【人事部長が実践】自己分析で大切な「過去を掘り起こす」作業【企業サイドから見る「自己分析」23】

【人事部長が実践】自己分析で大切な「過去を掘り起こす」作業【企業サイドから見る「自己分析」23】

2015/05/20

自己分析

■東京の大学へ

浪人中は、広島という、私にとっては大都会に住むことになりましたが、予備校の寮にいたということと、全ては、大学に入ってから、と考えていたので、初めての都会の刺激には触れずに過ごすことができました。

ここでも優先事項は、勉強だったと思います。

浪人中に得た価値観で、その後に悪影響を及ぼしたのは、「意外と、世の中の受験生って、そんなに大した人はいないなあ」という考えでした。

高校の頃は、クラスの仲間が、みんな成績良かったし、3年間も一緒にいると、だいたい試験の結果も、自分の"定位置"が決まってきます。私は中から下でしたから。でも浪人すると、それこそピンからキリまで色んな人がいます。

だから浪人中の成績は、文句なく良かったです。志望校に関しても、偏差値的にはそんなに飛び抜けて高い訳でもなかったし、まあ普通にやってれば、楽勝って感じ。

そんなこんなで、無事、志望していた東京の大学に入学することになります。

第一志望の大学ではあったんですが、 入学してすぐに、学校に本当に興味がなくなってしまいます。理由は2つあります。

【1】同じ試験を受けて合格して、そして入学してきた同じ学年の人が、みんな頭悪く見えた。

【2】私が受ける前年に、農学部の改組があって、旧9学科が統合されて、新3学科になり、学生は勉強しながら自分の希望と適性を見極めつつ、学科を決められるとのことだったのに、実際は違った。

ということが挙げられます。

まず、【1】について。

私はずっと田舎育ちで、観光とかでも、他県の人があまり来ることがなかったし、人口も少ないし、狭い閉鎖的な価値観で育ってきました。

高校時代も、学校の教師に洗脳されて、生活の中心は、勉強だったし。ガリ勉とかっていう訳ではないけれど、要は都会のように、例えばアルバイトをするとか、街へ繰り出して遊ぶとかっていう、文化もなければ場所もないといった感じでした。

だから、やることが限られてくるんですよね。高校生活の時間を利用して、いろんな経験ができる状況じゃないから。

さらに、浪人して1年余分に費やして、志望した大学に入ってみたけれど、実際に大学にいるのは、高校時代に遊んでばかりだったとか、偏差値も全然良くないのに、たまたま受かったとか、部活もイベントもメチャクチャやってたとか、要は勉強以外のこともしっかりやって、青春を満喫して、大学に来ている人たち。

今考えると、私なんかより、よっぽど視野も広く、幅広い経験を積んだ人なんでしょうが、当時はそんなこと考えもしなかったです。

「なんでこんなヤツらでも受かるような大学に来たんだろう……?」

という 自己嫌悪の世界です。

また、私の大学でのクラスは、東京圏の人間が多かったため、飛び交う言葉は標準語。これにも馴染めなかったです。

それでも当初は、クラスの連中とも遊んだり、麻雀やったり、飲み行ったりもしましたが、楽しくなかったです。

いつしか疎遠になっていくのは当然の流れだったと思います。

そして【2】番目。

時代背景としては、昭和から平成に変わり、ハイテク文化や、バイオテクノロジーという分野も徐々に発達しようとする時期。当時は、多くの国立大学で、旧態依然とした体制を、新しい時代にマッチしたものに改変していこうという姿勢が見受けられていました。

そんな余波を、大学も受けていて、ちょうど私が、現役のときは旧学科、浪人してから新学科に移行したんです。

私は新体制の中で、いろんな視点から自分の適性と希望をジャッジできるんだと思っていたんですが、結論を言うと、私の学年までは旧体制のままになってしまいました。

将来所属する研究室なんかも1年生の時点で、学校側に決められてしまった、ということです。これには幻滅してしまいました。

もちろん、 これら2つの理由は、私の自己中から出た産物です。

私以外の人は、普通に学校に行って、普通に皆と勉強をして、決められた研究室に入った訳ですから、単なる私のわがままなんだと思います。でも若かった私のモチベーションを下げるには、十分な動機でした。

ということで、最初の1年目で、スッカリつまずいてしまいました。

「今まで信じて進んできた歩みは、果たして正しかったんだろうか? なんでこの大学に入って、壁に当たってしまったんだろう……?」

という具合に。

結局、これは卒業まで続く葛藤になります。

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