「未来を描くことが苦手だから、目の前のことを頑張り続けた」TAKU INOUEが大学院を経て音楽の道へ進めた理由 #19才のプレイリスト
人生はきっかけの連続だ。だからこそ、自分のやりたいことをどう選べばいいのかわからない。今何をするべきなのか迷ってしまうという大学生のために、「音楽」という道を選んだアーティストに直撃し、19才の頃に聴いていた楽曲を元に人生観を語っていただく連載『#19才のプレイリスト』。
今回は、大学院を卒業後にバンダイナムコゲームズに入社。2018年に同社を退社したのち、2019年7月にトイズファクトリーとアーティスト契約、2021年6月から同社の配信特化型レーベルである「VIA」から楽曲をリリースすることになったTAKU INOUEさんにインタビュー。
音楽の道へ進むことになった経緯や、学生時代を振り返って今思うことを語ってもらいました。
文:於ありさ
写真:島田香
編集:学生の窓口編集部
▼INDEX
1.オリジナル曲第1弾は、ファンだと公言していたVTuber・星街すいせいとタッグ
2.「3時12分」に込めた思い
3.安定思考を叶えられる音楽の道との出会い
4.「目標をガチガチに決める」代わりにするべきこと
5.「ムダなことなんてない」気になったら、とにかく吸収
オリジナル曲第1弾は、ファンだと公言していたVTuber・星街すいせいとタッグ
――メジャーデビュー楽曲、第1弾の「3時12分 / TAKU INOUE&星街すいせい」が7月14日にリリースされることになりました。今のお気持ちを教えてください。
情報解禁の数時間前はご飯を食べれないくらい緊張していましたし、滑ったらどうしようと思っていました。でも、蓋を開けてみたら温かい言葉を、たくさんの方からいただけて、ほっとしましたね。
――そもそも自分名義で楽曲を出してみようと思ったのは、なぜなのでしょうか?
前職を辞めて、トイズファクトリーとアーティスト契約をしたのが3年前。ただクライアントさんからのオーダーに応える仕事柄、自分のアーティストページのディスコグラフィーに作品が貯まっていかないというのがネタになっていたんですよね。その上、コロナ禍でイベントへの出演が減っているというのもあり「時間もあるしやってみようかな」と思ったんです。
あとは自分の将来のことを考えた時に「今は仕事があるけど、これからどうなるんだろうな」って漠然とした不安もあり、新しいことをしてみたいなという気持ちになりました。
――記念すべき楽曲のボーカルとしてVTuberの星街すいせいさんを迎えた理由を教えてください。
少し前にすいせいさんが僕の曲のファンだと言ってくださっているのを知って、彼女の配信やオリジナル曲を聴いて「すごくいい声だな。いつかお願いしてみたいな」とぼんやり思っていたんですよね。それで、今回お願いしたいと考えていた候補の中にすいせいさんが上がっていたので、オファーしました。
――ファンって言っておくものですね。
ね!やっぱり自分のことを発信できる、インターネットのおもしろいところですよね。実際にすいせいさんが歌うと決まったのを受けて楽曲を作ったのですが、すごい熱量を持って取り組んでくださったので、本当に嬉しかったですよ。
「3時12分」に込めた思い
――ずばり「3時12分」どういう楽曲ですか?
自分の中でつくりたいと思っていたミドルテンポの曲ということもあり、自分が心地よいと感じる曲になりました。それでいて、すいせいさんの声が輝くようにと仕上げました。
――そもそも「3時12分」というタイトルが気になったのですが、なぜ「3時12分」なのでしょう?
あまり感情が入りすぎてない、普遍的なタイトルにしたいと考えたんですよね。「3時12分」って、世界中、皆のもとに平等に訪れるじゃないですか。 もちろん各々の「3時12分」はあるけれど、2時でも4時でもなく、夏でも冬でも朝よりの深夜であるこの微妙な時間というのが「3時12分」。僕自身、すごくお気に入りのタイトルです。
――なるほど。どんな人に届いてほしいですか?
歌詞の内容的にはクラブ賛歌にしようと考えていました。というのも、コロナ禍で自分自身のクラブの出演もかなり減りましたし、遊びに行く機会もかなり減ってしまった。そんな今だからこそ混沌とした不安定なクラブという場って楽しいよねという気持ちを素直に書きたかったんですよね。
実際に、できた楽曲をいろんな方に聞いてもらったら、クラブで遊んでいる人には「めちゃくちゃ刺さる歌詞だね」と言ってもらえました。 もちろんクラブに行ったことがない20代の方もいると思うので、そういう人にもちゃんと受け止めてもらえるような抽象的な言葉遣いにはしています。
だから、それぞれの夜中の感情と照らし合わせながら、聞いてほしいです。
安定思考を叶えられる音楽の道との出会い
――TAKUさんは、札幌開成高校から東京外語大、そして筑波大の博士前期課程を修了し、バンダイナムコゲームス(現バンダイナムコスタジオ)に入社したとの経歴をお持ちですが、ゲーム会社で音楽を作るってどういう感じなんでしょう?
まずは皆さんのイメージにあるように曲を作ったり、効果音を作ったりしました。あと、僕がいた会社の場合は、ゲーム全体のサウンドディレクション、どういう場面でどういう効果音を何秒間鳴らすかを決めるなど、音に関するすべての作業を行っていました。
企業によっては、そこが分業のところもあるらしいのですが、僕の場合は「好きなようにゲーム内で音を鳴らせるなんて最高じゃん」と思っていました。 お金の予算管理や、外部への発注とかも全部やっていたのですが、それは今でも役立っているなと感じます。
クリエイティブだけをやっていたら見えていなかった部分まで携われたのは、いい経験でしたね。
――音楽と出会ったきっかけや、音楽の道へ進もうと考えるようになった理由を教えてください。
母親が音楽の先生で、今はピアノの先生をやっていることもあり、音楽自体は小さい頃からずっとやっていたんですよね。小学6年生の時に、テレビでX JAPANを見て「すごいかっこいい!」と衝撃を受けて、ギターを弾き始めたんです。
その後、友達とバンドを組んで趣味でずっと続けていました。 大学院に進んだのは、やりたいことがわからず、就職をしたくなかったから。当時はまだ、音楽一本で食っていくための具体的なビジョンは描けていなかったんですよね。
――そうだったんですね!
それで大学院に進んで、いよいよ就職活動をしなきゃいけなくなったときに、楽器メーカーや音楽関連の会社を受ける中で、ふとずっとゲームが好きだった自分にとって「ゲーム会社で音楽を作るって理想なんじゃない?」と思ったんです。
ただ、もちろん倍率が高いことは知っていたので、1社だけ記念受験してみようくらいの気持ちで、当時好きだったゲーム「塊魂」を出していたバンダイナムコゲームスを受けたら、内定をいただけたんですよね。
――なるほど。「音楽で食べていく」という道の中に、会社員という選択肢があるのが新鮮でした…
僕もそうでした。面接を受ける前は「音大とか音楽系の専門学校に進んでなきゃ厳しいのかな」と思っていたんですけど、実際に入ってみたら、そういう学校を出た人、出てない人半々くらいでしたね。もともと安定志向がゆえに踏み切れない部分もあったので、福利厚生もしっかりしている会社員として音楽を作れるなら「良いじゃん!」って思えました。
――大学院を出て、音楽の道に進んでよかったなと感じることはありますか?
ミュージシャンっぽくない発言ですけど、上手くいかなくても選択肢がある安心感ですかね。あとは、単純に研究をしたときの調べ物の進め方とか、そういう基礎的な部分は役に立っているなと思います。
「目標をガチガチに決める」代わりにするべきこと
――では「音楽の道へ進もう」という意思が決まったのは、大学院に入った後だったんですね。
うーん…正直、決まりきってはいませんでしたね。僕、先の未来を考えることが結構苦手なんです。 大学ではポルトガル語を専攻していたのに、大学院では図書館情報学という全然わかっていない学問を専攻したくらい。「君は何しに来たんだ」って言われて悩みましたもん。
でも、そんな時に「ポルトガル語を使って、研究をしないか」と声をかけてくれた教授がいてなんとかなりました。結構行き当たりばったりの人生をずっと歩んでいるんですよね。
――そうなんですね。
でも、最近になって思うのは、先のことを考えられなくても、目先のことをめちゃくちゃ頑張れるのであれば、悪い方向に行くことはないんですよね。
だから、もしやりたいことが見つからないという人は、目の前に頑張れることがあるなら、一旦、それを頑張ってみるというのがいいのかなと思います。
今、夢がないことに焦っている学生さんってたくさんいるとは思うんですけど、無理に目標とか、将来のビジョンを決めなくても意外と何とかなっている人間がここにいるので、安心して欲しいです。
――目の前のことをめちゃくちゃ頑張るって、簡単そうで難しい気もするのですが、頑張れるモチベーションってどこから出てくるんでしょうか?
かっこいい人間でいたいからですかね。目の前のことで120点を出したら、それをお守りとして持って、次のステップに行けること、そのものがモチベーションだったのかもしれません。
「これだけ頑張れた俺」というのが、糧になるんですよ。「あの時も頑張れたんだから、今回も絶対に頑張れる」って僕は思えました。
「ムダなことなんてない」気になったら、とにかく吸収
――19歳のころ聞いていた音楽があれば教えてください。
とにかく大きな音で音楽を聴けるのが楽しくて、クラブで遊んでいたんですよね。だから、クラブミュージックばかり聞いていました。
――クラブミュージックを聴くようになったきっかけはなんだったんでしょう?
X JAPANを好きになって、そこからLUNA SEAにハマったのですが、当時SUGIZOさんが雑誌で自分がおすすめするクラブミュージック50枚を紹介する企画があったんですよね。それを見て、CDショップに行ってとにかく聴きまくったんですよね。
それで、BJÖRKというアーティストのTelegramというアルバムに出会って「これはかっこいいや!」と思い、どんどんハマっていきました。今でも捨てられない1枚ですね。
――今、ご自身の10代の頃、学生時代を振り返って学生に伝えたいことがあれば教えてください。
とにかく自分が気になったものは、なんでも吸収した方がいいですね。映画、アニメ、絵本、自分が知らないうちに楽曲制作に影響を与えてくれていることもありますし、どれもムダになっていることはないなと思っています。みんなが読んでいても「おもしろくない」と思ったなら、その感覚を大切にしていいと思うんです。
あとは今はご時世的に行けなくとも海外に行ったり、いろんな人と会話して視野を広げたりするのもおすすめです。
――最後に現在のような社会情勢の中でも、前を向いて頑張っている学生の方にメッセージをお願い致します。
大学生、本当に苦労されてると思うんですよね。でも、今この状況になったことで、スタートラインが一緒になって、どうブレイクスルーしていくか、チャンスにはできるかもしれないのかなと思っています。無責任なことは言えないんですけど、いつか良い方向に進むと思うので、めげずに頑張ってほしいです。
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