祖父母が見つけてくれていた曾祖父の日記から#僕たちにつながる戦争 ──『8月15日に終わらなかった戦争「占守島の戦い」で散った曾祖父を追う』追体験記 vol.4

こんにちは!出版甲子園実行委員会です。第20回出版甲子園で準グランプリを受賞した、『8月15日に終わらなかった戦争「占守島の戦い」で散った曾祖父を追う 』が2025年12月17日(水)に出版されました!今回は、1年以上にわたり企画に携わってきた、実行委員・多田と茂木が著者・牛谷雅さんの調査を追体験した様子を連載形式でご紹介します。
自らの家族愛を原動力に、実家や国の機関に残っている史料からその姿を紐解く牛谷さんの調査過程を追体験したとき、大学生は何を感じるのでしょうか。
第4弾は、茂木が曾祖父の戦争中の動向を知った話をお届けします。
みなさんも、自分と戦争をつなげてみませんか。
本の概要
『8月15日に終わらなかった戦争 「占守島の戦い」で散った曾祖父を追う:19 歳の僕が初めて知った“自分が戦争とつながる”歴史』
著:牛谷雅
出版社:青春出版社
刊行日:2025年12月17日
■著者プロフィール
牛谷雅(うしたに まさし)
2005年生まれ。長野県出身。長野工業高等専門学校電子情報工学科在学中。
専門の情報工学を活かし、趣味でウェブサイト開発も行う。2023年から、「占守島の戦い」で停戦交渉軍使に通訳として随行し戦死した曾祖父を調べ始める。学生生活の傍ら、自ら靖国神社や国立国会図書館へ足を運び、全国戦没者追悼式にも遺族として参列。およそ2年半の歳月をかけて、曾祖父の足跡を辿った。2024年、本調査の記録を元にした企画で「第20回出版甲子園」に応募し、準グランプリを受賞。本作がデビュー作となる。
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第1回の記事でも触れたように、私の曾祖父は100歳まで生き、大往生でした。曾祖父が白寿(99歳のお祝い)、曾祖母が米寿(88歳のお祝い)の際、祖父母が主体となって親戚一同で二人への手紙を書き、それを冊子としてまとめていました。当時小学生だった私は自分の言葉が載ったことが嬉しく、また幼児だった弟のひらがなとカタカナが入り乱れた絵が入った手紙がそのまま載せられていたことがおもしろかった記憶があります。
今回曾祖父のことを調べ始めてふとこの冊子に思い当たり、祖母と父に連絡をとり冊子の中の写真を撮って送ってもらいました。すると、当時の私がまだ理解できず見ていなかった内容があったことがわかったのです。
それは、曾祖父の人生の年表です。曾祖父は日記をつける習慣があったそうで、戦争に動員されていた時もそれは続いており、祖父母がそれらを読ませてもらい年表を作ったということでした。
3ページにわたる年表の中の真ん中あたりのある軍事用語の昏く(くらく)厳しい字面は、曾祖父が若い活力に溢れていたであろう時代に打ち込まれた楔のようです。写真のそれを見て私にも心の準備が必要だと感じ、落ち着いて読める時間を作って読み始めました。
まず誕生から始まって学生時代のことは国会図書館デジタルサーチで調べたことと一致しており、調べた通りの医学部に入学して卒業しています。
▲曾祖父の卒業証書及び医師免許が入った箱。実家に大切に保管してありました。
話はそこからでした。1942年の「卒業」の下には「直ちに徴兵検査(第一乙合格)」の文字が。医師としての技術を習得するのを待ち構えたように、時代は彼を戦争へと連れ去ります。
軍服を着た写真の曾祖父の目は、丸眼鏡の奥でもわかるくらいはっきりと黒く、意思の強いものでした。私の記憶の中の曾祖父の目は、黒縁の四角い眼鏡と重い瞼に隠された、焦点の合わない最晩年の灰色の目です。どちらが良いも悪いもない。ただ大学を出たばかりの曾祖父のその目のあまりの純真さに、私の心は「動揺」と言っていいほどに揺れました。こんな曾祖父は知らない、こんな目は知らないと、まるで知らない人を見ているような感覚です。私の知るあの目になるまでに彼がその目に映した途方もない情景の蓄積、それが「見て取れた」という言葉では間に合わないくらい、一目で「分かって」しまったのでした。
そして彼は、軍医候補生として歩兵連隊に入営します。順々と階級を上げ、やがてシンガポールへと船で出航します。
日記には輸送船の思い出が書き記されていました。出発前夜、甲板で内地の暗い姿を見ながら故国に別れを告げたこと。荷物として柳行李(やなぎごうり)一つの携帯が許され、この中に医学書を入れて行ったこと。そこに気持ちの描写は見られませんでした。
そこからは淡々とシンガポールやサイゴンでの従軍の記録が残されています。何日にどこを出航、どこに到着、何作戦に参加…冊子の編集にあたり曾祖父の日記を読んで書き起こした祖父に聞いても、戦争中の日記は何日にどこにいたのかのような簡潔な記録のみで、詳細は何もなかったと言います。
書く気力がなかったのでしょうか。書きたくもなかったのでしょうか。あるいは、書いたとしても、周囲の惨事も自分の感情も表しきれないと悟ったのでしょうか。
逆に言えば、書かないことが普通の状態でそれでも日付と場所と簡潔な作戦名を記録し続けたのは、なぜだったでしょうか。
1945年、戦争が終結し、翌1946年に曾祖父を乗せた船がインドシナ半島から出航し日本に上陸、曾祖父は復員しました。
なんと復員したその年に、曾祖父は曾祖母と結婚し医院を開業しています。生活の必要に迫られてのことだったかもしれませんが、復員直後にそんなことができる彼の強靭さには驚かされました。
考えてみれば曾祖父は、医師としてのキャリアを軍医で始めることを余儀なくされたことになります。さらに、確証はないことですが、彼の働きには味方の兵士の治療だけではなく、その逆のこと、兵士としての務めも含まれていたかもしれません。そんな彼にとって、戦争が終わった世界で妻と一緒に地域の方々の治療を行えることは、染み入るような感動を覚えることだったと思います。曾祖父が十代の頃から真摯に勉強をして得た技術を正しいあり方で周りの人に使えたこと、そしてそれを何十年にもわたって続けたことが、周りを癒すとともに曾祖父自身も癒していたと、信じたく思います。
そしてその地で地域に根差した診療を続け、「現在に至る」と最後は締めくくられていました。
私は『「占守島の戦い」で散った曾祖父を追う』の出版にあたり牛谷さんにならって曾祖父の調査を行ったことから、この年表に辿り着くことができました。
私の場合は曾祖父の日記とそれを祖父母がまとめてくれていた冊子から曾祖父の戦時中の動きがわかりましたが、そういった記録がないご家族の戦争中の動きを知ることのできる方法が、実は本書『「占守島の戦い」で散った曾祖父を追う』で紹介されています。
それは、「軍歴証明書」を各都道府県の自治体に請求すること。
詳しくは実際に本を読んで確かめていただきたいためここには記しませんが、軍歴証明書を見れば、皆さんの家族の戦争中の動向がわかるかもしれません。
家族と戦争をつなげること、それは自分と戦争をつなげることです。牛谷さんが本書を通して伝えたかったそのことが、実際に自分で調査を行うことで、やっと本当の意味で理解できたように思います。
牛谷さんに比べればとても短い調査でしたが、調査を通じて私の中の戦争への解像度と曾祖父への家族愛は比べ物にならないほど上がっているのを感じます。この本との出会いに感謝するとともに、この記事を通して本書に触れ、家族と戦争への思いを強めてくださる方が生まれることを願ってやみません。
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