理系ライターが行く!vol.5『科学の力で、誰かの役に立つ製品をつくりたい』 #大学生の社会見学
「理系ライターX」がすべての大学生に贈る、企業見学レポート連載! 持ち前の「理系知識」を駆使し、様々な企業に取材! 企業の知られざる一面や、想像もしなかった"あたらしい働き方"が見つかるかもしれないぞ。
▼INDEX
1.島津製作所に取材してきたぞ
2.予備知識ゼロで飛び込んだAIプロジェクト
3.認知症の進行度合いを数値化する
4.伝えられたメッセージ、結ばれた赤い糸
5.科学の力で新しい世界を開く
島津製作所に取材してきたぞ
島津製作所は創業145年、京都に本社を構える老舗の企業である。“見えないものを見る、測れないものを測る”分析・計測機器のメーカーだ。
2002年には社員の田中耕一氏がノーベル化学賞を受賞し、一躍世間にその名を轟かせた。近年は極力負担をかけずに乳がん検査をする、女性にやさしいPET装置などでも知られる。
「科学技術で社会に貢献する」を社是とする同社の強みは技術開発力にあり、それを担うのが杉村佳織(すぎむら かおり)さんが所属する基盤技術研究所だ。
AIソリューションユニット解析グループに在籍する杉村さんは、研究職として日々どのように仕事に取り組んでいるのか。研究者ならではの仕事のやりがいや取り組み姿勢、働き方などを伺った。
予備知識ゼロで飛び込んだAIプロジェクト
基盤技術研究所には、研究者が約220名所属している。その研究分野は基礎研究から応用研究まで幅広い。研究員はAIソリューション、バイオインダストリー、先端分析、脳五感の4つのユニットや他にもあるさまざまな部署に所属し、日夜研究に勤しんでいる。1人で複数のプロジェクトに関わるケースも多く、杉村さんも入社直後から3つのプロジェクトに携わっている。
杉村佳織さん「私が所属しているのはAIソリューションユニットです。ところが、大学院時代の博士課程後期まで、AIとはまったく関わりがありませんでした。本職は数学あるいは物理数学なので、正直なところAIがわかるだろうかと少し不安でした。ただ、わからないことがあればわかるまで学びなさい、というのが研究所の文化です。学びを大切にする姿勢が私にはぴったり合っていました」
入社後、まず取り組んだのがオンライン講座によるAIの学習である。3カ月みっちり勉強に励んだおかげで、プロジェクトにも問題なく関われるようになった。
「新入社員には大きなタスクがもう一つあります。研究所配属1カ月後に、学生時代の研究を紹介するプレゼンテーション大会があるのです。上司や先輩など研究所員全員が揃う中でのプレゼン、しかも1人30分だからしっかり話をしなければなりません。でもこのとき私は、自分にとって理想的な職場に入れたんだってうれしくて仕方なかったのです」
杉村さんが博士号を取得した学位論文の題目は「細胞集団における極性と振動の秩序化現象に関する理論研究」。極めて専門的な内容であり、おそらくは研究所のほとんどのメンバーにとって未知のテーマだ。
「ところが鋭い質問がビシバシと飛んできました。みなさんがそれぞれ専門分野を極めているから、初めての専門用語でも推察し全体像を大局的に理解されます。しかも普段の研究とは関係ない分野でも、知らないことがあればわかるまで聞きたいという方ばかり。優秀な方が揃っている研究所だなと改めて思い、みなさんが常に学び続ける姿勢を持っているのを肌で感じて、とてもうれしく思いました」
認知症の進行度合いを数値化する
いま杉村さんがメインで取り組んでいるのは、NIRS(Near-infrared spectroscopy)を活用し、認知機能の評価指標を見つけるプロジェクトだ。
NIRSとは、近赤外領域の光を物質に照射し、透過してきた光の強度などを解析して血中ヘモグロビンの変化量を測定する手法である。プロジェクトではこれを活用し、神経活動に連動する脳血流の変化を示すヘモグロビンの動きをとらえて解析する。
「NIRSを使えば脳の賦活状況、つまりどの部分の血流が活性化しているかをリアルタイムで把握できます。この機能を利用し、認知症の進行度合いを数値化するのがプロジェクトのゴールです」
実現すれば高齢者を定期的に計測し、認知症が進行している場合は早めに手を打てるようになる。あるいは自宅で行う脳トレなどの成果を家庭で簡単に計測できれば、リハビリに取り組む動機づけにもなる。超高齢社会に突入した日本にとって、すぐにでも実用化が望まれる。
「認知症学会などにも参加しながら研究を進めています。完成が10だとすれば、現状は7ぐらいまで来ているでしょうか。NIRSを使った測定データを増やすのが今後の課題です」
※研究用の光脳機能イメージング装置『LABNIRS™』を駆使して開発を進めている。
もう一つのAI関連プロジェクトは、水中磁気探知セキュリティーシステム「MAGNETIC EYES」の開発、海底に磁気センサーを複数設置し、センサーの近くを通過する磁性体を検知する。発電所や石油関連施設、空港など、主に湾岸の重要施設の監視に使われる予定だ。さらに女性と少子化対策をテーマとした産学連携プロジェクトにも取り組んでいる。
「産学連携プロジェクトに加わったキッカケは、新入社員プレゼンです。私の発表を聞いた先輩が『杉村さんの発表に似たテーマに取り組む研究室を訪問する予定がある。でも僕が行くより杉村さんが行ったほうがいいね』とすすめてくださったのです。AIとは関わりのない分野でしたが、研究室の先生とお話がとても興味深くてぐいぐい引き込まれ、ぜひ共同研究しましょうとトントン拍子に話が進みました。島津で女性用といえば乳房専用のPET装置が有名ですが、それに続く製品開発につなげたいと取り組んでいるところです」
こうして杉村さんは、入社1年目から3つのプロジェクトに携わっている。そのどれもが大学から大学院を通じて学んだのとは異なる領域だから、プロジェクトを進めるためにはひたすら学び続けるしかない。それがまったく苦にならない。
まわりにいる研究員たちもみんな学ぶ人ばかりで、そんな雰囲気が自分にはぴったりだし、仕事を通じて学び続けられるのは幸せな職業だと語る。
伝えられたメッセージ、結ばれた赤い糸
中学生の頃から数学好きな少女だった杉村さんが、大学院の博士課程まで研究を突き詰めた原動力、それはある人物から届けられたメッセージだ。
中学1年生のとき、杉村さんは『ソフトレーザー脱離イオン化法の起源と応用』と題した講演を聞きに行った。平成15年6月26日、東京の経団連ホールで行われた東北大学主催の記念講演会である。講師は東北大学OBの田中耕一氏、つまりノーベル賞受賞の記念講演である。
杉村さんのお父さんも東北大出身だったためOBとして誘いがかかった。ノーベル賞を受賞する人はどんな話をするのだろうと興味を覚えた杉村さんは、一緒に会場に行った。さすがに中1女子は目立ったようで、関係者の一人が気を利かせて、田中氏に最年少受講者にサインでもと頼んでくれた。
そこで田中氏は次のようなメッセージを添えて、講演時に胸につけていた花飾りをプレゼントしてくれた。
「もし、いま数学が好きなのであれば、ぜひこれからも学び続けてください。科学の世界はとても奥が深く、自分の興味次第でどこまでも学びを深められますから」
この言葉に導かれて、杉村さんは大学院博士課程後期まで学びを突き詰め博士号を取得した。巡りめぐって就職を考えたときに、島津製作所と再び出会う。
「技術力の高さ、科学技術で社会に貢献する姿勢に共感したことに加えて、田中さんのように学び続けられる社風にも強くひかれました」
実は入社後3年近くが経っても、京都市内の本社にいる田中氏とは、まだ直接話したことはないという杉村さん、いざ対面したときにはどんな言葉を発するのだろうか。
科学の力で新しい世界を開く
入社直後のプレゼン準備とAIの学習から始まり、今では3つのプロジェクトに関わる杉村さんに、これまでの心境の変化を聞いてみた。
「最初のうちは、とにかく無我夢中でひたすら学ぶのが何より楽しかったです。それが一段落し、自分に委ねられている仕事について客観的に考えられるようになると、大きく浮かびあがってきたのが顧客の存在です。自分が取り組んでいる研究や製品開発は、最終的に誰かの問題を解決するためのものです。自分の研究成果が製品化されて、世の中の役に立つ。誰かを少しでも幸せにできる。そう思うと毎日の仕事が楽しくてなりません」
見えないものが見えるようになる。科学が人類に新しい扉を開けて、これまで見えなかった世界を見せてくれる。そんな製品づくりをめざす研究者が集まっているのが基盤技術研究所。
その職場の雰囲気はどんな感じなのだろう。研究者=男性中心→女性にとって居心地が今ひとつ?などと考えるのは、少なくとも島津製作所においては明らかに過去の発想である。
「研究所の男女比は8対2ぐらいですが、ここ数年に限れば新卒の3割ぐらいが女性です。雰囲気はとてもフランクで、中学校から大学院を出るまでの15年間を女子校で過ごした私でも、まったく違和感なく楽しく日々を送っています。主任クラスには子育てと仕事を両立させていて、まさにロールモデルとなる女性の先輩が何人もいらっしゃいます。フレックス制をうまく使い、通勤の行き帰りにお子さんを保育園に送り迎えされているイクメン社員もいて、いい感じですね」
研究所内では、いま新棟の建設工事が最終段階に差し掛かっている。完成すればフロアレイアウトが今とは大きく変わり、研究所のメンバー全員が、ワンフロアに集まるようになるという。
「自分とはまったく異なる関心領域を持っている方と、気楽に話をできるようになれば、学びに対する刺激をたくさん得られるようになるでしょう。そんなコミュニケーションの中から、新しい製品開発のアイデアがきっと得られるはず。そう思うと、早く新しい環境で仕事をしたいとワクワクしています」
認知症の早期発見に役立つシステムについては、脳機能研究を拡張させた「脳・五感計測」の技術開発も進行中、女性と少子化のためのプロジェクトも着実に進んでいる。その次には、どんな製品を提供し、誰を幸せにしてくれるのだろうか、とても楽しみだ。
「自分の関わった製品が、科学の新しい世界を開く。そのために好奇心に導かれて日々学び続け、常に挑戦できる。開発した製品が、誰かの役に立つ。こんな素晴らしい仕事に私を導いてくれた赤い糸に、心から感謝しています」
株式会社島津製作所
基盤技術研究所 AIソリューションユニット 解析グループ 副主任
杉村 佳織(すぎむら かおり)
お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科修了、博士(理学)。2018年の入社以来3つのプロジェクトに取り組み、そのうち2つは近々公開されるところまでこぎつけている。
※記事内容及び社員の所属は取材当時のものです。
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文:竹林篤実
イラスト:TOA
編集:ゆう