「すべてが便利でなくていい」京大・川上教授が研究する、世界をよくする「不便益」とは?

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 「すべてが便利でなくていい」京大・川上教授が研究する、世界をよくする「不便益」とは?

新しい技術が次々に開発され、世の中はどんどん便利になっています。そうして便利なことに慣れてしまうと、古い物や設備に対して「不便だなぁ」と思うこともあるでしょう。

しかし、不便なのは決して悪いことではなく、むしろ私たちにプラスになることもあるのです。そうした、不便がもたらしてくれるプラスを、京都大学の川上浩司教授は「不便益(ふべんえき)」と呼び、注目するよう提言し続けています。

今回は、この「不便益の研究」についてご紹介します。

不便益とは?

「不便益」は、京都大学情報学研究科の特定教授・川上浩司先生が提唱されているもので、その名のとおり「不便だからこそ得られる益」という意味です。

川上浩司先生

不便益を提唱、研究されている川上浩司先生

「便利な方が楽でいい!」「なぜ便利じゃいけないの?」と考える人も多いとは思いますが、「便利であることにはマイナス点もある」と川上先生は提言しています。

例えば、便利になればなるほど、そこに人が介入する余地が減ります。何でもワンタッチで操作できる機械があれば便利ですが、毎日そのボタンを押すだけの生活では、新しいなにかは生まれないのかもしれません。

反対に、不便になることで、どんな利益が得られるのでしょうか? 先生が例に出しているものに「バリアアリー」があります。これはお年寄りに配慮する「バリアフリー」とは、逆の発想。階段や長い廊下をあえて設置することで、体を動かす機会を増やし、身体能力の衰えを軽減させるという考えです。

といっても、お年寄りに何の配慮もされていない設備にするのではなく、お年寄りの訓練になるようなレベルのバリアを、専門家の指導の下、新しくデザインするのです。「ただ不便にするのではなく、私たちに何らかのプラスの作用が生まれるようにする」というのが、「不便益」の、基本的な考え方です。

このような「不便益」の意味を踏まえた新しいデザインを考案するのが、川上先生の研究テーマになっています。

師匠のひと言が研究のきっかけになった

川上先生はなぜ不便益を研究することになったのでしょうか? 研究に取り組むことになった経緯や、不便益が私たちの生活にもたらすものについてお伺いしました。

――不便益を研究するようになったきっかけを教えてください。

川上先生 私が助教授として入った研究室の師匠(京都大学名誉教授・片井修)が、「これからは不便益やで」と言い出したのがきっかけでした。

その言葉の意味を考えていくうちに「不便だからこそ得られる益」という発想に至り、「この考えかたは工学でも生かせるのでは?」と、その言葉をもらって研究することにしました。

――師匠のひと言がなければ、不便益の研究は生まれなかったのですね。

川上先生 ただ、師匠は哲学的な意味でおっしゃっていたので、そのままだと工学研究には生かせないなと思いました。

その当時、サッカー日本代表の監督はオシムさんでしたが、師匠は「オシムの顔に刻まれている深いしわを見ろ。これだけ深いしわが刻まれるというのは、相当不便なことを経験してきたからだ。だからこそチームのみんなが彼についていくんだ!」って言うんですよ。

これは工学研究には結び付かないだろうなと、そのときはあまり気に留めていませんでした。

――オシムの顔のしわが、工学研究になるとは思わないですよね。でも、それがなぜ「不便だからこそ得られる益」という発想になったのでしょうか?

川上先生 師匠は工学系の研究をされていたので、工学に関するいろんな不便益を教えてくれるんですよ。その中で、自動車メーカーの組み立て作業に関する話がありました。

車の組み立ては「ライン作業」が一般的ですが、他にも「セル生産方式」という、一人、または少人数で一台の車を組み上げるものがあるんですね。

実際の組み立ては「ライン作業」の方が便利なのですが、作っている側からすると、手間の掛かる「セル生産方式」の方が「自分が車を作っているんだ」という気持ちになりやすく、責任感も高まりますし、スキルやモチベーションの向上につながるというのです。

この話を聞いたとき、「工学の研究でも不便益の発想を用いることができる!」と考えたのです。

――まさしく不便から得られる益ですね。

川上先生 使う側だけでなく、作る側も「便利にしないといけない」「便利なものではないと売れない」という常識にとらわれているのではないかと思います。不便益は、そこに対して、新たな角度からの視点を提案しています。

――先生は「便利であることが当たり前だという世の中が気持ち悪い」と著書※の中でおっしゃっていますね。

川上先生 今の世の中は便利になりすぎて、手間を掛けたくても掛けさせてくれません。そのチャンスがないのです。不便益の研究には、そうした「便利であるならそれでよい」という世の中に対して、一石を投じる側面もあります。なので「手間を掛けさせてくれる新しいデザインを探す」というのが大事になるのです。

※『不便益のススメ: 新しいデザインを求めて』(岩波書店)

不便益が私たちの生活にもたらすもの

――不便益の研究は、私たちの生活に何をもたらしますか?

川上先生 不便からは、8つの益が得られると考えています。

・主体性が持てる
・工夫できる
・発見がある
・対象が理解できる
・安心・信頼できる
・上達できる
・私だけ感が得られる
・能力低下を防ぐ

便利になると受動的になり「やらされている感」が強まりますが、不便なものは主体的に動けることが多いため、自分で行動しているという感覚が得られます。不便だからこそ、自分の頭を働かせて工夫しようとするのも益の一つですし、何か工夫をするということは、その前段階で何らかの発見をしたはずなんですね。

――対象が理解できるというのはどういった意味ですか?

川上先生 便利なものって「中身がどうなっているのか」がわかりにくいと思いませんか? 例えば、自動車の「オートマ(AT)」はペダルを踏むだけで走るので便利ですが、なぜアクセルを踏むだけで変速してちゃんと走るのか分からない人が多いと思います。

一方、「マニュアル(MT)」は手間が掛かりますが、クラッチを切ってギアを変え、またクラッチをつなぐといった、どうやって変速しているのかの仕組みがわかります。このように、不便なものは理解しやすいのです。

――確かに便利なものは、どんな仕組みで動いているのか分からないことが多いかもしれませんね。

川上先生 仕組みを理解することは安心・信頼にもつながります。また自動車の話になりますが、今はリモートコントロールキーが主流で、ボタンを押すと簡単にロック・解除ができます。ただし、ボタンを押せば赤外線が飛んでロックされるというのは、機械との約束です。ボタンを押してピピッと鳴っても、ロックされていないかもしれませんよね。

鍵を差し込んでひねってロックするのは、手間が掛かりますが、ひねることで機械が動き、ガチャっとロックされるのがちゃんとわかりますから、安心できます。

――本当にロックされているのか不安でもう一度ボタンを押したり、近くに行って確認したりする人もいますね。

川上先生 そうやって、発見・工夫をすることで今度は「上達」が得られます。対象を理解していれば、工夫の幅も広がるため、上達を後押ししてくれます。そうして発見・工夫・理解を繰り返していくうちに、パーソナライゼーション(自分だけのものと思わせるようになること)が得られます。また「バリアアリー」のように「能力低下を防ぐこと」も不便から得られる益です。

「不便益」は新しいデザインを生み出せるのが面白い

――不便益の研究の面白いと思うところは何ですか?

川上先生 不便益を踏まえた、新しいデザイン案を生み出すのが面白いですね。不便という観点で見ると、これまで思ってもみなかった発想のデザインが出てくることがあります。また、これまで「不便なことでいいことは何一つない」という考えだった人が、不便益に触れて考え方が変わり、「不便なことがプラスになる新しいデザイン」をどんどん考えるようになるのを見るのもうれしいですね。

研究室

先生の研究室。ここからさまざまなデザインが生まれている

――3回同じ道を通ると周辺地図が消えてしまう「カスれるナビ」や、「素数ものさし」など、不便益を踏まえた新しい発想のものが多く生まれています。

川上先生 地図が消えてしまうナビは、いつでも正確な情報が得られるという、ナビの本質からは離れたものですが、普通のナビを使った人と比べて、通った道の周りの風景を覚えている傾向が高くなりました。道を覚えるために、周辺の景色を覚えようと頭を使ったのだと考えられます。

【使うたびに地図がかすれて消えていくナビ】

地図がかすれて消えていくナビ

【3回通ればこのように真っ白に】

地図がかすれて消えていくナビ

――素数ものさしはネット上でも話題になりましたし、京大の名物としてすっかり定着しましたね。

【人気グッズとなった素数ものさし】

素数ものさし


川上先 いろんなものを生み出してきましたが、「売り物になった」という意味では、この素数ものさしは気に入っています。

――反対に、この研究のつらいところ、難しいと思うところは何ですか?

川上先生 論文になりにくいことですね。どんな面白いデザインのものが生み出せたとしても、「こんなのができました!」では論文にはならないんですね。ですので、HPで一生懸命にアピールしているのですが(笑)。

――他にはどんなことが挙げられますか?

川上先生 不便益の意図が全く通じないことがあります。例えば、腹筋運動を「苦しいけど筋肉が鍛えられる」。ひと駅前で降りて歩けば「しんどいけどいい運動になる」。このようなことを不便益と考えるのは、ちょっと違います。これらは当たり前のことです。「仕事もしんどいけど、お金がもらえるから不便益ですよね」って言われても、「そうだね」とは言えませんよね。

というのも、「何が不便益」で「何が不便益でないのか」の線引きが難しいからなのだと思います。

私たちが不便益を用いたデザインを考えるときも、こうした「当たり前」のラインで考えてしまうことがありますからね。線引きの難しさも、この研究を難しいと感じるポイントのひとつです。

――具体的な指針を出すことが大事になりますね。

川上先生 そうですね。不便益を用いたデザインの指針を、今一生懸命探しているところです。

不便益グッズによって多様性のある社会に

――今後の目標や展望を教えてください。

川上先生 不便益を実装したものが世の中にどんどん出てきてほしいです。例えば、メーカーから不便益認定シールが貼られた「不便益認定製品」が出るといいですね。その結果、「手間を掛けさせてくれることの価値」をみんなが分かってくれるとうれしいです。

――そうなると、使う側も選択の幅が広がりますし、多様性も生まれますね。

川上先生 そうですね。何もかもが便利なものになるのではなく、「何もかも便利な方がいいんだ」という便利志向の人は便利なものを手に取り、「手間を掛けたい」という人は不便益のものを手に取る、そんな世の中にしたいですね。

いろんな考えを持ってみよう

――最後に、研究者を目指す大学生へのメッセージをお願いします。

川上先生 いろんな考えを持ってほしいです。「いつでもどこでも誰かと同じ」では楽しくないですからね。その上で、誰かと同じにならないようにするには、どうすればいいのかを考えてみると、自分が目指すものが見えてくるかもしれませんよ。

――ありがとうございました。

便利というのはうれしいことですが、新しい発見や成長の機会を失ってしまっているのかもしれません。一方、不便で手間の掛かるものでも、実は自分にとってプラスになることがえられる可能性があります。

ときにはあえて不便なものを選んでみてはどうでしょうか? もしかしたら、便利なものを使っていたときよりも充実した毎日が送れるかもしれませんね。

(中田ボンベ@dcp)

川上先生プロフィール
京都大学情報学研究科特定教授。人工知能や進化論的計算手法をシステムデザインに応用してきたが、京都大学共生システム論研究室に配属後、人と人工物の関係を考え直し、「自動化」に代わるデザインの方向性を模索中。著書に『不便益のススメ: 新しいデザインを求めて』(岩波書店)、『不便から生まれるデザイン: 工学に活かす常識を超えた発想 』(化学同人)など。

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