結婚指輪はなぜ左手の薬指にするの? #もやもや解決ゼミ

編集部:ゆう

お気に入り!

あとで読む

日常に潜む「お悩み・ギモン」=「もやもや」を学術的に解決するもやもや解決ゼミ

結婚していることを示す「結婚指輪」ですが、この結婚指輪の文化はいつからあるのでしょうか? また結婚指輪は左手の薬指に着けるのが当たり前になっていますが、そもそもなぜ左手に着けるようになったのでしょうか?

今回は、結婚指輪の文化の成り立ちや左手に着ける理由を、関西大学の浜本隆志名誉教授に解説いただきました。

結婚指輪の慣習はいつからあった?

指輪の文化に関しては、四大文明発祥の地メソポタミア、エジプトでは4~5千年も前から印章指輪が存在し、出土しています。ただし、契約の概念と密接に結び付く結婚指輪の習俗が、この時代にあったかどうかは定かではありません。ヨーロッパでは通常、結婚指輪のルーツはギリシャ神話に登場するヘラクレスの「結び目」の伝説や、愛の女神アフロディテから生まれたということから説き起こします。その結婚指輪の習俗は、やがて古代ギリシャからイタリア半島中部のエトルリアを介し、古代ローマへと伝播していきます。

古代ローマでは結婚は親同士が決めました。紀元前3世紀ごろから契約の一種として、男性側から未来の花嫁の父親に婚資と指輪を贈り、花嫁の「売買契約」を結ぶという慣習が広がります。指輪は「契約成立の証拠の印」とし、婚約式にはそれぞれの両親、親類が集まり、かれらも証人の役割を果たしました。やがて円環のエンドレスの指輪を花婿から花嫁へ贈るようになり、これが永遠の愛のシンボルになったのです。

婚約・結婚指輪の習俗はユダヤ教やキリスト教という宗教と深く結び付き、発展してきました。というのも、『旧約・新約聖書』の「約」という字が示すように、ユダヤ教やキリスト教でも「神との契約」が宗教理念の根底にあったからです。同様に結婚も契約にほかなりませんでした。

古代ローマでは女神ユノ(Juno)が結婚を統括していると信じられていました。女神ユノは6月(June) の語源になった女神で、そのため6月に結婚すると幸福になれるという俗信が広まりました。この俗信は現在もジューンブライド(6月の花嫁)として残っています。実際に6月は穀類の収穫月であり、豊穣の月とされ、農家は結婚によって女性の働き手を確保する意図もありました。

その後、中世において指輪の贈与は婚約より、結婚式の重要なイベントとなり、指輪の交換のセレモニーが結婚式に組み込まれるようになりました。これが最初に記録に現れるのは1027年で、ドイツ最古の法律書『ザクセンシュピーゲル』(1220頃-35)にも、図解付きで結婚指輪の交換が描かれています。

日本では指輪の文化は長らく定着しなかった

日本でも縄文・弥生時代に指輪を装着していた証拠がありますが、婚約・結婚指輪の習俗は存在しませんでした。古墳時代には勾玉(まがたま)や指輪(大陸からも流入)をはじめ、豊かな装身具文化が花開いたにもかかわらず、モノで契約(結婚)を確認するヨーロッパ風の習慣は定着しなかったのです。というのも、日本には「祝言」という言葉が残っているようにモノではなく言霊が重視されていたからです。

以降も、多彩な装身具や指輪は寺院の鎮壇具として埋められたり、仏像の飾りにされたりして、江戸時代末期まで約1,100年間、日本では指輪はおろか装身具の類は姿を消していました。この経緯は世界に例がなく日本だけの現象です。かろうじて残ったのは、かんざしと根付だけでした。

たしかに、指輪を含めた装身具文化は、安土桃山時代に「南蛮文化」との関わりから例外的に復活しますが、その後の鎖国によって長い空白期が続くことになります。やがてそれは江戸時代末期から明治初期にかけて、再び長崎の出島を基点にして復活し、文明開化の時代に注目されるようになりました。最初に結婚指輪の習俗を受け入れたのは、「遊女」や文明開化派でした。このいきさつについては後述します。

結婚指輪を左手薬指に着ける理由は?

左手薬指に結婚指輪を着ける理由ですが、ヨーロッパでは古代ギリシャをルーツとする有名な通説があります。古代ギリシャ人は、心臓から左手薬指に導管(血管)が通っており、それを愛の導管と考えていました。そのため、結婚の際に左手薬指に指輪を着け、2人の結び付きのシンボルにしたといわれています。ヨーロッパでは円環のシンボルの指輪というモノが、精神的な愛の証拠とするという発想があったからです。

しかし、アメリカの作家でありフェミニストのバーバラ・ウォーカーは、『神話・伝承事典』の中で、「男たちは女性の左手に結婚指輪をはめたが、これは女たちの魔力を封じ、女たちの心をつなぎとめておくためであった」と述べ、この習俗をジェンダー論的に女性の霊力封じのためと解しています。実際には左手薬指は、指輪を装着していても、家事などの日常作業中に最も影響の少ない部位であったからという、利便性の面からの解釈が説得力を持ちます。

その後ヨーロッパでは、特にルネサンスの自由な雰囲気の中で左手薬指の習俗が無視されるようになり、次第に廃れていきます。そこでローマ・カトリックは1614年に、『ローマ典礼儀式書』の中で結婚指輪は左手薬指と定めました。いわゆる「古代回帰」ですが、ここから左手薬指に結婚指輪を着ける習俗がほぼ定着しました。

国よっては左手薬指でないケースも

日本では結婚指輪は左手薬指に装着するものと信じられており、これが全世界のスタンダードと思っている人が多いはずです。しかしそれは事実ではありません。調査結果では、確かにイタリア、フランス、イギリス、アメリカなどの国々では、結婚指輪は左手薬指に着けることになっています。

しかし、薬指の左右については各国の習俗の関係で異なり、ドイツ、オーストリア、ロシアなどゲルマン系やスラブ系の国々では、右手薬指に装着します。しかもドイツやオーストリアでは、ややこしい話ですが、「婚約時の指輪は左手薬指」、結婚すると「右手薬指」に変えることが多いのです。それは「右優位」の発想があるからです。

また歴史的にヨーロッパではこの原則が不変であったのではなく、ルネサンス時代には各地で人差し指にも結婚指輪を装着しました。従って、左手薬指の習俗はあくまで現在定着しているものとご理解ください。

日本で結婚指輪の文化が定着したのは最近のこと

日本で左手薬指の習俗が定着した発端は明治維新前の幕末の歴史にあります。当時の日本では、長崎の出島経由の蘭学だけが許されており、ドイツと同じオランダ(プロテスタント)の結婚指輪、すなわち右手薬指の指輪の習俗が長崎の遊女の間で広がっていました。というのも、出島のオランダ人が遊女に指輪をプレゼントし、故郷の習慣を教えたからです。当時の長崎へ遊学していた蘭学者たちも、オランダ風の結婚指輪の習俗に関心を持ったのです。

その後、明治維新後の新政府が、出島のオランダではなく横浜経由でイギリス、アメリカとの交流を深めました。その結果、お雇い外国人も英米の人々が増加していきます。そのため、日本でも明治10年ごろから、特に文明開化派の間で英米式の左手薬指の習俗を受け入れるようになったのです。

日本で結婚指輪が注目されだしたのは大正デモクラシーの時代で、さらにその習俗が広く一般に定着するのは、1960年代の高度成長期以降です。現在ではチャペルだけでなく、神前結婚式でも指輪の交換の儀礼(左手薬指)が組み込まれるケースがあるのは、ご承知のとおりです。

結婚した際に指輪を着けるのは、古代ギリシャでは精神的な愛の証拠、古代ローマでは契約の証しとして広まり、その後、永遠の愛のシンボルとして定着したとのこと。また、左手薬指に着けるという習俗も、古代ギリシャでは愛の証しという意味でしたが、利便性や宗教との結び付きもあり、大きく広がったようです。ただ、国によっては左右が違っていたり、時期によって左右を着け替えたりするというのは驚きですね。

イラスト:小駒冬
文:高橋モータース@dcp

教えてくれた先生

浜本先生先生 Profile

関西大学名誉教授。1944年香川県生まれ。関西大学文学部卒業、1972年同大学大学院文学研究科修士課程修了。関西医科大学専任講師、関西大学助教授を経て、同大学文学部教授、文学部長を歴任。専門はドイツ文化論、比較文化論。『指輪の文化史』(白水社)、『謎解き アクセサリーが消えた日本史』(光文社新書)など著書多数。

#もやもや解決ゼミ
バックナンバー

編集部:ゆう

編集部:ゆう

学生に「一歩踏み出す勇気」を持っていただけるような記事を届けたいです。

関連記事

「大学生活」カテゴリの別のテーマの記事を見る

おすすめの記事

編集部ピックアップ

学生の窓口会員になってきっかけを探そう!

  • 会員限定の
    コンテンツやイベント

  • 会員限定の
    セミナー開催

  • QUOカードPayが
    貯まる

  • 抽選で豪華賞品が
    当たる

一歩を踏み出せば世界が変わる無料会員登録

この記事に関連するタグ

あなたのきっかけを探そう

気になる #キーワード をタッチ

テーマから探そう

あなたへのきっかけが詰まった、6つのトビラ

会員登録でマイナビ学生の窓口をもっと楽しく!

閉じる
マイナビ学生の窓口に会員登録(無料)すると、
お気に入り機能などを利用してもっと便利にご活用いただけます!
  • 抽選で豪華賞品が
    当たる

  • 会員限定の
    学割でお買い物

  • 会員限定の
    セミナー開催