『私感・海』 僕の知っている海は汚い。|「#Z世代の目線から」エッセイコンテスト入選作品4
「#Z世代の目線から」エッセイコンテスト7月
入選作品4:「私感・海」タケイコウキ さん
1102文字/3分くらいで読み終わります。
僕の知っている海は汚い。水はこれでもかというほど濁り、漂着したゴミと変な泡が砂浜に寄せる波を象る。体感、ゴミは毎年増えていて、ボランティア清掃に参加しても翌年にはまた元通りか、あるいは更にひどくなっている。小学生の頃大人たちのポイ捨てに憤っていたあのエネルギーは、もう失くしてしまった。今僕はただ無感動に認識するだけだ。海は、汚いところなのだと。誰が汚したとかは別にもうどうでもよくて、僕にとってはこれが本来の海の姿なのだ。
だから普段海、と言いながら広大な水平線と溢れる生命、みたいにキレイな風景を思い浮かべるとそれは欺瞞だろって小さくセルフツッコミが入る。海という言葉で僕は茶色い波と洗剤の泡を思い浮かべるべきなのに。炎天下でゴミと塩とが混ざったあの匂いを思い出して、顔をしかめるべきなのに。僕はいつも海、と言いながら嘘をついている。大自然とか神秘とか、そんな海知らないのに、まるでそれが普遍の真実であるかのように海は大きいねとか言う。この前書いた詩では「水平線上の朝日を深夜にひとり希った」なんて気取っちゃって、いや何だよ水平線上の朝日って。想像してみろよ。う、汚っ。
海も僕の海、の語り方には不満を抱いているはずだ。僕だって例えば、友達による僕の紹介が「フツーにいいやつ」だけだったら少し淋しい。フツーに嫌なやつよりはいいけど、でも友達なのだから、知り合った場所や喧嘩したエピソードなど実際の関係を語ってほしいと思ってしまう。海も同じように思っているのではないだろうか。考えてみると地球上のほとんどの人が海を知っているけど、本当に自分の知っている海を思い浮かべながら海、と言う人は多分少なくて、歌とか小説で出てくる海、は、みんな知っている風に言うけど本当はどこにもない海だ。多分、海はかなり淋しい。
よし、海にも自分にも、嘘をつくのはやめよう。海と僕と、お互いにありのままの姿で向き合おう。
海。海は広いとか深いとか言うけど僕にはわからない。遠くは工場の煙で見えなくて、深くは水が濁って見えないから。ゴミと匂いだけ、僕は海についてそれだけしか知らなくて、それを海と呼んでいる。海、汚くて、あまり近づきたくないけどそれでも、これ以上損なわれてしまうのは淋しい。これ以上汚れてしまうのは悲しい。……うん、最終的にこれが僕の気持ちかなあ。何しろ僕はこの街に生まれたときから海と付き合っているのだ。やはり無関心にはなれない。海を嫌いになりたくないし、できれば好きになりたい。だからまあ、年に数回の清掃じゃ正直何も変わる気がしないけど、何もしないよりはいいだろうから、今年もボランティアに参加する。
著者:タケイコウキ さん |
学校・学年:立教大学 2年 |
Twitterアカウント:@Gidil115 |
著者コメント:拙稿の執筆が自分の気持ちと向き合うきっかけになりました。この気持ちがたくさんの人々に伝わり、特に同世代の人々と共有できることを祈っています。 |
エッセイに共感したらシェアしよう!
「#Z世代の目線から」7月期エッセイコンテストの結果と総評はこちら
==============
あなたもエッセイを書いてみませんか?夏のコンテスト実施中