【人事部長が実践】自己分析で大切な「過去を掘り起こす」作業【企業サイドから見る「自己分析」23】

【人事部長が実践】自己分析で大切な「過去を掘り起こす」作業【企業サイドから見る「自己分析」23】

2015/05/20

自己分析

企業サイドから、より良い就職活動をするため自己分析の仕方をアドバイスをするこの連載。今回は「自己分析で大切な「過去の自分を掘り起こす」作業」と題し、著者の実体験をもとにどのように過去を掘り起こしていけばいいのか解説していきます。

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就活 自己分析 過去の自分

今回は自己分析をするうえで重要な「過去の自分を掘り起こす」という作業を、私を題材にやってみようと思います。

現在を起点に過去を洗い出しすという順番もありますが、私は過去から徐々に洗い出していきます。

些細なことでも構わないので、頭に浮かんだことを書き出すのが大切です。これが自己分析の大事なツールになります。


■小学校時代

私は島根県で生まれ育ちました。島根県は、日本でも1、2を争うくらいマイナーな県です。しかもその島根県でも西よりの、江津市という小さな町が私の出身地です。

実家の自分の部屋は2階にあり、ベランダからは日本海が見えました。でも後ろを振り返ると山。そんな環境下で10代を過ごしました。私の価値観や精神は、ここから根付いたものがたくさんあります。

子供の頃は、昆虫や魚が大好きで、夏休みの自由研究は昆虫採集。魚も沼や小川で採ってきては、水槽に入れて飼う。水槽の中をいつまで見ていても飽きませんでした。夢はファーブルを超えることでしたね。

親からは、子供の頃からずっと「高校は、隣の市の県立の理数科に入って、大学は東京の理系の国立大に行きなさい」と言われていて、そういう進路になるんだろうと半ば洗脳されて、それが普通だと思ってました。

小学校の頃は、学級委員を1学期に必ずやっていました。生徒会も副会長でした。だからという訳ではないでしょうが、クラスではリーダー的存在というか、言動に影響力がある一人だったと思います。

また、 責任感や正義感もあったほうだと思います。

やらなきゃいけないことは自分がやる、悲しんでいる友達を見ると気になって仕方ない、といった感覚でした。

また、当時流行した言葉でいうと「ひょうきん」な性格だったし、友達も比較的多かったので、毎日遊ぶ友達には事欠かなかったです。

低学年の頃は、野球や釣りなどアウトドア派だったけれども、高学年になると、スーパーカー消しゴムで遊んだり、あとは、TVゲームが台頭してきた時期で、次第にインドア派になっていきます。

任天堂のファミコンは、確か私が6年生の時に発売でした。

私は、 良く言うと「友達の喜ぶ笑顔が見たい!」という意識があって、ゲームや漫画本も、気軽に貸してあげるようなところがありました。スーパーカー消しゴムも、気前良く友達にあげたりしていました。

外面(そとづら)も良かったので、友達の親にも、受けは良かったです。

でも 悪く言うと「嫌われて、仲間はずれにされたくない!」という、被害妄想が常にあって、その強迫観念が、気前よい行動に出ていたんでしょう。

私は、昔からウジウジと引きずる性格で、対人関係では、典型的マイナス思考なところがあります。

友達は、自分のことを悪く言ってるんじゃないだろうか……? 嫌われてるんじゃないだろうか……?

とか。

これは 大人になった今でもある、私の本質です。私の心の底流には、常に流れている思想です。神経質なんですね、基本的に。

そのくせ、自分の思い通りいかないと、すぐにムカついて、回りに気を使わせてしまう 自己中な子供でした。

勉強はそこそこ出来ましたが、一生懸命頑張ってる自分を他人に見せるのがイヤで、学校では授業中とかも、いつも悪ふざけしてました。

先生の評価は真っ二つに分かれていたと、後に母親から言われました。「いい子ですね」といってくれる先生と「ちょっとどうですかねえ?」という先生で評価は真っ二つ。

これは 私の本質である「神経質でマイナス思考の要素」と「他人に余裕ある姿を見せたい」という、いやらしい意識がぶつかってしまい、印象にズレが出たのだと思います。

今でもそうですが、昔からものの言い方は、尖ってるとか、威張ってるとか、生意気とかって言われます。でもそれは マイナス思考の裏返しです。

それと、学級委員とか生徒会っていうのは、結構生徒の前で司会をしたり話をする機会があったりしますね。だから私は子供の頃から人前で話すことに慣れています。

小学校時代の家庭環境を書くと、私は、典型的な「おばあちゃん子」でした。父親も母親も、ともに自営業者。父親は設計士で、母親は喫茶店経営。よって家のことは、母方のおばあちゃん任せでしたね。

このおばあちゃん子だったというのは、実は私の人生観にとって、重要なファクターです。 甘えん坊のわがままっ子でした。今でも同じです。

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