【インタビュー】「よくサボり、思いきり遊んだ」作家・林真理子の大学時代と、今の大学生世代に思うこと 2ページ目
■テニス、バイト、宅飲み、読書……思い切り遊んだ大学時代
——ところで林さんは、どんな大学時代を過ごされていたのですか?
大学時代、ある作文コンクールで入賞してパリに行ったんです。帰国してパリで買ったスカーフを着けていたら、みんなから「おしゃれになったね」みたいに言われて、ちょっと“目覚めた"時期がありました。また2年間テニスをしましたが、1年生ってすごくかわいがられるから、その頃はとても楽しかったですね。2年生になると、態度が豹変するんですけど(笑)。結構恵まれて楽しかった時期と、逆にバイトに明け暮れた時期がありましたね。
——かなりバイトに打ち込まれていたのですか?
3年生の頃にとてもお金持ちの娘と仲良くなって、その周りのお金持ち友だちみんなで毎晩彼女の家で飲んだりしていたら、自分だけバイトへ行くのが嫌になってしまい……。それでよくサボったりして、まぁ最悪な大学生ですけど、思いきり遊んだことはすごく楽しい思い出です。あと、本はたくさん読んでいましたね。大学生の頃って時間がいっぱいあるし、今のようにスマホに取られることもなかったので。特に夏はすることがないくらい長い長い夜があって、近所で今川焼を3つ買って、自宅で本を読みながらそれを食べて……。それでも夜はいつまでもあって、すごく幸せな時代でした。
■「就職できなかったら」という恐怖は今以上に大きかった
——就職活動はどうされましたか?
当時は大学進学率が短大生を入れても3割ほどの時代で、4年制の女子大生より短大や高卒のほうが就職が良かったんです。在学中に親が決めたお見合いで婚約する人も割と多くて、卒業したら2、3年で結婚式に誘われて「ウソでしょ?」みたいな。ですから、私のように就職に失敗し続けてプラプラしているなんて世の中のはみ出し者です。当時はフリーターや就職浪人という言葉もなかったぐらいなので、すごい恐怖心でした。近所の人の手前、親にも「就職できないなら帰って来るな」みたいに言われて、人生真っ暗みたいな感じでしたね。
——物を書いていきたいと思ってはいなかったのですか?
大学時代は特に思わなかったですね。でも、私はちょっと目立つ娘で「何かやってやろう」とは常に思っていました。大学4年の時に先生に業界誌の記者をやってみないかって誘われて、受けたんです。でも行くと、神田にある汚い雑居ビルで、タブロイド版を折って200通くらい封筒に入れて切手貼って…という仕事。なんだか悲しくなっちゃって、友達は婚約とかしているのに私はスリッパを履きながらせっせと……。「こんな汚い所で就職なんて嫌だ」と思うと、またサボり気味になって社長にも怒られて。夜になると夜食のラーメンを作らされるのですが、作り方が悪いとまた怒られて。よくサボったので、働くことに対してはすごく不真面目で、もう最低の女子大生ですよ(笑)。今の大学生のほうが勉強もして、すごく真面目だと思います。