鎌倉に旅行するなら絶対行くべきオススメ人気観光スポット14選 4ページ目
◆由比ヶ浜
遊びとしての「海水浴」をここ「由比ヶ浜」で始めたのはかつての鎌倉に住んでいた別荘族だった。
明治時代には「海水浴」というものがなく、波の衝撃で血流を促進するというもっぱら医療目的で海に浸かっていました。
ところが、明治22年に鉄道が通って、当時のセレブ層や外国人の別荘が集まり、さらに明治35年に藤沢・片瀬(今の江ノ島)間に江ノ電が通るようになると、このあたり一帯は別荘地としての開発が進みます。
そうしたハイカラな別荘に暮らす人たちが、それまでの医療目的でなく、遊びとして「海水浴」を楽しむようになったわけです。彼らの最初の海水浴ファッションは、女性は木綿のワンピース「アッパッパ」、男性は猿股かふんどしでした。
大正時代になると、この辺りにもバスが走り、ビーチを含めての海水浴を楽しむ文化が庶民にも浸透していきます。ファッションは男性も女性も上下繋がったワンピースが流行しました。
昭和には、ビーチは賑わうようになり、昭和9年には「鎌倉カーニバル」が始まり、海の家、更衣所なども200件を超えるまでに。戦後はさらに134号線の開通で1964年(昭和39年)には鎌倉全体で約415万人もの人手を記録しています。
平成の「由比ヶ浜」では、さらに各ビーチがさまざまなメディアとタイアップする動きが盛んに。テレビ番組と連動した海の家などが話題となりました。明治時代のプライベートビーチのような「由比ヶ浜」とはまさに隔世の感があります。
でも、その頃140mもあった「由比ヶ浜」の砂浜は今では90mにまで狭まってしまっています。もしかしたら、夏を謳歌するビーチリゾート「由比ヶ浜」を楽しめるのはあと数年なのかもしれません。
戦前頃までは、鎌倉初期から極楽寺に住んだ由井氏に因んでか、「由井ヶ浜」と表記したとも。地元の人は「ゆいがはま」とアタマにアクセントを持たせて発音するようです。
■住所:神奈川県鎌倉市由比ガ浜
■交通:江ノ電「和田塚」駅・「由比ヶ浜」駅・「長谷」駅から徒歩5分
http://yuigahama.sos.gr.jp/
▶由比ヶ浜周辺のグルメをチェック!
◆瑞泉寺
年中花の絶えることのない「花の寺」、「瑞泉寺」では作庭に才能を発揮した夢想礎石の庭も見られます。
「瑞泉寺」は、1327年に創建された臨済宗円覚寺派の寺院。鎌倉二階堂の紅葉ヶ谷の奥にある名刹です。開山は夢窓疎石(夢想国師)。開基(スポンサー)は鎌倉幕府の重臣だった二階堂道蘊(どううん)。鎌倉公方の菩提寺として鎌倉五山に次ぐ関東十刹選ばれ、それも筆頭格の扱いを受けたという格式のある寺院です。
本尊は釈迦如来。山号である錦屏山(きんぺいざん)は、寺を囲む山々の紅葉が錦の屏風のように美しいことに由来します。秋の紅葉だけでなく、境内は季節ごとに多彩な花で彩られ、梅、つつじ、牡丹、マンサク‥と一年中花の絶えることがないことから「花の寺」として知られています。
なかでもスイセンが特に有名です。
開山の夢窓国師は、後醍醐天皇や足利尊氏からも深く帰依されたという、鎌倉から南北朝期にかけて臨済宗の僧として活躍した人物です。作庭にもずば抜けた才を発揮し、昭和45年(1979年)に発掘、復元された仏殿背後の庭園は、夢窓国師の作として、国の名勝に指定されています。
この「瑞泉寺」以外では、美濃の虎渓山永保寺、甲斐の恵林寺、京の天龍寺、苔寺の名で知られる西芳寺の庭園が夢窓国師の作として知られるところです。
また、「瑞泉寺」は、文学や学問と縁のある寺としても知られ、鎌倉時代には五山文学の拠点として栄え、さらに近世には徳川光圀が自身の鎌倉旅行を『新編鎌倉志』としてここでまとめています。境内には、久米正雄の墓、高浜虚子、久保田万太郎、吉野秀雄、大宅壮一、山崎方代、吉田松陰などの碑があります。
■住所:鎌倉市二階堂710
■交通:「鎌倉」駅(JR/江ノ電)東口よりバス大塔宮行15分─終点「大塔宮」下車/徒歩10分~15分
http://www.kamakura-zuisenji.or.jp/
▶瑞泉寺周辺のグルメをチェック!
◆東慶寺
閉門時には身に着けているものを境内に投げ入れれば「セーフ」。女性の「DVシェルター」として機能した「東慶寺」
「東慶寺」は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺院(山号は松岡山、寺号は東慶総持禅寺)。元寇(モンゴル来襲)と戦い、執権として知られる北条時宗の夫人・覚山尼が、時宗の死後、弘安8年(1285)に創建しています。
このお寺がなぜ有名なのかと言えば、かつて女性の側からは離婚できなかった封建的な時代に、ここ「東慶寺」に駆け込めば離縁できるという仕組みだったことから。超法規的な女人救済の寺として、明治に至るまで600年ものあいだ、縁切りの寺法を引き継いでいたのでした。
室町時代には、鎌倉尼五山第二位の格式を持つ尼寺。後醍醐天皇の皇女である五世・用堂尼や豊臣秀頼の娘である二十世・天秀尼など、名門の息女が代々住持を務めていたことでも知られます。
開山した覚山尼は、夫の時宗公の菩提を弔うために尼になり「東慶寺」を始めたというだけでなく、戦乱で男たちの犠牲になった女を見て女人救済を思い立ったか、あるいは男女は本来平等という仏法を実践せずにはいられなかったのかもしれません。
現在ではもう尼寺ではなく、円覚寺末の男僧の寺となってはいますが、「東慶寺」は開山以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺。室町時代後期には住持は御所様と呼ばれ、江戸時代には寺を松岡御所とも称し、特殊な格式を有していました。
また江戸時代には幕府の寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、女性の離婚に関しては今でいう家庭裁判所の役割も果たしていたとのことです。
■住所:神奈川県鎌倉市山ノ内1367
■交通:JR横須賀線「北鎌倉」駅から徒歩4分
http://www.tokeiji.com/
▶東慶寺周辺のグルメをチェック!
※2017年12月1日(金)一部記事を修正しました。