【神奈川県のB級グルメ「サンマーメン」、知ってる?】はじめての「サンマーメンおどおど」#あつまれ!_おどおど学生。
読者の皆さんの中には、大学生になって初めて親元を離れ、見知らぬ土地で暮らすことになったという人もいらっしゃるでしょう。そのような場合、新しい土地で今まで食べたことのなかったご当地グルメに出会うかもしれませんね。
当シリーズ記事では、全国各地のご当地B級グルメをご紹介しています。今回は神奈川県の「サンマーメン」です。
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「サンマーメン」とは?
サンマーメンは、麺の上にとろみのついた「あん」を載せた、現在でいうところの「あんかけラーメン」の一種といえます。しかし、その歴史は古く、第二次世界大戦後スグには登場していました(後述)。
サンマーメンというと、魚のサンマを想像してしまうかもしれませんが、サンマーメンは漢字で書くと「生馬麺」になります。これは広東語の発音を取ったものなのです。
生(サン)は「新鮮でしゃきしゃきした」、馬(マー)は「上の載せた」という意味になります。つまり、新鮮な野菜や肉などをしゃきしゃきした食感を残したまま炒め、それを上に載せた麺料理という意味になります。
広東語が使われていることからも分かるとおり、そもそもは中華料理店で賄いで出されていたものが表メニューになったものと推測されるのです。
●サンマーメンの定義とは?
では「これがサンマーメンだ!」という厳密な定義はあるのかといえば、結論からいうとありません。お店によってさまざまに工夫が凝らされており、例えば、醤油味と塩味どちらもアリますし、具もそれぞれ違っています。しかし、少なくとも「肉・もやし・白菜を使用し、野菜はシャキッと手早く炒め、必ずとろみを付けてコクのある具に仕上げること」は共通しているといえます。
では、五目あんかけラーメンとサンマーメンの違いとはどこにあるのでしょうか。サンマーメンの方は「野菜などの具が細切りになっている」と指摘されることがあります。これは賄い料理であったため、新人調理人が包丁の練習も兼ねて具材を細切りにした名残だ、などと説明されたりします。また、サンメーマンの方は上記のとおりしゃきしゃき感が残っていることも重要なポイントです。
●サンマーメンの歴史
サンマーメンの歴史は古く、その発祥について『かながわサンマー麺の会』では以下のように説明しています。
サンマー麺は戦前当時、調理人達のまかない料理で、とろみを付けた肉そばが原形になったと言われています。
神奈川県横浜市中区の中華料理店から戦後(昭和22~23年頃)発祥したと云われおよそ60余年の歴史があります。
醤油味がベースのスープに具は肉・もやし・白菜、その季節に有る具にあんをかけた簡単なものでした。
しかし当時ではラーメンよりボリュームがあり美味しく、あんがかかっているので寒い季節は温まって元気が出てくることから徐々に商品化されお店にも並ぶようになってきたのです。
最近では見た目も鮮やかに料理の色合いと、栄養価を引き出す基本、白・黒・赤・黄・青(緑)の5色の食材もやし・白菜=白 キクラゲ=黒 豚肉・人参=赤 たけのこ=黄色 ニラ・葉物=青(緑)などを載せ、栄養も考え合わせた美味しい調理法に変わってきました。
この具の中で「もやし」の存在は欠かせません。
材料費としても安くシャキシャキとして口当たりも良く、ボリュームもあるので 一般のお店がサンマーメンを取り扱うようになってからは「もやし」が主体に使われるようになってきたのです。
また麺料理の中に「もやしそば」があり、サンマーメンともやしそばは同じ商品と思われている人も少なくないようですが実は別な料理なのです。
基本的な味付けも違いますが、サンマーメンはとろみを付けたもの。もやしそばにはとろみを付けないのが一般的ですので区別できるでしょう。
⇒参照・引用元:『かながわサンマー麺の会』「サンマーメンの云われ」
http://www.sannma-men.com/origin.html
同会の説明のように、誕生は「昭和22~23年(1947~1948年)ごろ」とされています。ということは、すでに75年の歴史があることになります。現在では神奈川県のみならず、関東一円でサンマーメンを食すことができますが、広東語が使われていることから、やはり国際港を擁する神奈川県横浜市こそが発祥の地、本家本元と考えられるのです。