映画監督になるにはどんなルートがある? あの名監督の経歴から知ろう 2ページ目
テレビ番組のディレクターを振り出しに、やがて演出を手掛けるようになり、そこで実績を積んで映画監督を任されるようになった、という人もいらっしゃいます。堤幸彦さんは、このパターンで有名な映画監督の一人です。
堤さんはディレクターとしてテレビ番組に携わることから出発。CMやプロモーションビデオの演出を担当し、1988年オムニバス映画『バカヤロー! 私、怒ってます』内の1作で(劇場映画の)初監督を務めます。『金田一少年の事件簿』で演出手腕が注目され、以降多くのテレビドラマ、映画の監督を任されるようになります。
他にも、テレビ番組の演出・監督出身の映画監督といえば、『相棒』シリーズの和泉聖治さん、『踊る大捜査線』シリーズの本広克行さん、『ガッチャマン』の佐藤東弥さん、『デトロイト・メタル・シティ』の李闘士男さんといった方々が有名ですね。
テレビドラマを映画化するときには、テレビ版を手掛けていた監督が引き続き務めることが多いので、映画監督デビューを考えるのであれば、テレビ局に入ってドラマの演出を手掛けるようになるのが一番の早道かもしれません。
■演劇の世界から映画監督に!
劇団の主宰から映画監督の仕事をするようになった、という人もいらっしゃいます。最も有名なのは三谷幸喜さんでしょう。
三谷さんは『東京サンシャインボーイズ』という劇団の旗揚げに参加。当時は役者もこなしていましたが、テレビ番組の構成作家の仕事を行うようになります。その後、テレビドラマ『振り返れば奴がいる』で脚本家として注目され、自作の映画化が進む中、1997年『ラヂオの時間』で初の映画監督を務めます。以降もコンスタントに映画監督をこなしていらっしゃいます。
鴻上尚史さんは劇団『第三舞台』の主宰でした。1981年に公演された『朝日のような夕日をつれて』はそのおもしろさ、斬新さで観客にインパクトを与え、小劇場ブームでの伝説となっています。脚本家・演出家として注目され、またラジオのパーソナリティーなどで才人ぶりを発揮。1989年には『ジュリエット・ゲーム』で初監督に。現在までに5作品で監督を務めていらっしゃいます。
三谷さん、鴻上さんの二人は、劇団活動の中、脚本家・演出家としての優れた手腕に注目され、映画監督を依頼されるようになった点が似ています。このような劇団から映画監督へ、という人はこれからも登場するのではないでしょうか。