「障害者を助けたいわけじゃない」不登校だった少年が分身ロボットカフェを立ち上げるまで

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東京・日本橋にある「分身ロボットカフェ DAWN ver.β」

東京・日本橋にある「分身ロボットカフェ DAWN ver.β」で、客の注文をテーブルに運ぶのは全長120cmのロボット「OriHime-D」。遠隔で操作するのは、国内外に住むパイロットと呼ばれる人たちで、客と楽しそうに談笑する場面も。最近はインバウンドの観光名所にもなっているこのカフェを立ち上げた、株式会社オリィ研究所の吉藤オリィさんに話を聞きました。

―― 分身ロボットカフェのコンセプトを教えてください。

何らかの理由で外出することが困難な人たちが遠隔でロボットを操作することで、客と会話したり、ドリンクや食事をテーブルに配膳したりする実験型のカフェです。現在、OriHimeを操作しているのは100人以上のパイロット。ベッドの上で寝たきりの人、精神疾患があり外出できない人、家族の介護があるため働けない人など、取り巻く環境は一人ひとり違います。

―― 吉藤さんが「OriHime」を開発した背景に、ご自身の不登校があるそうですね。

私が不登校になったのは10歳か11歳の時です。もともと体が弱く、小学校を休みがちでした。仲の良かった祖父が他界したこと、原因のわからない腹痛で検査入院になったことも重なり、しばらく学校を休むことになったんです。久しぶりに登校したら「なんで来たの?」と声をかけられて、居場所がなくなっていくように感じました。

当時は「不登校」や「引きこもり」という言葉が存在せず、登校拒否といわれた時代です。先生が家まで来て、パジャマ姿の私を担いで行くこともありました(笑)。マニュアルがまだ存在しなかったんでしょうね。あの手この手を尽くしてくれましたが、不登校は小学5年から中学3年まで続きました。

―― パジャマ姿で担がれる…時代を感じるエピソードですが、当時のことは覚えていますか。

1日中ベッドに寝ている生活で、いまだに木目調の天井を見るとあの時の感覚が蘇ります。時計の針のカチッカチッという音を60回聞いて、ようやく1分が経つ。そんな時間の中を生きていました。なぜあんなにも苦しかったのか。強烈に孤独だったからだと、大人になってわかりました。

不登校からなぜロボットの道へ

―― 吉藤さんがロボットを作るようになった転機は何だったのでしょう。

不登校の5年間、ピアノや絵画、アートバルーンなど、両親はいろいろな習い事を私にやらせてくれました。私の父は地元でも知られる熱血教師で、奈良県でも有名なキャンプファイヤーの達人でもあります(笑)。その父に、無人島キャンプツアーに送り込まれたこともありますが、それらは私を変えるきっかけにはなりませんでした。

鍵になったのは折り紙です。実は、保育園の頃から集団行動が苦手だった私は、教室でひとり、折り紙で遊ぶ子供でした。不登校の時も折り紙だけはなぜか続けることができたのです。そこに目をつけた母が「折り紙が作れるならロボットも作れるだろう」という理屈で、私をロボット大会にエントリーしたのが2000年のことでした。

―― 母親の直感のようなものだったのでしょうか。

そうかもしれません。大会では40人のエントリーがあり、うち39人が全員失格という奇跡の優勝を果たしました(笑)。ロボットの世界に足を踏み入れて間もなく、地元の工業高校で教師を務める久保田先生に出会うことになります。先生の作るロボットがすごくて「この先生に弟子入りする!」と、いままでの時間を取り戻すように私は猛勉強を始め、無事に入学。人と話すのは変わらず苦手でしたが、引きこもりの生活には終止符を打ちました。

高校の3年間は車椅子の改良に没頭する日々。父が支援学校に関わっていたので、昔から知的障害や身体障害を持った子供たちが家に出入りしていました。車椅子ってすごく面白い乗り物なのです。私は車椅子の研究で世界大会に出場する機会に恵まれ、それをきっかけに、卒業後は高専を経て早稲田大学に進学しました。

吉藤さんが2010年に開発した「OriHime」は高さ30cmもない小さい胴体。首を動かしたり手を上げ下げすることで周囲とコミュニケーションを取ることができる。

―― 大学でも車椅子の研究を?

いえ、車椅子の研究は高校で一旦終わり、孤独の解消へと私の関心はシフトして行きました。当時、インターネットの出現で、孤独の存在が可視化され始めていたタイミングだったのです。私自身も2度と孤独になりたくないという強い思いがありました。

ある日、自分の顔をスキャンしたマスクをつけたロボットを遠隔で操作しながら、授業に参加した日があったのです。OriHimeの原型ですね。分身ロボットで孤独の解消ができるのでは?と、3年生の時に1人で研究所を立ち上げたのが、今も社名になっている「オリィ研究所」です。

寝たきりの親友を秘書として雇う

―― 大学卒業の翌年に出会った、番田雄太さんについて教えてください。分身ロボットカフェを立ち上げるきっかけになった方だとか。

2013年の12月に番田雄太という、寝たきりの男が連絡してきました。彼は4歳の時に交通事故にあってから私と出会う24歳までの20年間、特別支援学校に行くこともなくずっと病院で暮らしていました。

不登校だったとは言え、両親にいろんな挑戦をさせてもらった私とは違い、番田は20年間、手を動かした記憶すらない。そんな番田が唯一動かせる頭を動かすことでPCに文字を一つひとつ入力し、メールを送っていたことを知りました。

秘書の番田雄太さんと吉藤オリィさん

―― 連絡が来てすぐ、番田さんのいる岩手県に飛んだそうですね。

私たちは意気投合しました。20年間も外に出られなかった番田がOriHimeを使って働くことができたら、きっと多くの人の選択肢になり得る。孤独の解消にもつながる。私はそう思い、番田を秘書として雇用したのです。番田はとても喜んでいました。

最初はめちゃくちゃでしたよ(笑)。社会に出たことがないから、やっちゃいけないこともわからない。でも、2年後には秘書としてちゃんと働けるようになって、その後は講演活動で全国を周る相棒にもなりました。寝たきりでも引きこもりでも、OriHimeを使えば働くことができると確信したのです。

親友が遺した言葉に背中を押されて

―― 番田さんは岩手にある病院のベッドからOriHimeを遠隔操作する形で、オフィスに出勤していたのですか。

そうです。彼の体は岩手で、OriHimeは東京。仕事はそれで十分できますが、ひとつ問題がありました。来客はほとんど東京のオフィスに来るので、接客するのは私になります。玄関に出迎えてOriHimeの前で「こちらが番田です」と紹介するのも、コーヒーを淹れるのも私。「これじゃ私が秘書じゃないか。君がコーヒーを持ってきてくれよ」と冗談をいうと、番田が「じゃぁコーヒーを運べる体を作ってくれ」って言ったのです。 

その会話から生まれたのが、いま分身ロボットカフェで接客している「OriHime D」です。

2018年に完成したOriHime-Dは全長120cm。パイロットによる遠隔操作で移動も可能になった。

―― そんな冗談を言い合えるお二人の関係性が、そのエピソードから伝わってきますね。

不登校の頃、先生が家まで私を迎えにきたり、友達が学校のプリントをわざわざ持ってきてくれたりするのが本当に嫌でした。
もう放っておいてくれよと思ったし、「ありがとう」が言えなくなって「すいません」と言うばかり。助けられ続けていると、自己肯定感が保てなくなるんです。そういう人は多いんじゃないかな。だから私は人を助けるのが苦手だし、番田のことを助けたい、障害者を助けたいと思ってやってるわけではないのです。

空を飛びたいと思っても、私たちには翼がない。そこには障害があります。
だから翼のある飛行機を人間は作った。私がやっているのはそれと同じことで、そこに障害があるなら、どうやればできるようになるかを一緒に考える。

私も高齢になったら自分でトイレに行けなくなったり、着替えができなくなったり、寝たきりになるという障害が生まれますよね。そういう意味で番田は「寝たきり」の先輩でもあったし、孤独を解消するという私の研究において、彼の障害はアイデアの宝庫でした。

―― 人間は誰だって老いていくし、事故や怪我でいつ障害を負うかわかりません。孤独は一人ひとりがいつか向き合うことですね。

「移動を自由にし、対話を自由にし、そこに役割を作る」。現段階の私の仮説はこの3つに関わる障害を取り除くことによって、孤独は解消できるというものです。

つまり、移動と対話が自由にできても、役割がなければ孤独は解消できない。助けられるだけじゃなくて、自分にも役割があるという関係を築くことで、身体が不自由でも、心は自由でいられる。私と番田はその関係性を先立って作れていたのだと思います。

分身ロボットカフェで挑戦したいこと

2025年4月にはデンマーク・オーフス市で初の海外店舗をオープン。日本に住むパイロットが遠隔でデンマークのカフェに出勤した。

―― 2017年に番田さんは他界されましたが、彼の想いは分身ロボットカフェという形で実を結んだんですね。

OriHime-Dが完成したのは、番田が危篤になる2か月前でした。2017年に彼が亡くなって私は塞ぎ込み、研究を辞めようと思ったこともありました。でも、生前に番田が言っていた言葉を思い出し、自分を奮い立たせました。「これまでは体が資本だと言われた時代だった。体が動かない俺たちは資本がないのか?コストなのか?そうじゃない、心が自由なら何でもできる。こんな身体で生まれてきたからこそ、生きた証を残したい」と。

番田が危篤状態だった時に、日本財団さんや当時のNTT副社長にお会いすることがあり、カフェの構想をお伝えしていたのです。「面白い」と言っていただき、多くの企業にも協賛や協力いただき、2021年6月に「分身ロボットカフェ DAWN ver.β」はスタートしました。

AI時代を迎えたからこそ、人間にしかできない「関係性労働」も一緒に追及しながら、これからも孤独の解消のためにいろいろな実験を続けていきたいと思います。


取材・文:ぎぎまき
編集:マイナビ学生の窓口編集部
取材協力:分身ロボットカフェ DAWN ver.β  https://dawn2021.orylab.com/

ぎぎまき

ぎぎまき

本名です。TV制作会社AD、雑誌編集者、報道記者を経てフリーのライターに。メディアの道に入るきっかけをくれたのは犬。経営者からお笑い芸人まで人物インタビューを主に担当。

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