【連載】『あの人の学生時代。』 ♯8:マンガ家 タナカカツキ「自分に魔法をかけよう!」
著名人の方々に大学在学中のエピソードを伺うとともに、今の現役大学生に熱いエールを送ってもらおうという本連載。
今回のゲストはマンガ家のタナカカツキさん。タナカカツキさんといえば、爆発的ヒットとなったカプセルトイ『コップのフチ子さん』(奇譚クラブ)の原案・企画・デザインで有名ですね。マンガ家、デザイナーとして多くの作品を生み出す一方で、水草レイアウトの世界ランカーとして知られる「水中園芸家」でもあります。そんな多方面で活躍しているタナカカツキさんはどんな学生生活を送ったのでしょうか。今回は、タナカカツキさんに自身の大学時代についてお話を伺いました。
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マンガを描くために美術系の大学へ?!
――タナカさんは京都精華大学に進学されています。なぜ京都精華大学を選んだのですか?
まず「マンガ家になりたい」という希望があったんです。で、進路相談で「マンガ家になりたいんですけど……」と先生に相談していました。たまたま担任の先生が美術の先生で、すすめてもらったのがきっかけですね。
――その先生のアドバイスはどのようなものだったんですか?
「美術系の大学は時間はたっぷり取れるで。その時間でマンガを描いたらええやん。他の一般の大学やったら単位取るのが大変やろ。あんたに合うてるで」と言われましたね。京都精華大学はそのときまで名前も知りませんでした。
――一般の大学は考慮されなかったのですか?
そもそも進学に興味がなかったので、一般の大学には最初から行く気はなかったんですよ。といって浪人するにも何か目標がいるじゃないですか(笑)。マンガを描くための時間をつくるために進学する、みたいな感じでしたねえ。親にも「それでええ」って言ってもらえましたから、京都精華大学デザイン学部しか受験していないんです。
大学は刺激の宝庫だった! 「アート」「音楽」「演劇」
――実際に18歳でマンガ家デビューされていますから目的はすぐ達成したわけですね。
そうですね。大学1年の冬にデビューしていました。高校生のときは、授業とか球技大会とかで忙しいじゃないですか。大学に入って1年間マンガを描く時間がとれたわけです。
※タナカカツキさんさんは1985年『ミート・アゲイン』で小学館新人漫画賞において佳作入選。この後『スピリッツ』(小学館)でいくつかの短編を発表されます。
大学は刺激の宝庫でしたね。図書館にはそれまで高価で手に取れなかった本、画集なんかがぎっしりあるわけですよ。それに周りには仲間がいますしね。大学に入るまでは興味がそれほどなかったんですが、「アートってオモロイなあ~」となりましたね。
僕が大学生のころというのはバブルで、西武セゾングループがカルチャーを引率してた時代です。日比野克彦さんのような若手アーティストの活躍が注目されていたりですね。演劇でも野田秀樹さんの『夢の遊民社』、鴻上尚史さんの『第三舞台』が有名になって盛り上がっていましたし。大学の外でも刺激がたくさんあった時代でした。
――タナカさん自身もそういった世の中に影響を受けましたか?
ご他聞に漏れず影響は受けましたし、「デザイン、芸術って面白れーっ!」ってなりました。そこからは大学の授業も楽しかったですねえ。