【連載】『あの人の学生時代。』 ♯7:フィデリティ投信株式会社 野尻哲史「学生は自由闊達に」
著名人の方々に大学在学中のエピソードを伺うとともに、今の現役大学生に熱いエールを送ってもらおうという本連載。今回のゲストは『フィデリティ退職・投資教育研究所』所長を務める野尻哲史さん。『日本人の4割が老後準備資金0円 老後難民にならない「逆算の資産準備」』(講談社+α新書)、『貯蓄ゼロから始める安心投資で安定生活』(オレンジ世代新書)などの著者として活躍される野尻さんは「日本人の老後の生活設計」の研究における第一人者です。そんな野尻さんはどのような学生生活を過ごされたのでしょうか? 地元の岐阜県から一橋大学に進学した、当時の野尻さんの学生時代のお話を聞いてみました。
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親元を離れるために、東京・一橋大学へ
――野尻さんは岐阜県立加茂高等学校からなぜ一橋大学商学部を選んだのでしょうか?
正直に言いますと、大学はどこでもよかったんですよ。まず、おやじの元を出たいという気持ちがありましたね。父の名前は「鐵次(てつじ)」といいますが、どこに行っても「鐵次さんとこの息子さんね」って言われるんですよ。子どもの頃から「息子さんの~」ではなく、なんとか自分の名前で呼ばれるようになりたいと、本当に思っていました。
最初は、大学も岐阜に行こうか、名古屋に出ようか悩んでいたんですが最終的には東京に出てきちゃいました。父親は地元に進学するものと思っていたので、怒って生活費を出してくれませんでした(笑)。
――お父さんは東京に出ていくのが許せなかったのですか?
そうですね。「知らん」と言ってましたね。母は少し援助をしてくれましたが、あとはアルバイトで捻出しました。ですから学生時代は貧乏生活でした。一橋大学に受かったときも父は、国立だとか私立だとか、そういうことは一切気にしないで、「授業料はいくらだ?」と聞いてきたぐらいです。
――商学部を選んだ理由は何だったのですか?
一橋大学にしたのも最初に合格したからですし、理由はなかったですね。当時は特に経済に興味があったわけでもないですし。高校では理数科にいて、数学をやってましたので、本当ならそのような分野を選ぶべきなんですけれども。でも文系を選んでしまいましたね。当時は受かる大学を選びをしていて、最終的に一橋大学の商学部にご縁があったという訳です。
クラブ活動に熱中した学生時代
――商学部ではどんなことを学ばれましたか?
一番難しい質問ですね(笑)。ゼミは吉野昌甫(よしの まさとし)先生の「国際金融論」でした。学んだことはともかく、一緒に学んだ仲間はよかったですね。今でも付き合いがありますよ!
――友達も優秀な人が多かったのではありませんか?
たしかに頭のいいやつはたくさんいました。でも、単に頭がいいだけではなく、独創的な人が方が多くいたのがよかったです。毎回こんなこと考えているのか、と驚かされたりしていました。