『うみとともに』 私は海が好きだ。広い海原と青い空、思い浮かべるだけで心が躍る。|「#Z世代の目線から」エッセイコンテスト入選作品5
「#Z世代の目線から」エッセイコンテスト7月
入選作品5:『うみとともに』木島幸太郎 さん

1229文字/3分くらいで読み終わります。
私は海が好きだ。広い海原と青い空、思い浮かべるだけで心が躍る。昨年行った宮崎の海は特に美しかった。紺碧の海と空がはるか遠洋で一致する。美を体現したような海に思わず息を呑んだ。
ちなみに趣味は魚釣りだ。よくする釣り方は海底に居着く魚を狙うものである。未だ思うようにいかず、コツコツとした海底の起伏を感じるだけで帰ることも多々ある。投げて回収して、また投げて回収して・・・・・・の繰り返しである。
ただ、釣れなくても充実感はある。楽しいのだ。
釣れないのに楽しい、とは釣りをしない方には此は如何にと思われるだろう。魚釣りと言っても、仕掛けを作ることから始まり、魚に針をかける、魚を陸に揚げる、はたまた食べることも包含されよう。私の好きな釣りの部分は「コツコツとした海底の起伏を感じる」ことだ。だからこそ、釣れなくても没頭しているのである。
海底を感じている時、不思議にも安心感を感じる。海、とりわけ海底は生命の誕生の地であると通説にあるから、産みの母である海に安堵しているのか。奇しくも海底と糸一本でつながる様は、へその緒で繋がる母と子のようでもある。何にせよ、私は海が好きなのである。
昨秋の明け方、魚釣りをしていた。竿がぐっと重くなる。夜更けから釣りをしていた私はこれで最後と、期待を膨らませながら必死に手繰り寄せた。魚のようには動かない。タコかなあと思った。目の前にきた。しかしそれは土嚢袋のような袋であった。ああ、残念。
釣りをしていると生き物でないものを釣ることがある。この土嚢袋はどこからきたのか、捨てたのか、風で飛ばされたのか、知る由もないが、どこからともなく流れてくるのである。海面には時々、ペットボトルが浮かんでいることもあり、砂浜に打ち上げられていることもある。昨今、議論される海洋ごみの問題の渦中にいることを改めて実感した。他にも釣りをしているとゴミを見る。堤防には釣りの仕掛けが入ったプラスチックの袋が捨てられていたり、糸屑が落ちていたり、針が落ちていたりする。
この状況に対して、母なる海はどう思うだろうか。母はきっと汚したら「片づけなさいよ!」と言うだろう。どこの母も初めはそのくらいであろう。しかし、それが続けば怒る。悲しみもする。そして子どもにも影響が返ってくる。破砕されたマイクロプラスチックは人体に滞留するらしい。人体にも良からぬ影響があるようだ。それらしいことがメディアでも言われている。
人体に影響がある、この問題が取り沙汰される。科学的な根拠を求めたがる。大人はそれを正しいとし、行動指針とする。しかし事態をもっとシンプルに考えたい。誰も母から怒られたくないし、悲しむ顔を見たいと思わないだろう。それでは、母が喜ぶようなことをしよう、と私は思って実行する。ゴミを捨てない、ゴミ拾いをする。「来た時よりも美しく」これを皆が実践すれば、自ずと良くなるはずだ。
母には長生きしてもらいたい。それだけだ。
著者:木島幸太郎 さん |
学校・学年:熊本大学 4年 |
著者コメント:「うみ」を「海」と「産み」で捉えて書きました。身近なことから様々なことを考え、書きました。複雑に絡まりながら思考は行き詰まりましたが、結局シンプルに考えることが近道かもしれないと思い、結論としました。頭でっかちになるより、直感的に善いことをしていこうと思いました。拙文ですがご覧いただきありがとうございました。 |
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