲り受け、昭和60年11月に鎌倉文学館として開館しました。戦後の一時期にはデンマーク公使が別荘として使用したほか、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元首相が別荘として利用したこともありました。
また、作家三島由紀夫の小説「春の雪」の一シーンとして登場したことでも有名です。
庭園の一角あるのは約600平方メートルのローズガーデン。ここには世界7カ国から輸入された外来種のバラや、「鎌倉」「静の舞」「流鏑馬 (やぶさめ)」「星月夜」など鎌倉にちなんだ名前がつけられたバラなどが咲き乱れ、春・秋の年2回、楽しめます。
■住所:鎌倉市長谷1-5-3
■交通:江ノ島電鉄「由比ヶ浜駅」徒歩7分
http://www.kamakurabungaku.com/