上野を観光するなら絶対行くべき! おすすめ人気スポット12選 3ページ目

編集部:はまみ

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上野のおすすめ観光地6 上野恩賜公園

上野恩賜公園

新政府軍と旧幕府勢力が戦った戊辰戦争1868年〜1869年(明治元年〜明治2年)における上野戦争で、上野にあった寛永寺とその一帯はすっかり焼け野原と化していました。しかし、そこに1870年(明治3年)、医学校と病院を建てるべく上野の山を視察したオランダの医師ボードウィンが、ここは公園として残すべきと日本政府に働きかけました。その結果、1873年(明治6年)の太政官布達によって、芝、浅草、深川、飛鳥山と共に、この上野が公園に指定されることに。それは、日本初の公園指定でした。これにより、ボードウィンは、上野公園生みの親とされています。

そこは江戸時代には東叡山寛永寺の境内地だったのですが、明治維新後は官有地となり、大正13年に宮内省を経て東京市に下賜されています。で正式名称には「恩賜」の冠がついているのはそのためです。当初は、寛永寺社殿と霊廟、東照宮、境内の桜が中心の公園でしたが、その後、この敷地内に東京国立博物館、国立西洋美術館、国立科学博物館、恩賜上野動物園などの文化施設が集中して建つようになり、文化の薫り高い公園へと生まれ変わっていったのでした。

通称「上野公園」、「上野の森」とも呼ばれ、また武蔵野台地末端の舌状台地「上野台」にあるため、「上野の山」とも呼ばれることもあります。総面積約53万m2。東京都建設局の管轄になります。「上野公園」というのはまた台東区の町名でもあります。「日本さくら名所100選」に選定され、桜の開花時期になると大勢の花見客が押し寄せることでも有名。2010年度から2015年度までの計画で「上野恩賜公園再生整備事業」が進められています。


<観光>
■住所:台東区上野公園5-20
■交通: JR・地下鉄銀座線・日比谷線「上野」下車徒歩2分
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/toubuk/ueno/ind...

上野のおすすめ観光地7 徳大寺

徳大寺

「徳大寺(とくだいじ)」は、東京都台東区上野4丁目アメヤ横丁の商店街の中にある日蓮宗の寺院。正式には日蓮宗妙宣山徳大寺と言います。このお寺は、まわりを商店に囲まれており、立体構造のちょっと変わった寺院様式が特長です。参道・境内はには、すぐ下にあるアメヤ横丁とはまるで別世界の空間が広がっています。正午と夕暮れ時に商店街に響きわたる鐘の音は、この「徳大寺」の鐘楼堂からのものです。

くわしい歴史年代については定かではありませんが、「徳大寺」は江戸時初めの寛永年間に慈光院日遣上人によって創建されたと言われます。そして、この徳大寺に奉置されている摩利支天像は、なんと、聖徳太子が自ら作ったものなのだとか。その姿は、左手をかかげ、右手に剣を持ち、走るイノシシの上に立つというユニークなもの。厄を除き運を開く勝利の守護神であるとされ、その由来から江戸期には、武士や芸道者の信仰を多く集めました。

そして、時代は明治へと移り、江戸から東京へと改まると、上野は東京市下谷区に編入。この頃には、毎月亥の日(摩利支天像が走るイノシシの上に立つことから)の御縁日に摩利支天横丁では多くの露店が立ち並び、大変な賑わいとなりました。その後、関東大震災、東京大空襲による火災類焼により堂宇は二度も灰燼に帰してしまいます。しかし、御尊像は幸いにもそのつど焼失を免れました。つまり「厄を除く」ご利益を御尊像自らが証明したことになります。終戦後の混乱期、闇市の出現もあり、「徳大寺」は移転再建も検討されましたが、昭和39年11月には、この地で堂宇再建と全伽藍の復興を果たし、今日に至っているということです。


<観光>
■住所:東京都台東区上野4丁目6-2
■交通:JR「御徒町」駅より徒歩約2分
http://www.marishiten-tokudaiji.com/

上野のおすすめ観光地8 不忍池

不忍池

「不忍池(しのばずのいけ)」は上野恩賜公園(東京都台東区)の中にある天然の池。上野恩賜公園の南端に位置し、周囲は約2km、池全体の広さでは約11万m2。北側で上野動物園西園、東側で京成上野駅、南と西側で不忍通りに接しています。弁天島に建つ石碑には、「不忍池」の名はかつて上野台地と本郷台地の間の地名が忍ヶ丘(しのぶがおか)と呼ばれたことに由来する、とあります。これには異説もあり、周囲に笹が多かったことから篠輪津(しのわづ)が転じて、という説や、男女が忍んで逢っていたからという説も。なにはともあれ、15世紀頃には既に「不忍池」と呼ばれていました。

さらに時代を遡れば、縄文時代の大昔には、この一帯は東京湾の入り江でした。その後、海岸線の後退で取り残され、紀元数世紀頃に池になったと考えらています。明治時代の初期までの池の形も現在のものとはかなり違っていました。特に池の北側は今よりもかなり広く藍染川(谷田川)という川も注いでいたといいます。また、1884年には、共同競馬会社による競馬場の建設に伴い埋め立てが行われ、ほぼ現在の形に。池を周回する形で作られた競馬場で、同年11月には天皇臨席のもと第1回の競走が行われ、以降1892年まで春と秋に競馬が行われていました。

戦後の一時期は、水が抜かれて水田(不忍田圃)となり、その跡地には野球場を建設する案なども出されたものの、1949年には池のまま保存することで合意されていったということもあります。1967年9月には地下鉄千代田線の建設工事に伴う土砂崩れで池の底が抜け、約3万トンの水がトンネルに流れ込む事故もありました。

現在の不忍池は、その中央に弁才天を祀る弁天島(中之島)を配し、池は遊歩のための堤で3つの部分に分割。それぞれ、一面が蓮で覆われる蓮池、ボートを漕いで楽しむことのできるボート池、上野動物園の中に位置しカワウが繁殖する鵜の池の3つがあります。


<観光>
■住所:東京都台東区上野公園・池之端三丁目
■交通:JR・地下鉄銀座線・日比谷線「上野」下車徒歩2分
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/toubuk/ueno/ind...

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