【第1回】「成功者」と呼ばれることへの違和感。高田健太が自著『日本人が韓国に渡ってK-POPアイドルになった話。』に込めた思い
K-POPアイドルとして韓国で活動してきた髙田健太さん。20歳で単身韓国へ渡り、言葉も文化も異なる環境で挑戦を重ねてきました。
そんな髙田さんが、自身の歩みをつづった著書『日本人が韓国に渡ってK-POPアイドルになった話。』を出版しました。その背景にあったのは、周囲から「成功者」と呼ばれることへの違和感だったといいます。
インタビュー第1回では、人生の転機となった渡韓当時のエピソードや、K-POPアイドルとして活動する中で感じたこと、そして自身の経験を一冊の本にまとめようと決意した理由について伺いました。
※記事タイトルでは「高田」と表記していますが、正式な表記は「髙田」です。
1995年1月10日生まれ、群馬県出身。 2017年、韓国のサバイバルオーディション番組 『PRODUCE 101 Season2』に唯一の日本人練習生として出演。 同年、ボーイズグループ「JBJ」のメンバーとしてデビュー。 2018年からは「KENTA SANGGYUN」として活動。 音楽活動に加え、アート活動にも取り組み、 2021年には日韓で個展「MADE in KENTA」を開催。 2024年1月には初の著書 『日本人が韓国に渡ってK-POPアイドルになった話。』 (KADOKAWA)を出版した。
20歳で単身渡韓。自分を変えるきっかけになった経験
――まず、これまでの歩みを振り返って、ご自身の人生の大きな転機となった出来事を教えてください。
髙田健太さん:やはり人生で一番大きな転機といえば、20歳のときに単身で韓国に渡ったことですね。
僕は幼少期、少し複雑な家庭環境の中で過ごしてきたこともあって、子どもの頃からすごく人目に敏感なタイプだったんです。クラスに入っても、グループごとの空気感や相手の表情を無意識に察知してしまうような子で。
自分の本当の気持ちを押し殺して、「周りやその場の状況に合わせる」ことで自分を守って生きてきました。
でも、10代後半になると、心の中にある本当の感情と、周りに見せる言動とのギャップがどんどん大きくなってしまって……。常に劣等感を抱えていて、自信なんてまったくありませんでした。
そんな自分を根底から変えるきっかけになったのが、韓国へ渡ったことだったんです。
――文化も言葉も違う環境に飛び込んだことが、自分自身を解放するきっかけになったのでしょうか?
髙田健太さん:まさにそうです。日本と韓国は距離的には近いですが、やはり文化も考え方も全然違いますよね。しかも、自分が身を置いたのは芸能界という特殊な世界。
それまでは周りの顔色ばかりうかがって、「相手が求める自分」を演じる人生だったのが、「あ、こんな生き方じゃダメだ。自分自身が変わらなきゃいけないんだ」と強く思えたのが、渡韓のタイミングでした。
もしあのとき日本にそのままとどまっていたら、きっとずっと人に合わせ続けるだけの人生を送っていたんじゃないかと思います。
――韓国に渡った当初は、言葉や文化の壁でご苦労されたことも多かったのではないでしょうか?
髙田健太さん:本当に言葉も一つも話せない状態で、20万円とキャリーケース一つだけで渡韓したんです(笑)。
風邪をひいたときに薬を買うことすらできなくて、「生き延びるために言語を学ばなきゃいけない」という極限状態でした。でも、言葉を学ぶって、その国の文化を学ぶことと同じなんですよね。
文化の違いでぶつかることもありましたけど、僕を支えてくれたのは韓国の人の温かい「情」でした。
練習生時代、知り合って間もない友達の家に遊びに行ったら、そのご家族が僕のことを自分の子どものように温かく迎えてくれたりして。
そうした深い情に救われたからこそ、乗り越えられた壁がたくさんありました。
K-POPアイドルとして感じた、日本人であることの強み
――K-POP業界で活動する中で、日本人であることの強みや、ご自身のアイデンティティを感じる場面はありましたか?
髙田健太さん: 当時はまだ今ほど日本人のK-POPアイドルが多くなかったので、日本人というだけで注目していただけたのは時代的にも幸運で、一つの強みになりました。
ただ、それ以上に「日本人ならではの感性や振る舞い」が強みになっていたなと感じます。
お米一粒も残さず大切に食べることだったり、物を大切にする心、言葉や人に対して謙虚に向き合う姿勢だったり。そうした一つひとつの振る舞いは、現地の方からも「素晴らしいね」と評価していただけることが多かったです。
当時は「日本人であること」自体が生き残るためのツールになりましたが、日本人が当たり前になった今の若い子たちは、もっと深い部分で自分だけのアイデンティティを見つけていかなきゃいけないので、僕らの頃よりもずっと大変だろうなと感じますね。
「成功者」という言葉では、自分の人生を語れない
――そうした波乱万丈な歩みを、今回「書籍」という形で発信しようと思われたきっかけは何だったのでしょうか?
髙田健太さん:職業柄、これまでもテレビやラジオ、雑誌など、いろいろな媒体でインタビューを受ける機会は多かったんです。
でも、ある時期からどこへ行っても「成功されましたね」「どうやって成功をつかんだんですか?」という質問ばかりを受けるようになって。そのたびに、僕の中でどこか拭えない大きな違和感があったんです。
――「成功」という言葉に対する違和感、ですか?
髙田健太さん:はい。「成功」って、年収が上がったとか研究成果が出たとか、ある一つの「事象の結果」を表す言葉でしかないと思うんです。
それなのに、世間からは「成功した人生」とか「成功者」みたいにひとくくりにされてしまう。
受け取る側の価値観によって意味がコロコロ変わってしまうような言葉で自分の人生を評価されたときに、「自分が命を懸けて歩んできたK-POPアイドルとしての経験や夢が、なんだかすごくペラペラで浅いものとして扱われているんじゃないか」って感じてしまったんです。
それがすごく腑に落ちなかったし、自分の歩んできた道のりに対するリスペクトに欠けている気がして嫌だった。
だからこそ、誰かに切り取られた評価ではなく、「自分の言葉(活字)」で自分の生き様を残したいと思ったのが最大のきっかけでした。
自分の言葉で伝えたい。執筆で大切にしたこと
――髙田さんは過去に絵の個展も開催されていますが、今回、表現手段として「活字」を選ばれたのには理由があるのでしょうか?
髙田健太さん: 絵って、観た人がどう感じるかという、受け取り側に100%委ねられる表現じゃないですか。だから、どうしても「抽象的」になるんです。
もちろん、抽象的に表現したい思いも自分の中にありますけど、僕のアイドルとしての人生や葛藤に関しては、あやふやにせず、もっと具体的かつ正確に伝えたいと思ったんです。
それに僕自身、10代の頃に劣等感でつぶれそうだったとき、本を読むことで「自分ではない誰かの人生」を疑似体験して、すごく救われてきた経験があって。
本を読むことだけが、自分の劣等感を消してくれる唯一の「薬」だったんです。
だから今度は僕が書くことで、自分が今まで経験してきたつらい思いを消化しつつ、誰かの役に立つ本にしたいという強い願いもありました。
――ご自身の人生を一冊の本にまとめるにあたって、執筆で最も大切にされていたことは何ですか?
髙田健太さん: 「絶対に暴露本にはしない」ということです。
出版社の方からは「内容は自由に任せます」と言っていただいたんですが、当時の自分の中には、事務所との訴訟やうつ状態を経験したときの「負の感情」がまだ濃く残っていたんです。
そのままの勢いに任せて書いてしまったら、単なる暴露本になってしまう。言葉って、生み出した瞬間に一つの「生き物」であり、「自分の分身」になると思っているんです。
SNSが発達した現代って、言葉を軽く捉えてポイ捨てするように発信してしまう人が多いですが、自分が発した言葉って、時には一人歩きして自分を苦しめたり、逆に自分を癒やしてくれたりする。
だからこそ、自分の分身を生み出す責任を持って、負の感情を吐き捨てるのではなく、丁寧に言葉を選びました。
でも正直、執筆のために過去の「思い出したくない傷」を鮮明に掘り起こす作業は、精神的におかしくなりそうになるほどつらかったですね……。
自身の過去と向き合いながら、言葉を紡いできた髙田さん。第2回では、執筆中の苦悩をどのように乗り越えたのか、そして書籍を通じて得た気づきについて伺います。
取材・文:出版甲子園実行委員会
編集:マイナビ学生の窓口 編集部






















