有村架純「『お芝居をやってみたいなという漠然とした好奇心』から事務所のオーディションに応募」 #ボクらの時代コラム
様々なジャンルで活躍する著名人の方々によって繰り広げられるトーク番組『ボクらの時代』。あえて司会者を置かない本番組では、ここでしか聞けないトークが盛りだくさん。人生の先輩であるみなさんのお話は、きっと学生のみんなにきっかけやヒントを与えてくれるはずです。
フジテレビ提供
8月1日(日)に放送された『ボクらの時代』では、映画やドラマ、舞台などで幅広く活躍する俳優の柳楽優弥さん、有村架純さん、國村隼さんの3人が登場。8月6日(金)に公開される『映画 太陽の子』で共演している3人が、俳優を志したきっかけや子ども時代のエピソード、コロナ禍での趣味などについて語り合いました。
俳優になったきっかけは“ヒマつぶし”

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もともとは車の設計士になろうと思っていたという國村さんは、「特にエンジンが好きで、エンジニアのための学校に行って、機械工学を勉強していた」そう。しかし、「二十歳の時にその学校をドロップアウトして。やることがなくなって、1日が長くなって、ヒマつぶしに劇団の研究所に行ったら(入所試験に)受かった」と、俳優になったきっかけが“ヒマつぶし”だったことを明かします。
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一方、柳楽さんは「『人気者になりたい!』というのがいちばんの理由だった」と笑顔で明かし、國村さんから「健全な動機やな(笑)」とツッコまれます。たまたま友だちが昼ドラに出ていたそうで、そのドラマをみんなで見たとき、嬉しい気持ちになったんだとか。「こんなにみんなが笑ってる」という気持ちが、徐々に「(自分もみんなを)笑わせたい!」に変わり、事務所の門を叩いたといいます。
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同じく自分で事務所のオーディションに応募したという有村さんは、その理由を「お芝居をやってみたいなという漠然とした好奇心」だったと明かします。その後、ドラマや映画のオーディションを受けるものの「全然受からなかった」という有村さんが、オーディションに参加して初めてやらせてもらった作品が、NHKの連続テレビ小説『あまちゃん』だったんだとか。
そんな有村さんの転機となったのは、映画監督・廣木隆一氏の言葉だったそう。少女漫画が原作の映画(『ストロボ・エッジ』)の撮影の本読みの際、事前にキャラクターを作っていった有村さんに、廣木監督は「よけいなことすんな」と怒ったといいます。「作らなくていいから、普通にやって」と言われ、「普通って何?」と戸惑ったそうですが、そのとき監督から「悲しいから悲しい顔をするんじゃなくて、気持ちがあったら目で伝わるからよけいなことはしなくていい」と教わったことが今も自身に影響を与えているといい、「芝居のベースはずっとそこですね。“気持ちで伝える”ということを大事にしています」と話します。

子どもの頃、両親が離婚したという有村さん。「それまではなんにも考えず、普通に4人家族の次女として自由奔放に生きてたんですけど、両親の離婚を経験してからは『ちゃんと自分で生きていかなきゃいけないんだな』と思って。母親を支えていかなきゃいけないし、姉も自分が守らなきゃ、みたいな、自分が父親代わりにならなきゃみたいな意識がすごくあった」と振り返ります。小学4年生の頃からそういった意識が芽生えたといい、その後は「一時期、家がいい雰囲気ではない時期が続いたり、学校でも友達関係がうまくいかず……。そこでいろいろ悟りました」と明かす有村さんの話を聞いた國村さんは、「ようグレへんかったな、それ(笑)!」と感心していました。
“ヒマつぶし”がきっかけで劇団に入った國村さん、「人気者になりたい!」という気持ちや、“漠然とした好奇心”がきっかけでそれぞれ俳優の道に進んだという柳楽さんと有村さん。3人とも、興味や好奇心から行動した結果が俳優というお仕事を始めるきっかけになっているようでした。自分の興味や好奇心のおもむくままに一歩足を踏み出してみることで、自分では思いもかけなかった道が開けてくるものなのかもしれません。
『ボクらの時代』フジテレビ系(毎週日曜7:00~7:30)
放送日:8月1日(日)
柳楽優弥×有村架純×國村隼
『ボクらの時代』公式ホームページ
<次回の放送>
8月8日(日)7:00~7:30
矢部太郎×天野ひろゆき×ビビる大木
文:落合由希
編集:学生の窓口編集部