北陸初の放牧養豚を実現。6次産業化プロデューサー・川瀬 悠さんが語る、農福連携の未来と農業の魅力

安藤茉耶

PR 提供:農林水産省
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現在、北陸初の放牧養豚家としてとして活動している川瀬さん。大学卒業後、マーケティングのお仕事を経験した後、養豚家としての道を選んだ彼は、農業の魅力をどう感じているのでしょうか? 学生時代から振り返っていただきました。

プロフィール

PROFILE

川瀬 悠さん

1978年生まれ。富山県出身。非農家の家庭に生まれ、愛知の大学に進学し経営学を学ぶ。大学卒業後は広告代理店を起業するが、徐々にマーケティングやリサーチの仕事にシフトする。2012年に福島の農業法人(スプラウト、サンチュ、イチゴ、豚)で研修を開始、現在は北陸初の放牧養豚家として他の農家とは一線を画す養豚を行う。

アルバイト漬けの学生時代に、仲間と起業

北陸初の放牧養豚家として、農業界から注目を集める川瀬 悠さん。今年で就農12年目を迎える川瀬さんですが、もともと農家を志していたわけではありません。

「僕が育ったのは富山県の入善町という小さな町。母子家庭で、祖父母の家に住んでいました。畑や田んぼは持っていたのですが、人に貸し出して耕作をしてもらっています」。

家が農家ではなかったため、農業に関しての知識はほぼゼロ。土いじりも学校の授業で朝顔を育てたり、学校の畑で芋を掘ったりする程度だったといいます。

地元の中学・高校を卒業した川瀬さんは、愛知の東海学園大学に進学をしました。経営学部を選択し、学業とアルバイトに明け暮れる日々を過ごしました。

「生まれたのが愛知県だったので、特別な思い入れもあり名古屋に行きたいと思っていました。一人暮らしをするときに学費以外は自分で出す事を親と約束をしていたので、生活費を稼ぐためにかなりアルバイトをしていましたね。2年生で卒業に必要な単位をすべて取り終わって、週一回大学に行く以外はアルバイト三昧。会社員並の給料をもらっていましたよ(笑)」。

大学2年生で始めたモスバーガーのアルバイトでは、店長とともにアルバイトの面接をするほど頼りにされる存在に。バイタリティに溢れる川瀬さんは、大学4年生のときに、地元・富山県の同級生たちと学生起業をしました。

「常時400名くらいが所属する学生アルバイト団体を作り、イベントの会場設置や運営をする広告代理店のような仕事をしていました。当初は6人ほどで起業したのですが、今思えば学生のノリでやっていたので甘さもあり空中分解してしまい、最終的には大学卒業時に僕ともう一人の友だちの二人で個人事業主として仕事を始めました」。

家族の未来と見据え、農家に転身

他の学生のように就職をせず、23歳で社長になった川瀬さん。当初は学生時代と同じく広告代理店のような仕事をしていたものの、徐々にマーケティング業務にシフトしていきます。

「大手が僕らの仕事の領域に参入してきたため、これでは太刀打ちができないなと思ってマーケティングやリサーチに舵を切ったんです。世の中のニーズを調査して、コンサルタントの先生が戦略を立てるのに必要なデータを作る仕事をしていました」。

たくさんのマーケティングの仕事を請け負うなかで、一軒の農家さんとの出会いがヒントになったそうです。

「富山県の特産品を集約する仕事で訪問した農家さんから『マーケティングが専門ならうちで作った野菜を売ってきてくれ』とお願いされて、その足で連絡、すぐに飲食店に出向いて取引が始まりました」。

マーケティングを通して農業との関わりを持つようになった川瀬さん。そのうち県が主催する会議にも呼ばれるようになりましたが、非農家であることが壁として立ちはだかります。

「会議で意見を出すと、最初は『いいね』と褒められるのですが、最終的に『お前は農家じゃない』『予算がない』と言われてしまうんですよ。農家になれば意見を通してくれるんだろうなという気持ちがむくむくと湧いてきました。以前から農業こそマーケティングが必要だと気づいていたので、自分が農家になればスキルを活かせるんじゃないかと考えました」。

川瀬さんが農家になることを決めたのには、もうひとつ大きな理由があります。

「その頃産まれてきた息子が右半身麻痺というハンディキャップを持っていたのです。リハビリの甲斐があり不自由ありながらも健常者とあまり変わりなく日常生活を送れていますが、将来のことを考えると親としては『この子はどんな仕事に就くのだろう』と心配になります。もしかして農業が仕事の受け皿になるかもしれない、という仮説を立てたんですよ。それで農家になろうと決意しました」。

イチゴ農家を目指し、結果的に北陸初の放牧養豚業者に

農家になるには、まず実務を身につけなければならない。そう考えた川瀬さんは福島県郡山市の農業法人で販路開拓を担いながらイチゴ栽培の研修をすることにしました。

「福島に行ったのは東日本大震災の翌年。作物を作ってはみたけれど、どう売ればいいの?とみんなが頭を抱えていた時期です。でも僕の研修先の農家で作っていたのは夏のイチゴでした。夏のイチゴはこの世にショートケーキがある限り絶対に売れる。安全性さえ確保されていれば、ニーズがあるので買うお客さんは絶対いるんですよ。僕も研修が終わったら夏のイチゴを作る農家になろうと思っていました」。

しかし実際に内情を知ると、設備産業であるイチゴ作りは、金銭面でも人手という面でも難しいと思い始めたそうです。何を作るべきかと考えていたときに、研修先で、ある事件が起きました。

「研修2年目、普段雪が降らない郡山市に50年に一度の積雪がありまして、ハウスが倒壊してしまったんです。僕はイチゴを作って売るために来ているのに、売るものがなくなってしまってどうしようと……。そのとき、農業法人が食品残差を処理するために飼養して、身内でしか消費していない放牧豚を売ればいいんじゃないかと思いつき、社長に相談してブランド豚として販売することにしたんです」。

この経験によって放牧の知識も得た川瀬さん。水の美味しい富山県は放牧養豚にも適しているはずと、地元で畜産農家になることを決意しました。

実は川瀬さんは、富山県で28年ぶりの養豚業の新規就農者。しかも北陸初の放牧養豚業者ということで、当初からかなり目立つ存在だったといいます。

「豚舎で豚を育てている方々からすれば、僕は異質な存在だったと思います。最初は子豚を手に入れるのにも苦労したり、豚熱が発生したときには放牧が原因と疑われたりもしましたが、コツコツと実績を積み重ね徐々に放牧養豚を受け入れてもらえるようになりました」。

放牧養豚は、豚舎で飼われている豚と違いよく動くため、自然と筋肉質になり赤身の旨味が強くなるそうです。また、広大な土地で放牧するため糞尿に塗れることもなく、運動により免疫力が高くなるおかげで投薬も極力しないで済むといいます。

「豚肉を食べたときの薬品臭さが嫌で苦手という人からも、『ここの豚肉は美味しいから食べられる』といっていただくことが結構多いんですよ。肉の旨味が強く、臭みが少ないのが放牧養豚の最大の魅力です。ただし放牧では豚の運動量が増えるので、どうしても太りにくくなり、育てるのに時間がかかります」。

時間がかかる分、一頭を育てるためのコストも増えるそう。そのため川瀬さんは、育てた豚を外注で精肉加工してもらい、商品をすべて自分で販売。付加価値をつけて自主流通させることでしっかりと稼げる農業の仕組みを作っています。

川瀬さんが取り組む「6次産業化プロデューサー」と「農福連携」

国から6次産業化プロデューサーの認定も得ている川瀬さん。周囲の農業関係者たちから相談が寄せられることも多いといいます。

「そもそも6次産業化は国が後押ししてスタートしています。農家が作る(1次産業)だけでなく加工し(2次産業)、付加価値をつけて販売すれば(3次産業)、収入が上がるだろうという目論見です。ただ飲食店も加工会社も苦労している現代の世の中で、業界の素人である農家すべてやるというのは難しい話ですよね。確かにすべてを担えばそれだけ利益は増えますが大変です。僕は過去の経験から加工も販売もすべてできますが、それでも加工の一部は外部に任せています。任せる部分はその道のプロに任せつつ、自分ができる範囲での6次産業化を目指す方がいいと思います」。

「ただし」と前置きしたうえで、こうも語ります。

「6次産業化を後押しするプロデューサーと言いながらも、究極論は6次産業化しないで済むのが理想です。自分で育てた1次産品で生計が成り立つならそれが一番いいと思っています」。

農業をする上で、川瀬さんが目標に掲げるのが農福連携です。

「息子が18歳で社会人として巣立つところを到達点として考えているので、今は社会福祉法人や、農業に関心のある方々とコミュニティーを作り情報交換を積極的に行っています。放牧養豚のオペレーションの中で、障がいを持つ子たちはどんな仕事ができるのかも日々考えています。彼が就農したときにスムーズに仕事を振れるような環境を整えるのが今の目標です」。

農福連携の活動をしていると、障がいを持つ子の親からも相談を受けることが多くなったといいます。

「『うちの子も、将来仕事の面倒を見てくれ』と、皆さん親として考えていることは同じなんですよね。だからこそ、自分が死んでも誰かが受け継げるような組織づくりや受け皿を準備しなければいけないと考えています」。

また、川瀬さんは将来的には“村”のようなコミュニティーを作りたいとも話します。

「農場の近くに、彼らの宿舎となるような住まいを作り、そこに親御さんも一緒に住めるようにできればいいなと考えています。仕事はそこから通えるようにすれば安全じゃないですか。障がいを持つ彼らは、一生涯リハビリと付き合っていかなければならないんです。週に何度も平日の日中にリハビリにいくとなると、一般の会社では働くのが難しい。でも、農業だったらそれができます。仕事を1日前倒しや後ろ倒しにしてもそんなに変わらないので、コントロールしてリハビリに送り出すことができるし、空いている時間で仕事をしてもらうこともできるんです。それが僕らの仕事のいいところです」。

川瀬さんが語る、農業の魅力と可能性

最後に、川瀬さんが感じる農業の魅力を教えてもらいました。

「自由という一言で片付けてしまっていいのかはわからないですが、自分の責任において好きなように仕事ができるのが農業です。一つのプロジェクトを任されているのと同じ。
楽しみ方は人それぞれにあるんじゃないかなと思います。例えば、僕らの養豚スタイルでは積雪シーズンは豚の飼養をしないので仕事を休んでもいいんです。僕はなんだかんだ仕事をしてしまいますが、独身だったら1〜3月はバケーションに出かけていたかもしれません。自分の思う通りの1年の過ごし方ができるのが農業の魅力だと思います」。

これからの農業については「可能性しかない」と語ります。

「農業はいろんなビジネスの起点になる可能性がある仕事。飲食はもちろん、観光やレジャー、福祉とタイアップしてどんどんイノベーションすることも可能ですし、過疎が進んでいるとはいえ、過疎ゆえの活かし方をしていけば可能性は十分あると思います。日本の四季を感じに来日する海外の人から見ても、農業は魅力的です。ビジネスチャンスとして、みんながもっと自由な発想で僕らを活用してくれたらいいなと思っています」。

起業家や農家と、異なるキャリアを経験してきた川瀬さんは「学生の時間を無駄にしないでほしい」と話します。

「これは学生時代の自分にも言ってあげたいことなのですが、意味のある時間を過ごしてほしいです。社会人になると時間を作るのが大変ですが、学生は自由が多い。僕が自分の子供たちによく投げかけるのは、『何かひとつ吸収しようと思って勉強した5分と、何も考えず過ごした勉強時間1時間、どちらが効果的?』という質問。5分のほうが有意義な時間なんですよね。ただなんとなく時間を過ごすのはもったいない。勉強も遊びもバイトも全部、今目の前のことを何のためにやっているのか、ということを意識しながら毎日を過ごしてみてください」。

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取材・文/安藤茉耶
編集:学生の窓口編集部

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