「勝海舟と仲が悪かった」「船酔いしない!」慶應義塾大学の創始者・福澤諭吉の知られざる伝説9つ
慶應義塾大学は福澤諭吉が開いた大学として有名です。福澤諭吉といえば、歴史の教科書にも登場する偉人として知られていますが、なかなか味わい深い人で、さまざまなエピソードを残しています。今回は、そんな福澤先生の逸話をご紹介します。
●適塾で塾頭になるほどの秀才!
緒方洪庵が大坂で開いた私塾「適々斎塾」は、幕末-明治維新に活躍する多くの人材を輩出しました。大鳥圭介や大村益次郎がその出身者として有名ですが、福澤諭吉もまたこの塾で学んだ一人です。1857年(安政4年)には最年少22歳で塾頭になっています。日本全国の秀才ばかりが集う適々斎塾で塾頭になることはすごいことです。
●解剖実習の後は食べます!?
適々斎塾では秀才でしたが、若さ故か、やんちゃなこともけっこうしています。解剖実習用にブタの頭をもらってくるのですが、それを実習で使った後は煮て食べたそうです。また、クマを解剖したこともあるそうです。
●たばこも覚えちゃったじゃないか!
お酒が大好きで、適々斎塾にいたころはかなりの酒量でしたが、ある日断酒を決意します。たばこを吸うことで禁酒を続けようとしたのですが、我慢できずにお酒にも手を出してしまいます。こうしてたばこもお酒も好きな福澤諭吉になってしまいました。本人は「禁酒なんてくだらないことをしたせいで、たばこまで覚えてしまった」とぼやいています。
●船酔いしない男だった!
幕末の1860年(万延元年)、日米修好通商条約の批准のために遣米使節団が「咸臨丸」という洋式軍艦に乗り組んでアメリカへ出発します。福澤諭吉も乗り込んでいました。途中で大きな嵐に遭うなどし、日本人乗船者は船酔いに悩まされますが、なぜか福澤諭吉は平気だったそうです。三半規管の作りが常人離れしていたのかもしれませんね。