【実践】自己分析をやってみよう ―1―【企業サイドから見る「自己分析」24】

【実践】自己分析をやってみよう ―1―【企業サイドから見る「自己分析」24】

2015/05/22

企業研究

自己分析

自己分析をやってみる

それでは、私の掘り起こしをベースに自己分析してみます。

念の為、再度書きますが、私の場合、子供の頃から駆け足で過去の掘り起こし作業をしましたが、実際には、もっと詳しく行う必要があります。しかもダラダラと。この作業を面倒くさがってしまうと、大事なファクターが抜け落ちる可能性があります。

せっかく子供の頃から、順を追って書き出したので、それぞれの時代でまとめてみます。カテゴリーは、細分化するとキリがないので、「学校」「好きな学科」「部活」「趣味」「遊び」「人間関係」「恋愛」「バイト」「その他」くらいにします。

まずは前提として、子供の頃の価値観。

【1】島根県西部の過疎化丸出しの地域で育った。高齢化が進む地域で海や河、山等の自然は豊富。
【2】昆虫や生き物が好きだった。夏休みは昆虫採集。魚を採ってきては、家で飼った。
【3】将来の方向として、親に高校と大学の進路を洗脳されていた。

1.小学校

■「学校」
⇒クラスでは存在感あり。学級委員。生徒会。負けず嫌い。自分の非を指摘されるのが苦手。身長は、当時は高い方で、力も強かったけど、肝っ玉が小さく、弱虫なんでケンカは嫌いだった。 クラス会なんかでは意見を言う方。そして仕切る方。学校は休んだことがない。

■「好きな学科」
⇒強いて言えば理科。でも好きとか嫌いとかはあまり考えなかった。ノートを取ったり、教科書にアンダーラインを引いたりするが好きだった。

■「部活」
⇒野球が好きで草野球をよくやっていた。結構上手かったはず。でも部活は、入らなかった。 根性がないから、怒鳴られたり、苦しい想いするのがイヤだった。草野球のように、自分のペースで、楽しくやるのが好き。

■「趣味」
⇒低学年の頃は、野球、釣り、漫画等々。高学年になると、ゲームや読書。

■「遊び」
⇒趣味に同じかな?

■「人間関係」
⇒友達は多かった。遊ぶのは男ばかりだけど。クラスの人間とは、だいたい遊び仲間だったと思う。遊ぶのは同級生ばかりで、学年が違う子と遊ぶことはなかった。集団登校とか、町内の子ども会とかで遊ぶことはあった。先生には総じて誉められることが多かったと思う。 頼りにされるのが好きだったので、色々自分から動いた方だけど、それは「嫌われたくない」という気持ちの裏返し。仲間はずれに対する被害妄想が強い。「俺の悪口言ってるんじゃないか?」というマイナス思考

■「恋愛」
⇒好きな子はいたけれど、男女の交流があまりなかったので、あまり話した記憶がない。

■「バイト」
⇒やってない。

■「その他」
⇒母親のやっていた喫茶店には、当時よく行っていて、バイトのお姉さんや常連客に可愛がってもらえた。 この頃から外面がよかったのかも。

次は、中学時代です。

2.中学校

■「学校」
⇒小学校と同じで、クラスでの存在感あり。学級委員。生徒会。生徒会での目標の立て方とか、キャッチコピーの使い方を工夫して、既成観念に囚わず運営した。また 「おかしいものはおかしい!」と教員にも主張してきた。

■「好きな学科」
⇒主要5科目はそんなに苦手意識はなかったが、実技系科目は苦手だった。特に美術。芸術的センスはないと痛感した。

■「部活」
⇒柔道部。根性のない私が入部したのは、奇跡に近い。顧問が担任だったという縁で、無理やり引っ張られた。でも、基本的に運動神経はある程度良かったので、そこそこの成績はおさめたし、主将も務めた。上下関係を円滑にし、練習方法も合理的にやることを意識した。でも柔道をすること自体は、あまり好きではなかった。

■「趣味」
⇒読書。お笑い番組を見ること。音楽(主に邦楽)のカセット録音集め。

■「遊び」
⇒ゲーム(パソコン・ファミコン)がメイン。海が近かったし、夏は一日泳いでいた。そこで、ウニなんかを取って食べるのが最高だった。

■「人間関係」
⇒この頃は、遊ぶ友達も限られていたような気がする。学校内では誰とでもしゃべったけれど、部活もあったし、そんなにいろいろなヒトと、分け隔てなく遊んだ記憶はない。

■「恋愛」
⇒お付き合いはしてない。

■「バイト」
⇒やってない。

■「その他」
⇒生き物が好きという概念が生物教科にシフトしていったのがこの頃。

「学校」欄に書いたことを、少し補足すると、中学校時代は、「とにかく変わったことがしたい!」「おもしろいヒトだと思われたい!」という、内心あったのだとも思いますが、現状に甘んじるのもイヤでした。

生徒会では、執行部の他に、体育部長もやっていたんですが、どこの部もそうですが、「今学期の目標」とかいって、何かスローガンを掲げる必要があったんですよね。

体育部のスローガンはだいたい「運動会を成功させよう」とか、「地区陸上大会で好成績を収めよう!」と行った具合に、毎年決まっていたんです。でもこれって、生徒一人一人の心には、絶対に落ちないって不満だったんです。だから私の時代になったら、もっと日常的なスローガンにしようと思ってて、「いい汗かいて体育をしよう!」に変えました。これはウケましたね。

またもう一つ、 私の中学を語るのに、重要なエピソードがあったのを思い出しました。

私は絵がへたくそで、本当にセンスまるで無しなのですが、忘れもしない、中2の2学期の期末試験で、美術の試験があって、左手の握りこぶしを写生しなさい、という問題があったんです。

普通は、記述の問題が70点くらいあって、30点くらいで実技の問題があるものだし、それなら判るけれども、そのときは実技のみで100点満点。これは、私なんかは努力しても、点数が取れる訳がない。

案の定、返ってきた答案を見ると、

「8点」……。

もともと、絵のセンスがないのは自覚してましたが、こうやって、客観的に点数で言われると、複雑です。多感期のこの時代だから、余計に覚えてます。ただ、この話には続きがあって、その数日後、違うクラスの友達に、「あの美術のテスト、何点だった?」って聞いたら、「俺は9点だった」という答えが返ってきたんです。

「9点」……。

「ちょっと待て、8点と9点の違いってなに? どういう理由で点数をつけてるんだ?」っていう想いが、沸いてきたのを覚えています。

私は、 オカシイと思ったら堪えきれないタイプなので、すぐに先生に直談判しました。でも、その美術の先生は、答えてくれませんでした。逆ギレする始末。そこで私は、教頭のところに行きました。

「だいたい、筆記試験で実技100点っていうのもおかしいし、ヒトの書いた絵に点数をつけるのも、おかしい。100点満点中、8点と9点っていう、1点差をつけることができるほど、美術の先生はスゴイ人なのか?」

っていう具合に。これは自分の点数がどうだこうだ、というよりも 単純に「曖昧なのは許せない!」という正義感に由来する行動だと思います。

「職員会議で絶対に議論してくれ」とまで、お願いしましたが結局ウヤムヤでしたね。


こういった行動は、今の私の起点だし、本質部分の根っこになっているのは、間違いないことです。少なくとも「今の自分を語る」ときには、この時代の価値観は、無視できないファクターです


次回も引き続き、高校以降の掘り起こしをベースに自己分析を進めてみようと思います。


文・コンテンツ提供●安藤恒久

【プロフィール】
東京農工大学農学部卒。その後福山大学大学院工学研究科修士課程修了。1996年、大手飲料食品メーカーに入社。主に経営部門で会社組織運営に携わる。その後は、ブライダル業界に転身。管理部門の責任者として株式公開業務担当。以降、雑貨商社、IT、教育など多様な業界で事業構築を行う。2005年6月から始めた、「会社側の本音」と「就活生の自信構築」をコンセプトに書き連ねたブログ『会社サイドの就活日記 ~面接は怖くない!企業と面接官の本音を知ってください!~』は毎年 数多くの就活生や新社会人のバイブルとして支持されている。

『会社サイドの就活日記 ~面接は怖くない!企業と面接官の本音を知ってください!~』
http://ameblo.jp/yansono/


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