【お年玉っていつからあるの?】日本文化専攻の下川雅弘教授が「お年玉文化」もやもやを解説! #もやもや解決ゼミ
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今回は、「お年玉の文化」がテーマです。そもそも「お年玉」っていつから行われている習慣なのでしょうか? また、最初からお金を渡す行為が行われていたのかも気になるところですよね。『駒沢女子大学』日本文化専攻の下川雅弘教授に答えてもらいました。
⇒大学生に聞いた、お年玉を「もらう側」or「あげる側」の境界線は?

室町時代に「正月に物を贈り合う習慣」があった
民俗学的な解釈では、年神様にお供えした餅を、目上の者が目下の者に配分したことが、「お年玉の起源・由来」とされています。いったん神棚に供えた餅を年少者に分け与えた風習が、その始まりではないかと考えられているのです。
一方、歴史学の視点では、少なくとも室町時代には「正月に物を贈り合う行為」が行われていたことが当時の史料から分かっています。新年に刀やお金などを贈り物として持参しており、メインは大人同士のやり取りでした。江戸時代の史料にも、正月に物を贈り合っていたという記録が残っており、室町時代よりもかなり自由に、さまざまなものを贈り合っていたことが分かっています。
「年玉」という言葉が史料に現れるようになったのもこの頃からです。例えば、17世紀初頭に編纂された『日葡辞書』には「Toxidama(トシダマ)、新年の一月に訪問したおりに贈る贈物」と記載されています。
また、江戸時代前期の年中行事解説書である『日次紀事』にも、「およそ新年互いに贈答の物、総じて年玉と言う」という記述が残っています。つまり、正月の年頭祝儀の挨拶に添えた贈り物全般を「年玉」と呼んでいたようです。江戸時代以前、室町時代にも、同じように「年玉」と呼んでいた可能性はあるでしょう。
次第に「目下の人に贈る物」へと変化
江戸時代後期以降の史料には、誰が誰に「年玉」を送ったのかの記載が多く見みられるようになりますが、「年玉」は対等な関係の人や目下の人に贈るケースが多く、目上の人に「年玉」を贈ることはあまり見られません。目上の人に贈り物をする習慣はありましたが、目上の人への贈り物は「年玉」ではなく「お年賀」と呼ぶのが一般的になっていきます。
「年玉」は時代を経ていく中で、少しずつ「年始に目下の人に渡す物」という意味合いが強くなっていったことが、史料からは見て取れます。子供に渡すようになったのも、何か決定的な出来事があって一気に切り替わったのではなく、「商人がお得意さまの子供にも年玉を渡した」など、最初はちょっとした行為だったと思われます。そこから少しずつ広まり、「子供に渡す物」という形に変わっていったのだと考えられます。
「子供にお金を渡す」が定着したのは戦後
現在のように「子供にお金を渡す」という行為が一般的になったのは、戦後からです。戦前には「お年玉は子供にあげるもの」となりつつありましたが、子供が喜ぶような物を渡すのがほとんどで、お金をあげるケースは少数でした。しかし、戦後になると、物をあげるケースは少なくなり、高度成長期のころには、「お金を渡す」のが定番になりました。非常に短い期間で「物」から「お金」へと変わったのです。
断定はできませんが、お年玉としてお金を渡すようになった理由として「子供がお金を持つ意味ができた」ことが考えられます。戦後になってから、各地域に駄菓子屋など子供がお金を使う場が増えるなど、子供がお金を使うことが急速に一般化したことで、お年玉の内容も変化していったのではないでしょうか。

歴史学の視点では、室町時代にはすでに「正月に物を贈り合う習慣」があり、「年玉」と呼ばれていたようです。そこから年月を経ていく中で、目下の人に贈る物へと変化して、戦後になって「物からお金」に変わったとのこと。実は「子供にお金を渡す」というのは、最近になってからのことだったのですね。
◇教えてくれた先生
下川雅弘先生
駒沢女子大学 人間総合学群 人間文化学類 日本文化専攻教授。日本大学大学院
文学研究科 史学専攻修了。日本大学文理学部 助手、横浜美術短期大学 兼任講
師を経て、2009年に駒沢女子大学人文学部 専任講師に就任。2020年より現職。
専門は日本中世史、贈答文化史。
文:大西トタン@dcp
編集:学生の窓口編集部



























