出版業界の売上が右肩下がりで、さすがの漫画業界もこの先が心配なんて話が聞こえてくるようになりました。今回は、若い世代からすると「!?」となるような、昔の漫画雑誌の話をまとめてみました。漫画業界が右肩上がり、熱気であふれていたころの話です。
■編集者の力が強かった!?
牧歌的というか、現在では考えられない話ですが、漫画家の知らないところで編集者の力が発揮されることが多々ありました。
例えば、漫画家が知らないうちに編集者によってネームが変更されていたりしました。ギャグ漫画内で勝手にギャグが変更されたりもあったとか。実際に印刷されてから漫画家がびっくりすることが普通にあったそうです。
また、「勝手に連載漫画になっている」「終わらせたと思ったら終わってなかった!」なんて話も。後者で有名なのが、本宮ひろ志先生の『男一匹ガキ大将』です。本宮先生は「完」にしたのに、編集者がそれをつぶして「つづく」になっていたのだとか。
■急に漫画雑誌が薄くなったことがある!
今では考えられませんが、昔漫画雑誌の厚さが急に半分程度になったことがあります。オイルショックが原因とされる「トイレットペーパー騒動」が起こった1973年のことです。なぜかオイルショックが「紙不足」と結び付き、その余波で漫画雑誌が薄くなりました。
少年だった筆者は「そんなに紙がないのか」とびっくりした覚えがあります。その後何十年もたってから、その当時、某大手印刷会社に勤務していた人に聞いたところ、「紙の供給は全くひっぱくしていなかった。オイルショックと全然関係なかったもの」ということでした(笑)。
当時はネットもありませんでしたから、報道されたことを確認する方法がありませんでしたからね。それにしてもひどい話です。
■本誌よりも厚い単行本が付いていた!
1960年代後半から漫画雑誌の売り上げ競争が激しくなり、漫画雑誌に漫画の別冊が付録として付くことが珍しくなくなりました。この競争も激化し、本誌よりも付録の方が厚いなんて異常事態にまで発展しました。筆者も当時秋田書店から刊行された漫画雑誌『冒険王』を購入していましたが、付録の厚さに驚いたことをうっすら覚えています。
■漫画家の住所が公開されていた!
昔の漫画雑誌では、漫画家の住所の情報が公開されていました。ウソではありません。漫画雑誌のハシラのところに、「○○先生にはげましのおたよりを出そう!」とあって、そこには○○先生の住所が掲載されていたのです。
今では考えられないことですが、編集部主導で漫画家の先生方にファンレターを出すことを推奨していたわけです。ちなみに筆者もファンレターを出したことがあります。
■『週刊少年チャンピオン』がトップランナーだった!
現在では週刊少年漫画誌のトップ部数は『週刊少年ジャンプ』ですが、『週刊少年チャンピオン』がトップの部数を誇っていた時代があったのです。少年誌で初めて250万部を印刷したのはやはり『週刊少年チャンピオン』です。
『ドカベン』『ブラック・ジャック』『750ライダー』『がきデカ』『マカロニほうれん荘』などの名作漫画が連載されていた1977年-1978年ごろです。80年代になってチャンピオンは失速し、その後はジャンプの独走となるのですが......。
※当時の『週刊少年ジャンプ』の公称部数が285万部ですので、チャンピオンはジャンプを抜いていないという説もあります。
(高橋モータース@dcp)
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