鎌倉に旅行するなら絶対行くべきオススメ人気観光スポット14選 3ページ目
◆江ノ電
ドラマのロケ撮影でたびたび登場する「江ノ電」のある風景には奥深い魅力があります。
電車やバスなどの公共交通機関は、あくまでも移動手段であることが第一義。とは言え、それが風光明媚な観光地を走っているとなると、話は別。例えばこの「江ノ電」などはその最たるものと位置づけられます。
たとえるならば、それは水平方向に移動する「観覧車」のようなもの。海岸線の美しい景色や富士山なども眺められる絶好のビューポイントを結ぶ運転区間は、鎌倉駅から藤沢駅までのわずか10kmほど。もし許されるなら、子どもと同じように靴を脱いでしっかり窓側に向いて一日中車窓からの風景を楽しみたいほどです。
東京からはわずか一時間弱という距離なのに、ローカル線の雰囲気を十分に満喫できる単線。にも関わらず生活路線でもあるので、運転間隔はごく短め。「若々しく新しい感覚の湘南」と、「かつて幕府があった古都鎌倉」が同じ線上にあり、幅広い年齢層を惹きつけてやまない奥深い魅力がある。
それが「江ノ電」という“観光施設"なのです。
「江ノ電」そのもののレトロな車両と沿線風景の組み合わせの絵が、被写体としやすいので、テレビドラマのロケ撮影などに利用される機会もしばしば。そのため認知度も高く、いまや全国区で知られるところとなっています。
2010年には、「江ノ電」110周年を記念して、鉄道係員(駅係員・乗務員)の制服が新しくしています。濃紺の上下に、上衣袖の部には江ノ電のキーカラー、緑と黄色のラインが入り、襟部にも同様のバイピングがある上品なスタイルが「江ノ電」らしさがあっていいと好評です。
■住所:神奈川県藤沢市片瀬海岸1丁目4番7号
■交通:江ノ電「鎌倉」駅〜「藤沢」駅
http://www.enoden.co.jp/beta/train/index.htm
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◆建長寺
中国出身の名僧、蘭渓道隆が北条時頼の勧めで開山した「建長寺」は日本で最初の純粋禅の道場
その昔、蘭渓道隆(大覚禅師)という名の僧がいました。中国西蜀淅江省に生を受け、十三歳で中国中央部にある成都大慈寺に入って出家。修行のため中国諸国を旅しました。後に陽山にいたり、臨済宗松源派の無明惠性禅師についてその法統を受け継ぎました。
そのころ、月翁智鏡という日本から中国に修行に来ていた僧と出会い、日本の事情を聞いて日本に渡る意思を固めました。禅師は淳祐六年(1246年)に筑前博多に着き、智鏡をたよって泉涌寺来迎院に入りますが、智鏡の勧めもあって鎌倉に移ることになります。
鎌倉では、寿福寺で大歇禅師に参じますが、これを知った鎌倉幕府五代執権であった北条時頼は、禅師の居を大船常楽寺に移し、足繁く禅師の元を訪れました。そうこうするうち、多くの僧侶が禅師のもとを訪れるようになります。
そして、時頼が、建長五年(1253年)国の興隆と北条家の菩提のためにと、蘭渓道隆を招き建立したのがこの「建長寺」でした。創建当時の伽藍配置は、総門、三門、仏殿、法堂などの主な7つの建物が中軸上に並ぶ中国の禅宗様式の伽藍配置に49の塔頭(小寺院)を有する荘厳なものだったと言います。
建長寺は、こうして日本で初めて純粋禅の道場となり、往時は千人を越す雲水が修行したと伝えられるわが国最初の禅寺となりました。禅師は、禅林としてのきびしい規式をもうけ、門弟を戒めたそうです。開山みずから書いた規則(法語規則)は今も国宝として残されています。
その後、14・15世紀に数度の火災でその多くは焼失。江戸時代に入ってから、かの有名な沢庵和尚の進言で再建されたのでした。
建長寺はけんちん汁の発祥の地としても知られています。
■住所:鎌倉市山ノ内8
■交通:北鎌倉駅より徒歩15分
http://www.kenchoji.com/
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◆長谷寺
奈良の「長谷寺」とは深い因縁のある鎌倉の「長谷寺」。それはご本尊の十一面観音像のナゾにまつわるものでした。
神奈川県鎌倉市にある浄土宗系統の単立寺院「長谷寺」(山号は海光山、院号は慈照院)は、お寺の言い伝えによれば、天平8年(736年)に藤原房前が大和の長谷寺(奈良県桜井市)の開基でもあった徳道を招請し、十一面観音像を本尊として開山したと言われています。
この十一面観音像は像の高さが9.18メートルの巨像ですが、観音霊場として湯銘な大和の長谷寺の十一面観音像と同じ木から造られたと言われています。養老5年(721年)に徳道は楠の木の大木からわざわざ2体の十一面観音を造り、そのうちの1体(本)を本尊としたのが大和の方の「長谷寺」。
そしてなぜか、もう1体(末)を祈請した上で海に流したとか。その木像はなんとその15年後に相模国の三浦半島に流れ着き、それを鎌倉に置いてご本尊としたのが、鎌倉の「長谷寺」であるということです。
なんとも不思議な話で、鎌倉の「長谷寺」も大和の「長谷寺」も同じ開基なのもそれでうなずけます。しかし実際には、伝承では長谷寺の創建は奈良時代とされているものの、中世以前の沿革は明確でなく、創建の正確な時期や経緯についても解明されていません。
そのナゾはナゾのままとそっとしておくのがいいのかもしれませんが。
「長谷寺」にある古くからの梵鐘には、文永元年(1264年)に当時の住職真光の勧進により鋳物師物部季重がこれを造ったとの銘文があります。なので、この頃には長谷寺が存在していたことと、もう一つ、当時は「新長谷寺」と呼ばれていたことがわかりました。
ここには、鎌倉時代の遺物としてほかに弘長2年(1262年)および徳治3年(1308年)銘の板碑、嘉暦元年(1326年)銘の懸仏(かけぼとけ)などもあります。
「長谷寺」の観音堂等の主要な建造物は海を見渡す山腹に建てられています。その多くは関東大震災での倒壊後の再建となっています。長谷寺は文人とゆかりが深く、境内には高浜虚子の句碑、久米正雄の胸像、高山樗牛の記念碑などがあります。
■住所:神奈川県鎌倉市長谷 3-11-2
■交通:JR 横須賀線、鎌倉駅下車→バス「長谷観音」下車、徒歩5分
http://www.hasedera.jp/
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◆小町小路
なんちゃって鳥居から360m続く「小町小路」には食べあるきグルメのお店の誘惑がいっぱい!
「鶴岡八幡宮」から由比ガ浜に向う中心線は若宮大路。それと平行して、東側には「小町大路(現在の辻説法通り)」があり、西側には今大路があります。この3本が「鶴岡八幡宮」の南北の基幹大路をなしています。
「小町大路」は、筋替橋から材木座に至る由緒ある大路で、両側には幕府高官・御家人の屋敷が並び、大町四つ角より南は特に当時の鎌倉随一の繁華街でもありました。日蓮上人の「辻説法」はこの大路で行われたそうなので、辻説法跡の記念碑はこちらにあります。
しかし、問題の「小町小路」の方はと言えば、その当時はちょうど、「小町大路」の屋敷裏にあたる細い道に過ぎませんでした。したがって、「小町小路」の名は歴史的なものではなく、比較的新しく名付けられたもの。JRの「鎌倉」駅から「鶴岡八幡宮」に至る約360mの文字通り観光土産物通りです。
この「小町小路」の鎌倉小町商店会は、鎌倉駅東口駅前シンボルタワー=鳥居型を起点に、設立当初は地域密着の商店会としてスタートしています。しかし、鎌倉の観光地としてテレビ・雑誌等にたびたび取り上げられ、現在では日本有数の観光スポットに。
ここには、約250店舗の多種多様な業種のお店、特に、食べあるきグルメのパラダイスと言えるほどに、たくさんの「食」関係のお店があります。
あまりにたくさんの食べ歩きグルメの誘惑があるので、「鶴岡八幡宮」へ行くのにこの「小町小路」を通る時は、よほどお腹を空かして行った方が賢明かもしれません。
■住所:神奈川県鎌倉市雪ノ下ほか
■交通:JR「鎌倉」駅すぐ
http://www.kamakura-komachi.com/