『社会の海にさらわれる砂』 お題を見た私は、とりあえず海にいってみようと考えた。|「#Z世代の目線から」エッセイコンテスト7月」
「#Z世代の目線から」エッセイコンテスト7月
特別掲載:『社会の海にさらわれる砂』おでん さん
676文字/2分くらいで読み終わります。
お題を見た私は、とりあえず海にいってみようと考えた。
私が訪れた海辺も海開きはとっくの過ぎていて、流行病が収まりつつあったこともあり、カップルや家族連れがそこそこ多かった。しかし、そんな私は海にふさわしくない格好で裸足になり、時折足に当たる波の感触を感じていた。冷たい。足に乗っていた砂を波がさらっていく。別に乗せたくて乗っけていたわけでもなく、たまたま海に歩く過程で付いていた砂なのだが、どうも気になる。「なんだ、海も私から何か奪っていくのだな。」と少し悲しくなった。
海に連れていってくれた友人は、今年成人したばかりというのに結婚しようとしていた。小学生の頃から一緒にいる言わば、幼なじみという仲なのだが、結婚してしまうと、長いこと会えなくなってしまう。結局、友人とは社会という海に足を運ぶ過程でついた砂に過ぎないのか。
そんなことを考えながら水平線を眺めていると、また、波が押し寄せてきて足に冷たさを感じる。ふと、足を見ると波によって運ばれた砂が足に乗っていた。その砂はさっき流されていった足に乗っていた砂なら良かったのに。波は去っていったのになんだか心が冷たい。また失いたくないと思い、持ってきたポカリのペットボトルに、足に乗っていた砂を水ごと持って帰った。友人は不思議に思っていたが、もはや、これは私の宝物なのだと思う。
帰り道、私もあの海にのまれる砂のように、社会の海で生きていくしかないと思うと「もう一緒に海に行けないのではないのか。」と不安しかない。でも、大丈夫。このポカリに入った砂が友人と海に来た証だから。また会えるといいな。
著者:おでん さん |
学校・学年:大阪産業大学 3年 |
著者コメント:大学がはじまったのと同時にコロナが蔓延し、大学に友達もいなく、コロナのせいで出かけられず、しばらく海に行ってなかった。これを機に、久しぶりに友人と会って海に行ったが、また会えなくなるのが悲しくて書いたエッセイ。 |
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