文学研究って素晴らしい!『視点を変えることで、思ってもみなかった世界が見えてくるんです。』#学問の面白さってなんですか?
"Education is a progressive discovery of our own ignorance."
– Will Durant (勉強とは自分の無知を徐々に発見していくことである。)
あまり勉強に熱が入らない大学生も多いのではないだろうか。もしそうなら、かなりもったいない。この連載では、勉強する意味を見出せていない諸君に向けて、文系・理系の様々な学問を探求する「知的好奇人」達からのメッセージをお届けする。ちょっとした好奇心が、諸君の人生をさらに豊かにしてくれることを祈って。
今回のテーマは「文学研究」!
そこで今回は、文学部で学ぶことや魅力、大学で学ぶことの意味を、フェリス女学院大学文学部で教壇に立つ向井秀忠教授に聞いてみることにした。
▶今回の知的好奇人:フェリス女学院大学 向井秀忠氏
INDEX
1.「正解はひとつではない。」大学で学ぶ意味とは。
2.文学研究、それは作品を通して「時代の精神」を読み解くこと。
3.誰にとっても等しく同じ「現実」などない。
4.文系も理系も、根っこでは繋がっている。
5.視点を変えることで、思ってもみなかった世界が見えてくる。
1.「正解はひとつではない。」大学で学ぶ意味とは。
――近年、大学で学ぶことに価値や意味を見いだせない学生が増えていますが、先生は大学で学ぶ意味をどのようにお考えですか?
私の授業の前提は「正解はひとつではない」ということです。大学でもそうですが、社会といったフィールドに出ると、あらゆる答えが正解になり得ますし、反対に正解に思える答えが不正解と扱われることもあります。一つの絶対的な正解があることはごくまれではないでしょうか。
大事なのは、一つの正解を見つけることではなく、自分が出した答えがなぜ正解なのかを他の人たちに説得的に説明すること。そのための方法を学び、社会を生き抜くための力を得るのが大学だと私は思います。私の授業では、主張そのものよりも、どうやって説得的に説明されているのかをより高く評価しています。
「ことば」を正確に読み取る方法を身に付ければ、自分の考えをきめ細かく伝えることができるようにもなります。文学を学ぶことは、そのための効果的な方法の一つだと思います。ぜひ大学でしっかりと学んで、自分の世界を広げ、「ことば」の裏表の意味をしっかり読み取る力を身に付けてほしいですね。
2.文学研究、それは作品を通して「時代の精神」を読み解くこと。
――先生の研究について教えてください。
私は19世紀のイギリス小説を専門に研究しています。ジェイン・オースティンやブロンテ姉妹、チャールズ・ディケンズなどの作品が中心です。
――そもそも「文学研究」はどんなことをする学問なのでしょうか。
一般的に「文学研究」とは、文学作品を鑑賞し、感想を述べ合うというイメージが強いようで、実用的でない学問といった意見を聞くことがあります。しかしながら、「文学研究」が取り組んできたのは、書いた作家がどのように社会を捉えていたのか、またその社会からどのような影響を受けてきたのかなど、作品を通して「時代の精神」を読み解くことです。社会や時代と密接に結びついた学問であると思います。
ただ物語を楽しむのであれば、大学で「文学」を学ぶ必要はありません。私の授業では、一つの時代の中で暮らしていた人々の考え方や感じ方を理解し、「その意識を持たずに作品を読むだけでは気付かなかった視点」から、作品を読み直すことを目指しています。
極論を言うならば、作品は、作家個人だけが書いたものではなく、時代が作家というフィルターを通して書かせたものという視点で文学作品を考えます。
――先生はルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』について、「当時のイギリス社会の階級意識が盛り込まれた作品で、ただの児童文学ではない」と分析されていますね。
この作品は、物語がアリスの「夢」であることに大きな意味を見いだすと、次のように作品を読み解くことができます。
アリスを導く白ウサギは、挿絵では当時のイギリスの典型的なジェントルマン階級の服装をしています。また、アリスは「巻き髪の友人」には好意的ですが、もう一人の友達に対してはとても辛辣(しんらつ)です。同じ友達なのに、上流階級の女性の髪型である「巻き髪」の友達にはほとんど触れず、自分より小さな家に住んでいるらしい、階級が低そうな友達には厳しく当たっています。このことから、深層心理において、アリスが階級意識を強く持っていたことを読み解くことができます。普段はそんなことは思ってもいないのでしょうが、「夢」にはアリスの深層心理が現れていると考えるわけです。
さらに興味深いのは、アリスが「好奇心」にあふれた「行動的」なヒロインであることです。当時のイギリス社会は「家庭の中の天使」を理想の女性像と称し、女性が「好奇心」を抱くことに否定的で、「受動的」であることを求めていました。それを踏まえると、あふれんばかりの「好奇心」を持って未知の領域に踏み込んでいくヒロイン像は、当時は斬新であったと考えることもできます。
深層心理では階級が低そうな友達に厳しく当たるアリス……。なんだか意外である。
文学研究では、固定観念にとらわれずに、常に「なぜ?」という視点を持つことが大事です。例えば、ヴィクトリア朝時代の女性作家の小説の多くはヒロインの結婚で終わっています。
ほとんどの作品が同じパターンで終わるのは、やっぱりおかしいですよね。その理由として、たまたまこの時代の作家個人の感覚が共通していたわけではなく、彼女たちが時代や社会の大きな流れに影響を受けながら、その枠の中で作品を書いていたからだと考えると、すっきりします。
つまり、「女性の幸福は結婚することにある」という社会の暗黙の了解です。「では、その大きな流れがなぜ作られたのか」について調べながら考えていくと、これまでは気が付かなかったことが分かり、作品の新しい一面が見えてくるのです。
――ひとつの疑問から次々に掘り下げていくのは面白いですね。
「結末が全てヒロインの結婚」ということから、当時のイギリス社会を支配していたイデオロギーの一つを読み取ることができます。女性は結婚して家庭の中に入るのが理想で、そうしない女性は良しとされませんでした。でも、これらの物語からあぶり出される問題が決して過去のものではなく、実は現代社会にも通ずるものではないでしょうか。過去の文学作品を研究して得られるものが、今の社会を考えるヒントになるのです。「昔は大変でしたね」では済まないはずです。
3.誰にとっても等しく同じ「現実」などない。
「ことば」は人間にとって非常に大切なものです。例えば、抽象的や概念的な「ことば」を知らなければ、相手の発言を極端に単純化して理解することしかできなかったり、自分の考えを細かなニュアンスまで伝えられなかったりします。
「ことば」は単なる意思疎通の手段であるだけではなく、自分がどのように世界と関わっていくのかを決める大事なものだと言えるでしょう。文学から「ことば」を学ぶことは、現実の社会との関わり方を疑似体験しているという点で、大きな意味を持っているのではないかと考えています。
――社会とのつながりを持つためにも大事なのですね。
「社会構築主義」という考え方があります。現実の世界とは、既存のものがあらかじめ存在しているのではなく、「ことば」によって創られていくとされています。
例えば、同じ現実を生きているはずなのに、ある人は「とても幸せ」と感じ、別の人は「とても生きにくい」と感じている、といったことはよくありますよね。一つの共通する「現実」を生きているのであれば、2人とも同じように感じているはずです。しかし、実は2人は、一つの同じ「現実」を生きてはいないからだと考えてみると、二人の感じ方が異なっている理由が分かってきます。つまり、誰にとっても等しく同じ「現実」などなく、人がそれぞれ自分の「ことば」を使って「現実」を創り上げているということになります。
文学を学ぶことで、「なぜ」という視点を持ち、物事をしっかりと複眼的に読み取る力こそが、多様性がますます重要になってくるこれからの社会を生きていくために必要だと思います。そのためにも、自分の考えを「ことば」を使って、きちんと発信する力が必要です。
最近は、特に「ことば」が軽視されている気がします。キャッチーで分かりやすい「ことば」だけが好まれ、しかも「まとめサイト」などのダイジェストを読むだけ。これでは正しく自分の「現実」を理解することはできません。抽象的なことや概念的なことを表す「ことば」が身に付いていないと、物事を表層的にしか理解できなくなり、判断する際にも、あらゆることを◯か✖という風に、単純にしか考えられなくなってしまいます。
4.文系も理系も、根っこでは繋がっている。
以前は、理系はデータや数字などを用いることで、感情を排して客観的に物事を論証していくもの、文系はそのように客観的に分析することができない人間の感情などの部分を扱うもの……と考えていました。ただ、例えば数学などでも、数式を頭の中で組み立てる際には「ことば」が使われているのだとすると、それも一つの「物語」を描いていることになる。そうであれば、体現するものが文章か数式かという違いがあるだけで、両者を区別する意味はないのかなと思います。
文系の分野でも、理系の知識があればより理解が深まるものもたくさんありますし、その逆も少なくないと思います。文系と理系は便宜上分けられているだけで、もしかしたら区分にはあまり重要な意味はないのかもしれませんね。
5.視点を変えることで、思ってもみなかった世界が見えてくる。
文学を学ぶことで、「ことば」を正確に読み解く力が付きます。先ほどもお話ししたように、私たちの「ことば」がそれぞれの「現実」を創っているのだとしたら、「ことば」を学ぶことの大事さがよく理解できると思います。文学作品は、「ことば」を使って「現実」を創っていくことのシミュレーションだと考えるとします。そうすると、文学を学ぶことを通して、「ことば」を使って「現実」を創り上げることを学んでいることにもなります。
作品をひっくり返して読む、斜めから読むといった言い方をしますが、視点を変えて読むことで思ってもみなかったことが分かってきます。「当たり前だと疑問に思わなかったことが、少し見方を変えるだけで、実は当たり前ではなかった」という発見が得られる……というふうに。
シェイクスピア『ヴェニスの商人』に、シャイロックという登場人物が出てくるのですが、当時のユダヤ人に対するステレオタイプにならって徹底的に悪人として描かれています。ただ、最近では、シャイロックの視点から物語世界はどのように見えるのか、また作品はどのようにすれば公平に読むことができるのかを考える文学研究がなされるようになりました。世界をマジョリティからだけではなく、マイノリティの立場から眺めるとどうなるのか、という試みです。
これまで当たり前とされてきたことが、実は文化的創造物に過ぎない、つまり「人間が勝手に創り上げてきたものである」という見方は、社会のあり方を大きく変えます。文学作品をさまざまな批評理論を用いて分析することで、私たちがとらわれてきた多くの考え方には、実は何の根拠もないことが分かってきます。
人種偏見のあり方などを批判的に指摘したポスト植民地主義的な視点、異性愛者中心の社会の欺瞞(ぎまん)性を暴いたクィア理論など、新しい批評理論が出てくるたびに、文学研究の幅が広がり、私たちの社会の見方も多様化してきました。これからもそうなっていくのだと思われます。
「文学研究では『なぜ』という視点を持ち、物事をしっかりと複眼的に読み取る力が大事である」と語っていた向井先生。 一つの事象をただ一つの「正解」としてみるのではなく、様々な視点から分析をする「文学研究」は、人生をさらに豊かにしてくれる学問だという印象を受けました。 また、大学で文学を学び研究することは、文学の知識だけでなく、社会を生き抜く力を身に付けることでもあるとのこと。文学部に対して「大学で文学を学ぶ意味があるのか」というネガティブなイメージを持っていた人は、今回の向井先生のお話でそのイメージが大きく覆ったのではないでしょうか。
●取材協力
⇒フェリス女学院大学
<向井先生プロフィール>
明治学院大学文学部英文学科卒業。同大学大学院文学研究科英文学専攻博士後期課程単位取得満期退学。松山大学法学部教授を経て、現在フェリス女学院大学文学部英語英米文学科教授。専門はイギリス小説。https://www.ferris.ac.jp/depar...
writer:中田ボンベ@dcp
editor:編集:ナベ子
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