【連載】『あの人の学生時代。』 ♯8:マンガ家 タナカカツキ「自分に魔法をかけよう!」 3ページ目
――大学時代に思ったこと・感じたことで現在にまで生きているものはありますか?
感じたこと……ではないかもしれませんが、大学に行ってよかったなぁ、と思うのは「情報がすごく手に入った」ということですね。何万円もする画集を独り占めできましたし、AVライブラリーで貴重な映像を見られたり、レコードが録音し放題だったりね。
――なるほど。
すごくありがたかったのは大学にFAXが導入されて、それが使い放題だったことです。京都にいながら東京の編集者とやりとりできる、というのはすごい強みになりました。タダで使えたんですよね。
当時はネットがありませんでしたから、遠方にいると作品は封書でやりとりするしかないんですけど、FAXがあるおかげで、ひょっとしたら東京に住んでいる若いマンガ家よりも僕の方が連絡を密に取れたかもしれません。原稿の直しも速くできますし。
――それは、先生の許可は得ていたのですか(笑)?
得ていましたよ(笑)。先生は使い方がわからなかったんですよね。最新の機器すぎて。僕は説明書読んで、使い方を覚えて。先生からは「自由に使っていい」と言われたんですよね。本当にラッキーでした。
――京都精華大学に入っていいことずくめですね。
そうですね(笑)。バンド活動をやって大きな音を出してもいいですし、空いていれば教室をいつ使ってもいいですし、なんなら泊まれるし。エアコンもあるし、電話もかけていいし。空間も設備も使いたい放題使えるっていう……。もちろん当時の話ですよ。今はちゃんと許可取らないと駄目だと思いますけれども。
――当時のタナカさんは現在のタナカさんを想像していましたか?
うーん、(当時は)悩んでいたと思いますね。マンガ家としてデビューはしたんだけれども、(上記のとおり)マンガには興味がなくなっていたわけです。もうマンガを読んでいなかったですから。でも「マンガなるもの」には興味は残っていたんです。
面白いものは好きだし、新しい表現は好きだし。自分にとってマンガはそういうものだったんですよ、子供のころから。「マンガなるもの」は面白くて、最新の表現だったんです。「その時代」の表現でしたし、それこそ実験もありましたし。今みたいな「マンガ市場」じゃなかったですからね。
描いている人たちが思いっきりふざけて、楽しんで描いたものを体験してきたので、「そういった、コマ割りではない『マンガなるもの』をつくる人になりたい、そういった仕事をしたい」と思っていましたからね。
――マンガではなく「マンガなるもの」の方が大事だったのですね。
だから「マンガ雑誌じゃないのかな?」とは思っていましたけどね。でもあんまり具体的には考えていなかったです。毎日が刺激的でしたからね。