ザック、ピクシー、バース……親日家になった外国人助っ人9選
サッカー、野球などスポーツには「助っ人」と呼ばれる外国人がチームに加わることがあります。そんな助っ人外国人の中には、訪日している間にすっかり親日家になる人も。今回は、親日家になった外国人助っ人をピックアップしてご紹介します。
●ドラガン・ストイコビッチ
セルビア人のサッカープレーヤーで、UEFAチャンピオンズリーグで優勝を経験するなど大活躍をし「ピクシー」の愛称でファンに親しまれました。1994年-2001年には日本の『名古屋グランパスエイト』でプレーヤー、2008年-2013年には同チームで監督を務めました。長い日本での生活の間に親日家になったようで、大の和食好きとしても知られています。「鮎の塩焼き」「納豆」が特に好物とのことです。
●タフィ・ローズ
アメリカ人の野球選手で、『大阪近鉄バファローズ』『読売ジャイアンツ』『オリックス・バファローズ』『富山GRNサンダーバーズ』でプレーし、現在はサンダーバーズで選手兼コーチを務めています。日本野球史上に残るホームランバッターで、2001年には当時最多タイ55本のホームランを記録しています。近鉄時代に8年間を大阪で過ごし、ファンからとても愛されためか「大阪人に生まれてきたい」と語ったことがあります。
●ランディ・バース
アメリカ人の野球選手で、1983年-1987年に『阪神タイガース』でプレーしました。1985年には掛布雅之、岡田彰布と強力なクリーンアップを組んで対戦チームに恐れられ、阪神の21年ぶりの優勝に貢献しました。現在でも「史上最強の助っ人」と呼ばれファンに愛され続け、本人も親日家であるためイベントなどでたびたび来日しています。神戸牛が大好物とのこと。
●アレックス・ラミレス
ベネズエラ出身の野球選手で『東京ヤクルトスワローズ』『読売ジャイアンツ』『横浜DeNAベイスターズ』『群馬ダイヤモンドペガサス』と日本のチームを渡り、現在はDeNAの監督となっています。現役時代から「アイーン」といったパフォーマンスを行うなど、明るいキャラクターでファンから愛されました。2015年には日本人女性と再婚しています。
●カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル
「ジュニーニョ」の愛称で親しまれたブラジル人のサッカー選手で、『川崎フロンターレ』『鹿島アントラーズ』でプレーしました。一時、日本への帰化を考えたこともあるほどの親日家で、2014年にはその貢献から「Jリーグ功労選手賞」を受賞しています。
●ギジェルモ・モスコーソ
『横浜DeNAベイスターズ』に所属する野球選手です。ベネズエラ出身で、2013年までは米メジャーリーグで活躍していました。2013年12月に『横浜DeNA』に移籍。アメリカにいるころから日本食が大好きだったようですが、来日してからはその好きさに拍車が掛かりました。好物はチャーハンとギョーザだとか。また焼き肉も大好きだそうです。
●マット・マートン
2010年-2015年に『阪神タイガース』でプレーした選手です。優れた打者で、2010年には「214安打」を記録しています。来日してから「牛丼」が大好物になり、冷蔵庫に常にストックしてあるほどだったとか。ファンに惜しまれる中、2015年にタイガースを退団。現在はアメリカに戻り、『シカゴ・カブス』に所属しています。
助っ人と呼ぶのはおかしいかもしれませんが、以下の人も忘れられるわけにはいきません。
●アルベルト・ザッケローニ
2010年-2014年のサッカー日本代表の監督を務めました。監督就任前から日本にはいいイメージを持っていたそうですが、実際に監督になってからは本格的な親日家となったようで、2011年には「私は半分日本人だと思っている」と発言しています。また来日してから「ワサビ」が大好物になり、居酒屋で飲むのも好きだったようです。
助っ人外国人として来日して、半世紀も日本にいる人がいます。
●ロベルト・バルボン
元阪急ブレーブス選手で、キューバから来た助っ人です。阪急ブレーブスで1955年-1964年、近鉄で1965年にプレーしました。キューバ革命のため、祖国に帰れなくなってしまい現在も日本で暮らしていらっしゃいます。現役を退いた後は通訳などを務めました。性格が明るく、その愛嬌あるトークと「?」な通訳でファンからとても愛されました。
ダウンタウンの浜田さんによれば、当時は「バルボン! 背広買うたろかー」などの野次が球場に飛んでいたそうです(笑)。
サッカー日本代表監督を務めたジーコさんも大の親日家ですし、他にも親日家外国人助っ人はたくさんいます。日本に親しみを覚えてくれる外国人の皆さんが増えるのは、日本人としてうれしい限りですね。親日家の外国人助っ人というと、あなたはどんな人を挙げますか?
(高橋モータース@dcp)