28歳でモデルからマンゴー農家に転身。高級「シャトーマンゴー」をプロデュースした八田京子さんが語る農業の魅力
モデルという職業から、マンゴー農家に転身した株式会社MAGRIの代表・八田京子さん。28歳までまったく農業に関心がなかったという彼女は、どうして大胆なキャリアチェンジをしたのでしょうか? 八田さんにお話を伺いました。
プロフィール
PROFILE

八田京子さん
1990年生まれ。宮崎県出身。高校在学時にショーモデルとして活動をスタート。卒業後に上京し、13年間モデル活動を続ける。28歳で故郷・宮崎に帰り、知人の紹介でマンゴー生産者と出会い、弟子入り。ブランディングを考え直し「シャトーマンゴー」と命名。現在は株式会社MAGRIの代表を務める。
#1.自然豊かな宮崎に生まれながらも農業への関心はなし
#2.高校卒業後はショーモデルに。2年間の海外生活も経験
#3.マンゴー農園で師匠と出会い、弟子入り
#4.最高級ブランドマンゴー「シャトーマンゴー」をプロデュース
#5.八田さんが語る、農業の魅力と可能性
自然豊かな宮崎に生まれながらも農業への関心はなし

宮崎県に生まれた八田さん。父親は建築士、母は歌の先生をしており、幼い頃農業との関わりはなかったといいます。
「お洒落より秘密基地を作って遊ぶのが好きな“少年”みたいな子供でした。主張がはっきりしていて天真爛漫、好奇心旺盛な性格でしたね。
実家は農家ではなかったので、子供の頃農業への関心はゼロ。宮崎の田舎に住んでいたので学校の行き帰りにビニールハウスや田んぼの横を通ることはありましたが、景色としてなんとなく眺めているだけ。むしろ、将来は草むしりをしなくていいマンションに住むのが夢だったくらいです(笑)」。
活発な子供時代を過ごした八田さんですが、中学では一転、思春期を迎えて自己表現が上手くできなくなったといいます。
「中学生の頃は、周りからどう見られるかが気になってしまい、自己表現ができなかったんです。高校は少し遠いところに行きたくて、同じ中学の子たちが行かない学校に進学しました」。
八田さんが入学した高校は文武両道の進学校。部活動に力を注ぐ学校だったため、帰宅部の生徒はほぼいなかったそうです。
「特に入りたい部活はなかったのですが、友達が陸上部に入ったので一緒に入りました。でも走るのはハードだから嫌だなって……そんな理由でマネージャーになったんですよ。
入部してから知ったのですが、かなり強豪の陸上部で、マネージャーの仕事がとにかくハード(笑)。選手の運動量は管理されていましたが、マネージャーは動き回って仕事をしなければならず、最初はキツくて仕方がなかったです」。
なんとなく入った部活でしたが、続けるうちに意識が変わってきたといいます。 「最初は、1本に集中して0.0何秒を縮めるために走る選手たちを見て馬鹿らしいと思っていましたが、真夏も真冬も努力する姿を見て、ものすごく感動したんです。 良い成績が出ても、それは選手だけの力ではなく、先生やマネージャーの力があってこそ。それに気づいてからは、どう動けば選手が良い成績を残せるのかを考えながら仕事をするようになりました。」
マネージャーの醍醐味に気づいて以来、部活動にどっぷりハマっていった八田さん。卒業時には部活の顧問から思いがけない言葉をかけられたそうです。
「絶対に生徒を褒めない先生だったんですが、 その卒業の時に『この中で1番頑張ったのは八田だ』と言ってくれたんです。それがものすごく嬉しかった。自分の力を出し切って成し遂げたという達成感のある高校生活でした」。
高校卒業後はショーモデルに。2年間の海外生活も経験
八田さんは番組出演後、東京のモデル事務所から声をかけられ、所属することに。高校生活と両立しながらモデル活動を続け、卒業後に上京。本格的にショーモデルへの道を歩み始めました。
さまざまな国内のショーに出演後、活躍の舞台を海外にまで広げていきます。

モデルとして順風満帆なキャリアを送っていた八田さんですが、10年ほど経った頃、ある思いが芽生えてきたと語ります。
「モデルの仕事では心臓が張り裂けそうなほどの緊張感を味わいましたし、色々な経験をしました。仕事はストイックに頑張っていましたが、高校3年間の部活ほどの達成感を感じることはなかったんです。私の能力を100%使っているという感覚にはならなかったんですよね。モデルの仕事を10年続けても無理だったのだから、この先10年続けてもおそらくあの充実感は味わえない。だったら新しいことに挑戦しようと思ったんです」。
モデル以外のことをやると決めたものの、無数にある選択肢に道を決めかねていたそう。
「周囲の人に相談したところ、ビジネスをやるのが向いているんじゃない?とアドバイスをもらうことが多かったんですよね。ただどんな場所でどんなことをしようか、道がありすぎて迷ってしまいました。決められないなら自ら選択肢をなくすしかないと、自分にとってひとつしかない生まれた場所・宮崎に帰ることにしたんです」。
マンゴー農園で師匠と出会い、弟子入り
28歳のとき、宮崎に帰ることを決意した八田さん。地元の友人たちに今後のことを相談していたところ。そのうちの一人から興味深い話を聞きました。
「友人の一人に高級フルーツを扱う青果店の息子がいるのですが、その人から、あるマンゴー農家の話を聞いたんです。ブランドマンゴーを育てている農家の方が、訳あって販路を失っていると。私は農業に関わりもないし大人の事情も知らないので、『良いものを作っていても売れないのか』と、驚きとともに興味を持ったんです」。
それまでマンゴーがどう育つのかも知らなかった八田さんは、一度農園を見てみたいと友人に相談。翌日、マンゴー農園の見学に行きました。
「農園に実っているマンゴーはとても美味しそうでした。でも、農家の方に話かけると『売り先も無くなったし、もうどうなってもいい』と諦めた様子だったんです。これは私がどうにかするしかないと、すぐ思いました」。
思い立ったら吉日。猪突猛進な八田さんは、見学に行ったマンゴー農園で、即弟子入りを決意。「給料はいらないから、ここでマンゴーを作らせてくれ」と頼み込み、マンゴー作りを学ぶために働き始めました。
それから半年間は、ひたすらマンゴーの生産方法を学ぶ日々。毎日畑に行き、農作業に明け暮れました。その傍ら、密かに市場調査もしていたそうです。

「ずっとマンゴー作りを頑張ってきた師匠に、いきなり自分にブランディングさせてくれと頼むのは違うと思って、半年間は何も言わず働き続けました。配慮は大事だと思ったんですよね。
当時うちの農園では2万玉のマンゴーを生産していたのですが、販路を失った結果、140玉の注文しか入っていなかったんです。その140玉はどこに出荷されるのか調べたところ、東京の百貨店で売られることがわかりました。気になって実際に見にいったら地下の青果コーナーでザルに入った雑な状態で売られていてショックでした。うちの農園のマンゴーは絶対美味しいはずなのに、箱にも入れられずに安く売られてしまうのかととても悔しかったのを覚えています。我慢できなくて140玉全部買い取ってやりました!(笑)」。
宮崎に帰った八田さんはこの現状を師匠に伝え、ブランディングを自分に任せてくれと頼みました。
最高級ブランドマンゴー「シャトーマンゴー」をプロデュース
どんなに美味しいマンゴーを作っても、ブランド力がなければ売れない。そう考えた八田さんは、インターネットで調べたブランディング方法を一つ一つ実践しました。
「まず私が作るマンゴーはどんな人に売りたいか、詳細なペルソナを立てて考えました。どんな箱に入れるか、価格はどのくらいの設定にするかなど、ペルソナと話し合うような感覚で決めていったんです」。
八田さんは、自らプロデュースしたマンゴーを「シャトーマンゴー」と命名。新規の販路開拓に奔走する日々を過ごし、徐々に知名度も広がってきました。その矢先に今度は新型コロナウイルスという壁が立ち塞がります。
「東京がロックダウンして、卸し先の百貨店も閉業。しかし、マンゴーの収穫時期は待ってはくれません。どうにかしないとと思い、CSのテレビ局のCM枠を買って、マンゴーの通販CMを流すことにしました。
うちのマンゴーは1玉1万5000円ほどする高級品なので、売れるのかなと心配だったのですが、予想外の反響があり、その年のマンゴーは完売しました。ちょうどコロナ禍で外食もしづらく、自宅でいいものを食べたいという消費者のニーズにも合致したんですよ」。
現在のマンゴー収穫数は年4万玉ほどまで増加。毎年すべて売り切れるほど人気商品になりました。今後は宮崎の提携農家と協力し、収穫数を増やしていく予定だと、八田さんは語ります。
「マンゴー作りもブランディングも素人から始めましたが、どんなに仕事が大変でもまったく疲れないんです。ほぼ寝ずに働いていた時期もありますが、やりがいがあるから楽しいんですよ。高校の部活動で味わっていた100%の力を出し切っている感覚が、やっと感じられるようになりました。今は当時よりも背負うものが大きいので、あの頃を越えた達成感を感じています」
八田さんが語る、農業の魅力と可能性
「私自身、農業というより、プロデュースの仕事に興味がありこの道を選びましたが、『食』に携わる仕事はやはりかけがえのないものだと思います。食がないと生きていけません。農業はそんな食を作り出す『すごい仕事』なのだと誇りに思っていいはず。農業は政治や哲学、数学などさまざまな事柄と密接に関わっているので、日々勉強になることも多いんです。知恵が深まるというのも、この仕事の魅力ですね。
就農と聞くと、大変な面ばかり見えてしまって辛い仕事という印象を持たれるかもしれません。ですが私は農業は素晴らしい仕事だと思います。そして農業に興味を持つこと自体、素晴らしいことだとも感じます。型にはまらずにビジネスとしていろんなことができますし、実際に就農したら100倍にも1000倍にも魅力的な仕事に見えてくるはずです。もし私が農業に関心を持つ人と出会ったら、『すごく面白い扉を開こうとしているね』と声をかけると思います」。
■「農業の魅力発信コンソーシアム」
農業の魅力発信コンソーシアムは、農林水産省の補助事業を活用し、農業現場で活躍する「ロールモデル農業者」との接点を通じてこれまで農業に関わりのなかった方が「職業としての農業の魅力」を知る機会を創るために、イベントの開催やメディア・SNSを通じた情報発信を行っています。
公式HP:https://yuime.jp/nmhconsortium/
【あわせて読みたい】
→日本政策金融公庫の職員から椎茸農家に転身。「田村きのこ園」を受け継いだ川島 拓さんが語る農業の魅力
取材・文/安藤茉耶
編集:学生の窓口編集部
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