#生き方コンパスVol.5 福田雄一「なにか1つダメになったら、無限に可能性が広がるってことなんですよ」

編集部:まっつ
2019/04/19
未来発掘
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2018年秋ドラマで大人気を博した「今日から俺は!!」をはじめ、勇者ヨシヒコシリーズや銀魂シリーズなど数多くの大人気コメディー作品を生み出している福田雄一。

作品と同様、ご本人の人柄もとにかく楽しくて明るい。きっとゆるくて前向きなメッセージを下さると思いきや……そこで語られたのは子どもの頃からの夢を諦めた挫折と、長く厳しい療養生活のエピソード。

ご本人曰く、“暗黒の20代”。「もし自分だったら?」と想像すると、社会復帰すら難しいのでは…と思うほどに、つらく、先が見えない日々。

そんな日々に飲み込まれず、運命的に“希望”にたどり着いた福田監督の「失敗の先には無限の可能性がある」という言葉に説得力があるのは、当然のこと。

その軌跡には、ご本人の力はもちろん、ご家族のステキな支えがありました。

小学生からの夢の挫折から、演劇との出会いまで


――福田監督は、もともとプロゴルファーになりたかったと伺いました。

福田:そうですね。小学校5年生くらいからゴルフを始めて、真剣にプロゴルファーになろうと思ってました。高校を卒業してすぐに「プロの道に行きたい」と思ったんですけど、新聞記者の親父が高卒なのがコンプレックスだったらしく「お前には大学に行ってもらいたい」と。それでゴルフに強い成城大学を選んだんですよね。

でも説明会に行ったら、部費が毎月12万かかるって言われたんですよ。そんな金額を親に払わせるわけにはいかないし、バイトでも稼げなくて、これは立ちゆかんなと思って。それでせっかく大学に受かって上京してきたのに、「諦めがつくまでゴルフやらせてくれないか」と一回栃木の実家に帰って。だから僕、1年生のときは大学5日間くらいしか行ってないんです。


――実家から大学に通う、とかではなく?

福田:完全に休んでました。でもスポーツって、少年時代に持っていた動物的勘みたいなものを失う時期があるんですよ。その頃がまさにそんな時期だったと思うんですよね、どんどん上手くなくなっていって。それが自覚できた頃に、親父から「東京に帰りなさい」って言われました。

これはもう諦めなさいということだと思って東京に戻って、そこから引きこもりになりました。雨戸も開けずに、暗い部屋でずっとテレビを見て。


――やっぱり簡単には諦めきれなかった?

福田:や、諦めてはいたんですけど。小学生からの夢がなくなったことのショックですよね。次にどうしたらいいのかも分からないし。で、秋ごろに引きこもって、12月に演劇に目覚めるんですよ。


――なんか唐突な感じもしますが(笑)、どんなきっかけだったんですか?

福田:たまたま見てた「ニュースステーション」で、小劇場ブームの特集をやってたんですよ。それを見た瞬間に、自分が小学生の頃「お楽しみ会」のヒーローだったことを思い出したんですね。自分でコントを書いてたんですけど、他のクラスの子も見に来るくらい大人気で。うちの親父がお笑い大好きだったから、僕も好きだったんでしょうね。

小劇場のVTRを見たとき、そのことを稲妻のように思い出した。それですぐにコンビニ行って雑誌で調べて、そのときたまたまやってた第三舞台(※)を下北沢に見に行ったんです。そしたら、やっぱり面白くて!これをやろうと思って大学の演劇部に入りました。

プロゴルファーになりたくて成城大学入ったやつが演劇をやるって、激しい急カーブですけど(笑)。でもあのとき「ニュースステーション」を見てなかったら、人生違ってたなって思うんですよね。

※鴻上尚史主宰、小劇場運動第3世代の代表的な劇団。

親父の言葉に救われたことはたくさんある


――就活ももともとは演劇関係が希望だったんですか?

福田:僕ゴルフを始めるまでは新聞記者になりたいって言ってたんですよ、親父がカッコよかったから。でも親父は「新聞記者は大変だからダメだ」って言ってて。でも就活の時期になって「舞台で食っていきたいです」って言ったら、「……新聞記者でもいいんじゃない?」って(笑)。

だから僕、新聞社を3つくらい受けさせられてるんです。で、面接で「君がやりたいことは何?」って聞かれて話すと、最後に必ず「君はテレビに行ったほうがいいんじゃないかな?」って言われるんですよ。


――やりたいことを素直に話してたんですね(笑)。

福田:そうですね。でも僕がテレビを受け始めたころは、もうキー局ほぼ終わってて。だけどやっぱりテレビが好きなので、制作会社を受けたんです。

そのとき、のちに「料理の鉄人」のプロデューサーをやる松尾(利彦)さんのセミナーがあったんですけど。松尾さんがめちゃくちゃ怖かったんですよ、見た目が完全ヤクザで(笑)。で、僕が質問しなきゃいけなくなったとき、松尾さんの担当してた番組をめちゃくちゃに言ったんです。ぶっちゃけ松尾さんの番組がキライで(笑)、学生だからリスクないしいいやと思って。そしたら「お前、面白い!」ってなって。そこから大学卒業まで毎日休みなくここのバイトに行くことになるんですよね。


――バイトなのに休みなし……!そのまま入社することに不安はなかったんですか?

福田:バイト中に「カノッサの屈辱」の田中経一さんに出会うんですけど、彼は完全に憧れの人だったんですよ。だから田中さんの下で働けることがうれしかった。

田中さんがまたエキセントリックな人で、シェーバーでヒゲ剃ってそのまま髪の毛もガーッといったりするんですよ(笑)。そういうとき周りは凍りつくんですけど、僕は「うおおおおい」みたいにツッコんでた(笑)。それが重宝がられたんですよね。僕自身、そういう面白い人が大好きだし、田中さんにも可愛がられて。

ただ僕がなりたかったのは放送作家で、制作会社での仕事となるADとかディレクターではないなぁというのはあって。それで田中さんに相談したら「会社なんてイヤになったらすぐやめればいいんだから。作家やりたいんだったら、ここにいれば小山薫堂の台本も毎週読めて勉強にはなると思うよ」って言われて。

当時日本テレワークで制作してた「TVブックメーカー」の放送作家が小山さんで、毎週ナレーション原稿が送られてきてたんですけど、もう見事な文章なんですよ。これを毎週見られるならいいか~って。


――そうして実際入社されて、どういう仕事をされてたんですか?

福田:ADです。田中さんの番組で、素人さん同士を戦わせる番組をやることになったんですよ。そこで田中さんがスタジオ一面に古タイヤをまき散らした世界観を作りたいということで、僕が1人で毎週郊外の倉庫に古タイヤを借りに行くことになるんですけど。本当にADの先輩、誰も手伝ってくれなくて(笑)。

そのタイヤを運んでるとき、椎間板ヘルニアになったんです。最初ぎっくり腰だと思ったんですけど、次の日起きたら下半身の感覚がまったくなくなってて、「これはやばい」って。それで病院に行ったら、幼い頃から始めてたゴルフがすべての原因だといわれて。

そこから6~7年リハビリ生活。仕事をやめて実家に帰って毎日毎日、近所の山を頂上まで登り、腹筋背筋を300回やるっていう鬼のような生活に突入しました。


――6~7年も……!将来どうしたらいいのかも分からない状態で、不安だったのでは?

福田:それが、親父が「こうなった以上、やりたい仕事が見つかるまでは、無理にやりたくない仕事をやらなくていい」って言い出したんです。「何だったら30才までは働かなくていいよ」と。親父は高卒で地元の新聞社に入って、大卒には負けないぞってがむしゃらに働いて編集長にまで昇りつめた人なんですけど、振り返ったときに「楽しかったか?」と言われると、どうなんだろう……とずっと思っていたらしくて、それで。

だいたい男なんて、30前まで自分がやりたいことなんか分からないもんなんだよ」ってよく言ってました。


――お父様は、節目節目にステキな言葉で救ってくれますね。

福田:そうですね、親父に助けられたことはたくさんあります。そのとき、「お前の生活費は全部出してやるから、バイトもするな」とも言われたんですよ。「バイトするとそれなりに安心しちゃうから」って。

その効果はてきめんでしたね。当時、親父に金出してもらって劇団は続けてたんですけど、舞台ってやって年に3回くらい。そうすると、何もすることがない時期は1日が本当に長くてつらいんですよ。

学生の頃に引きこもってたときとは違う感覚で、あまりにヒマで胃から苦いものがこみ上げてくるようなつらさだった。だから、「早く自分のやりたい仕事をしたい」って思って、常にアンテナを張ってましたね。


――現在は作家としても監督としても成功を納められていますけど、そのつらい時期があってよかったと思いますか?

福田:そうですね。結局、そのすごくつらい中で仕事を探したのが、今の仕事のきっかけになってるんですよ。ヒマで苦しい状況から脱したくて、必死で就職雑誌を読みあさってたときに見つけた、よしもとの銀座7丁目劇場で働き始めたんですけど。

一応作家という名目で入ったけど、実際行ったら演出する人も舞台監督をする人もいなくて。僕は劇団をやってたから全部分かってるじゃないですか、それで舞台監督も作家も演出も全部僕がやってました。


――それまでやってきたことが、ちゃんと役に立っている。

福田:そうなんですよ。そこで当時売れてなかった極楽とんぼとかココリコと仲良くなって、ネタを書いたりするようになるんですけど。彼らがどんどん売れて「今度番組やるから一緒にやろうよ」って誘ってくれたことで、もともとやりたかった放送作家という仕事につくことになるので。


――運命がめぐりめぐって、放送作家にたどり着いたんですね!

福田:放送作家って、なりたくてもなり方が分からない職業だったので、半ば諦めてたんですよね。それが、たまたま劇場に入って、芸人さんと遊んでるうちにその人たちが売れて、一緒に連れていかれるっていう形で作家になってるんで、全部がうまいことつながってますよね。

叩かれることすらありがたい


――例えば勇者ヨシヒコシリーズは「予算がない」という壁を逆手にとって成功したりと、福田監督は壁を突破する発想がユニークだなと思うんです。そういう思考回路はもともとの性格ですか?

福田:いや~やっぱ“暗黒の20代”があるんで(笑)、壁を壁と思わないっていう力があるんですよね。だからドラマなり映画なり、すべてのものに対して制限は絶対にあるけど、その制限にぶち当たったとき「逆にそれを面白がる」っていうのは、僕の中で絶対的にあって。

なおかつここまで来て、もちろん僕にもアンチがいますしすごく叩かれたりもしますけど、それは逆に喜びでもあるんですよね。ムロ(ツヨシ)くんとよく話すんですけど、僕らが20~30代の頃とかって、ネットで自分の名前が出るなんてことはもう考えられないわけじゃないですか。だから文句とはいえ、自分の名前をネットで上げてもらえるっていうのは喜びでしかないわけです。

人が文句を言う根底にある怒りにしろ妬みにしろ、言うにはそれなりにパワーが必要で。そのパワーを自分に割いてくれたことは、もうありがたいことでしかない。だから朝起きてツイッター開くと「死ね!」って書いてあったりしますけど(笑)、ものすごくパワーが出るんですよ。


――その発想の転換はすごいです……!

福田:それを分かってるからなのか、嫁が僕が悪く書かれているものだけをスクショして送ってきたりします。

――それは優しさ……ですよね……?(笑)

福田:そう!あえての「ためになる悪口」(笑)。こういうことを言ってる人もいるんだから、気を付けたほうがいいよって。そこで「こういう人もいるんだな」って学べるから、すごくありがたいことです。

1回の失敗で終わりなんてことは、まったくない


――最後に、失敗を恐れがちな学生に監督からのメッセージをいただきたいです!

福田:へ?失敗を恐れる学生なんているんですか?


――全然います。特に就活は、失敗しただけで人生終わりだって考えちゃう子もいるくらいで。

福田:うそ~~~!? そんな、1回失敗しただけで終わりって思ってること自体がどうしたんだろうって思っちゃう(笑)。だって、1個ダメになったら可能性は無限に広がるんですよ。


――おお!名言!!

福田:いや、ほんとにそう思うとき、ありますよ。1個仕事を失ったとき、僕はこの時間で何か別の仕事ができる可能性があるって考えます。


――それは、成功された今でもですか?

福田:今でもです。だって、ダメなのが当然な業界だから。うまくいくことって、ほぼないんですよ。映画の企画が通らないとか普通だし。

以前、武豊選手が4000勝しましたけど、その何百倍も負けてるわけじゃないですか。だから「基本的にジョッキーは負ける職業だ」って言ってて、いいこと言うなぁと思いましたけど。勝ちは奇跡に近いことなんですよね。それは、僕らの職業も変わらない。


――失敗を恐れる人は、4000勝のほうばかりに目がいってプレッシャーになるのかもしれませんね。

福田:そうですね。勝ちのほうだけ見てられること自体、幸せなのかもしれないですけどね。僕ら、負けてる人しか見ないというか(笑)。


――でも監督は人気作を世にたくさん生み出していて、常に成功しているイメージです。

福田:監督っていう職業でいうと、転機になったのが「薔薇色のブー子」っていう映画なんですけど。あの頃は脚本を書くほうが好きだったから、監督っていう職業に真剣味がなくて軽い気持ちで撮ってて、当たりもしないけどハズレもしないっていう感じで。でも「薔薇色のブー子」で、とんでもないハズレ方をするんです(笑)。そのときに、映画って外すとけっこうな人たちが不幸になるんだなっていうことを思い知ったんですよ。そこから監督という職業に対しての気合いが変わった。


――ずっと失敗することがなかったら、その域に到達できなかったということですよね。

福田:そうです。監督作品への真剣味が変わって最初に撮ったのが「アオイホノオ」なんですけど、ギャラクシー賞をもらいましたし。だから、1回の失敗で終わりなんてこと、まったくないと思いますよ。

PROFILE:福田雄一(劇作家、放送作家、ドラマ・映画脚本家、ドラマ演出家、映画監督)

劇団ブラボーカンパニーの座長として、旗揚げ以来全作品の構成・演出を担当。放送作家として数多くの好視聴率番組を手がける一方、「勇者ヨシヒコ」シリーズをはじめ映画「銀魂」やTVドラマ「今日から俺は!!」等、人気作品の脚本・監督を務めるなど幅広いジャンルで活躍中。

取材・文/加治屋真美
撮影/洞澤佐智子
編集/マイナビ学生の窓口 ミラホリ編集部

編集部:まっつ

がくまどの広告制作の人だったりミラホリ編集の人だったり。アイドルと舞台とインターネットとおいしいごはんがだいすき。ミラホリTwitter(@gm_mirahori)中の人はじめました。

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