今はなぜ私服? 大学生はいつまで学ランを着ていた? 歴史を調べてみた

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男子学生の着る詰め襟の学生服、いわゆる「学ラン」。現在の学ランは、一般的に中学生、高校生の着る制服となっていますね。でも、この学ランはもともと大学生の制服として考えられたものでした。大学生が学ランを着ていた時代があったのです。では、それはいつ消えてしまったのでしょうか。

■そもそも「学ラン」はいつからある!?

まず「学ラン」はいつからあるのでしょうか。現在の学生服につながるそのルーツは、1886年(明治19年)に東京帝国大学が定めた「詰め襟型の制服」とされています。同年、文部省が高等師範学校でも同様の制服の採用を決めます。

夏服は白色で、冬服は黒色または紺色というのが一般的だったようです。前の合わせはボタンか、フックで留めるかどちらかだったそうです。しかし、このような制服は高価であったため、大正初期に至るも地方まで普及するとはいかなかったとか。

当時は着物にげたという姿の大学生が一般的だったそうです。大学生だと分かるのは「学帽」で、特に帝国大学の学帽は一種エリートの証しでもありましたから、女性にも注目されモテたそうです。大正中期から日本全国に洋服が広く普及し、それに伴って学ランもより一般的になりました。

■60年代はまだ学ランを着ていた!?

第二次世界大戦中には「国民服」というものがあったため、学ランは衰退しました。しかし、今でも8月になるとよくテレビなどで流される「学徒動員」の映像を見ると、動員された大学生は学ラン姿で行進しています。国民服の着用が促された戦時中でも、大学生は本来学ランを着るものであると意識されていたのですね。

戦後になって、物不足が解消されるようになると、大学生の学ラン着用も一般的になります。50年代までは大学生が学ランを着ていることは普通に見られることでした。この状況が大きく変わるのは1960年代になってからです。

徐々にキャンパスファッションもカジュアルになっていきました。これには団塊の世代が大学生になり、その意識の変化が大きく影響したといわれます。1960年代には大学紛争、安保闘争といった学生運動が起こります。この大学改革の動きの中でも学ランの着用者は少なくなっていったとされます。

しかし、例えば、安保闘争時代の映像などを見ると、学ランを着用した大学生がいることが分かります。きちんと襟を留めた学ランの大学生を見ると、そういう時代だったんだなあと思わされるのではないでしょうか。

しかし、60年代の終わりから70年代と時代が進むにつれ、大学生のファッションは多様化し、よりおしゃれになっていきます。70年代には学ランを着ている大学生はすっかり見られなくなっていたと考えられます。

そして現在では、普通大学には制服はありません。応援団などで着用されることがありますが、それ以外でキャンパスで学ランを着ている大学生は全く見ないのではないでしょうか。元々は大学生の制服だったのですが、学ランは中学生、高校生の制服として生き残っているのです。

(高橋モータース@dcp)

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