映画監督になるにはどんなルートがある? あの名監督の経歴から知ろう 3ページ目
異業種から映画監督を任される人もたくさんいらっしゃいます。最も有名なのは北野武さんでしょう。コメディアン・ビートたけしとして一世を風靡(ふうび)し、『その男、凶暴につき』(1989年)で初監督ながら圧倒的な力量を見せつけました。以降も監督作品を世に送り出し続け、その作品は海外でも高く評価されています。同じお笑い界では、松本人志さんも映画監督を務めていますね。
大ヒット作『シン・ゴジラ』(2016年)を監督した庵野秀明さんは、アニメ制作出身ですが『ラブ&ポップ』(1998年)、『式日』(2000年)、『キューティーハニー』(2004年)と実写映画でもキャリアを積んでいらっしゃいます。同じアニメ制作出身では、押井守さんも『紅い眼鏡/The Red Spectacles』(1987年)を皮切りに、『GARM WARS The Last Druid』(2016年)まで多くの実写映画で監督を務めています。
あまり知られていないかもしれませんがミュージシャンでも映画監督を務めた人がいらっしゃいます。
・さだまさしさん
『長江』(1981年)
・小田和正さん
『いつか どこかで』(1992年)
『緑の街』(1998年)
・桑田佳祐さん
『稲村ジェーン』(1990年)
・石井竜也さん
『河童 KAPPA』(1994年)
『ACRI』(1996年)
といった作品があります。ジブリ映画の音楽で有名な久石譲さんも『Quartet カルテット』(2001年)で映画監督を務めました。
『日本沈没』(1973年)『八甲田山』(1977年)などの大作映画でカメラマンを務めた木村大作さんは、『劒岳 点の記』(2009年)で初監督。木村さんの場合、異業種ではありませんが、カメラマンから監督という異色の経歴といえるでしょう。
このような異業種でも監督をオファーされるのは、その分野で素晴らしい活躍をしている人ばかりです。特にエンターテインメント業界で多くのファンを魅了している場合には、監督の話が来やすいものなのでしょう。
映画監督になるにはどうすればいいかについて解説しました。現在では、映画監督になる方法もさまざまです。もし、あなたが自主映画を撮っているのであればコンテストに応募するのが早道かもしれません。また、テレビドラマのディレクターから始めて演出家を目指し、そこから監督になるというのも有力な道ではないでしょうか。
(高橋モータース@dcp)