第2回:新卒の個性は孤性に過ぎない

2013/08/21

仕事全般

第2回:新卒の個性は孤性に過ぎない

いよいよ「社会人の4大タブー」について解き明かしていく。まず、「個性」について考えてみよう。誰しも「没個性の人」と言われたくないので、個性はあったほうが良いと、ほとんどの人が考える。その考え方は間違っていないのだが、個性の使い方が間違っていると言える。

ほとんどの人が認識している個性の概念を一言で表現すると「個々の特徴」となる。ところが人はみな、良い方の特徴ばかりをイメージする。「個性的な人」という言葉になると、際立って優れた人、目立った人、素晴らしい人という意味をイメージする人が多いのは、その顕著な例だ。ところが実際の特徴は良い方にも悪い方にもぶれる。人一倍声が大きくて明るいのもひとつの個性だが、人一倍声が小さくて暗いのもひとつの個性だ。このように考えると、個性のない人はいない。つまり、全員が「個性的な人」となる。正しくは、「人は必ず個性を持っている」のだ。したがって、ことさら個性的かどうかにこだわる必要がないのだが、実際にはこだわる人が多い。このことが失敗する社会人を大量生産してしまうのである。

なぜ失敗するのか?

それは単純な因果関係で成り立っている。人の成長は、多くの基礎能力を積み上げて初めて右肩上がりのカーブを描くことになる。しかし、基礎能力を積み上げている間は至る所が未熟な能力のままに過ぎない。未熟な能力を言い換えると基礎知識(経験も含む)の欠如となる。誰もがそのような状態から社会人としてスタートするにもかかわらず、「個性を発揮したい!」という欲望が前面に出ることによって、未熟さを露呈してしまう失態を重ねることになってしまう。「こんな意見を出せる私は天才だろうか」と悦に入るような意見も熟練した先輩諸氏にとっては、「我々も歩んできた道。みな若い頃は自分の意見を金科玉条の如く、誰も発想できない凄い意見!と勘違いしているたぐい」にしか見えないものだ。

つまり、能力不足が「因」となり、未熟さの露呈という「果」を招くのだ。

そうならないために、個性を発揮したいとの意気込みは、熟練者がいっぱい存在する組織の中では、基礎知識の欠如を露呈させているだけで、「使えない奴」「若気の至りも度を過ぎる奴」「我が強いだけの無能力な奴」などといったレッテルを貼られるに過ぎないことを早くキャッチしなければならない。中途半端な能力レベル時の個性発揮意欲は、逆の結果を招くだけなのだ。

しかも、それだけではない。度が過ぎると、「孤性」発揮につながりかねない。「未熟者」として多少のミスは大目にみてくれている先輩や上司から見放されてしまうこともあり得る。「個性」を発揮させようと意気込む行為が、組織の中での「孤性」化を招いてしまうことになるのだ。

会社組織は、経験を重ねながら基礎知識を積み上げている人々で溢れているという認識を強く持つことが、「孤性」化への暴走を防ぐことにつながる。「個性」に磨きをかけたいなら、修行の身の間は「個性」を発揮させようとしないことだ。入社してまず大切なことは、「個性」を出すことではなく、組織の一員になるべく基礎知識を積み上げることに専心することだ。先輩や上司の仕事っぷりをよく観察し、「自分の個性」にこだわるのではなく「徹底的な真似」に徹してほしい。それが、将来の「個性」を生み出す。



著者:藤本篤志 USEN取締役、スタッフサービス・ホールディングス取締役を経て、株式会社グランド・デザインズ設立、代表取締役に就任。著書に「社畜のススメ」「就活の壁」など。

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