普通である。私の2022年は普通であった。楽しいこともあれば、悲しいこと、悔しいこと…|エッセイ企画「#Z世代の目線から」キーワード:あなたの2022
エッセイキーワード:あなたの2022
エッセイタイトル:『普通の幸せさ。普通の無気力さ。普通の大学生。』/著者:くわばら桑原 さん
831文字/2分くらいで読み終わります。
普通である。私の2022年は普通であった。楽しいこともあれば、悲しいこと、悔しいこともあった。だから普通。つまり一般の日本の男子大学生らしい普通の時間を過ごすことができたと思う。
ただこの事実は悲観すべきことではなく、大変贅沢な話である。
普通に過ごすということは、戦争が無いことである。
大義名分やら物の見方やら、色々な考えがあるとは思う。
が、実際にその場に暮らす人にしてみたら、たまったものではない。
勝手に招集され、戦って来い。勝手に武器を持って、攻めてくる。
そんな状況を温かい部屋に入り、ぬくぬくテレビを見ている私。傍観者であり、多少の寄付やSNS投稿ならできるが、大きなことは何もできず。
平和であり、普通である。
また普通に過ごすことは、事故に襲われることが無い。
安倍さんの事件もあり、世界中で大きな衝撃を受けた。園児がバスに取り残され、宗教により、人生をめちゃくちゃにされた人の報道も見た。
しかしながら、やはり私はテレビでぬくぬく見ていることしかできず。普通だから。普通であるからだ。
加えて普通だからこそ、いいこともある。
就職ができ、友人や恋人とも遊べ、家族とも仲良くできている。この年になり、また父の考え方、見方が変わってくる。お酒を一緒に飲み、ぐちぐち話す。普通だからこそ、成し得ることである。
だがどうか。昨今は承認欲求の高さから、お金持ちになりたいや、有名になりたいやら、様々な人がいる。売名行為もその一つであろう。私は普通である幸せを知っているから、「なぜわざわざ普通という幸せを捨てようとするのか?」と疑問に思ってしまう。
しかし彼らにとっては、普通ではない幸せというものがあるということになる。私の知らない世界であり、私には幸せに感じられない幸せなのかもしれない。
だからこそ、それぞれが幸せに感じる、その人にとっての普通が得られること。それを成し得た2022年の私は、とてもよかった。
あけましておめでとうございます。本年も皆様よろしくお願い致します。
著者:くわばら桑原 さん |
学校・学年:高崎経済大学 4年 |
著者コメント:普通の一年でした。周りの方から見ると、もっと頑張れやら、何か行動しろやとか、言われるかもしれません。ただ私は幸せであり、そんだけです。 |