【連載】『あの人の学生時代。』#13:厚切りジェイソン「自分のことは自分でやりなさい」
著名人の方々に大学時代のエピソードを伺うとともに、今の現役大学生に熱いエールを送ってもらおうという本連載。今回のゲストは、「WHY JAPANESE PEOPLE!!!!」と日本のちょっとおかしいところに突っ込むネタでおなじみの、厚切りジェイソンさんです。芸人だけでなくIT会社の会社役員も務めるなど、まさに「二束のわらじ」を実現している彼、そんな厚切りジェイソンさんの大学時代はどんなものだったのでしょうか? 知られざる彼の学生時代に迫ってみました。
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17歳で大学に飛び級進学!
――厚切りジェイソンさんは、17歳のときにミシガン州立大学に入学されていますが、それはどういった経緯だったのですか?
いわゆる「飛び級」での入学で、ミシガン州立大学に2年生として入りました。僕は中学で1年飛び級して、高校で大学のカリキュラムを1年間学んで単位を取得したので、その流れで17歳で大学に入った、という感じです。
――飛び級と聞くと「勉強ができる人」というイメージがありますが、勉強は好きだったのですか?
いや、全然。むしろ嫌いなほうでしたね。勉強は嫌いだし、面倒くさいと思っていました。だから早く自由になって好きなことをやりたいから、さっさと勉強をして終わらせてしまいたい一心でしたね。だから自主的に勉強するということもあまりなかったです。
――17歳で大学に入られて、どんな感想を抱かれましたか?
アメリカの多くの大学生がそうだと思いますが、大学に入ると寮生活になるので、そこで「初めて家族と離れて暮らす」ということを経験するんですよ。その初めての一人暮らしは、新鮮というか冒険的でした。
――たしかに初めての一人暮らしはドキドキしますね。
ミシガン州立大学の1、2年生は必ず寮生活をしないといけなかったので、僕だけでなく、他のみんなも初めて親元を離れて生活するという人でした。親元を離れて自由になるということで、そこは「自由の村」になるんですよね。それによっていいこともありましたし、悪いこともありました。
――例えばどんなことですか?
「いいこと」でいえば、自由であるからこそ「自分でなんでもやらないといけない」という「自己管理」の精神が身に付きますよね。洗濯機を回すことや買い物をするといった家事は、家族と暮らしているとしないもの。寮生活という「やらざるを得ない環境」で「大人になる第一歩」を磨くことができたと思います。
反対に「悪いこと」でいえば、そうですね……アメリカの映画で大学の寮の様子が描かれることがあると思いますが、あのとおりです。特にうちの寮は男女別ではなく、階数で分けられているだけだったので、まあいろんなことがありました。
――勉強はどうでした?
大学ではコンピューターサイエンスを専攻していましたけど、全然です。2年間本当に適当で好き放題でした。ただただ好きなことをして遊んでいるだけです。でもその後は日本の研究所に行く機会もありましたし、真面目にやりましたね。徹夜で勉強することも多かったです。
――アルバイトなどはしていましたか?
アルバイトもしていましたよ。食堂の手伝いや、企業のWebサービスを管理する仕事とか……。バイト以外にも遊びとしてディスクゴルフという、フリスビーのようなものを投げてゴールに入れるというスポーツは楽しかったのでよくやっていました。
――当時から日本で仕事をすることを考えていたのですか?
いろんなことを考えると、やっぱりアメリカのほうが待遇がいいだろうと思っていたので、大学のころは日本で働くことは考えていませんでした。「日本っていいな」という考えを持ったのは日本に来てからでしたね。