【連載】『あの人の学生時代。』 ♯7:フィデリティ投信株式会社 野尻哲史「学生は自由闊達に」 2ページ目

学生の窓口編集部
2017/06/28
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目次
  1. 親元を離れるために、東京・一橋大学へ
  2. 野尻さんが過ごした4年間とは
  3. ギリギリの就活スタート
――学生生活はいかがでしたか?

正直あんまり学校に行かなかったですからね(笑)。アルバイトとクラブ活動がほとんどでした。アルバイトは本当にいろいろやりましたよ。一番実入りがいいのは家庭教師ですが、道路工事の旗振りとか、工場の荷出しとか……とにかくたくさんのアルバイトを経験していました。

――クラブ活動は何を?

1・2年のときは学祭(小平祭:現在のKODAIRA祭)の実行委員、委員長をやってました。3・4年はラフティングです。「ストローム(Strom)会」というのがありまして。現在はとても強くなっているんですが、その黎明(れいめい)期といいますか、まだ出来たての頃に入って活動していました。私がたしか四代目の世代に当たるはずです。偶然の産物でもあったのですが、仲間うちの人間が何人かいたのと、岐阜の川で育ったというのもあり、ラフティングの道に入りました。

――ラフティングの活動はどうでしたか?

ホームグラウンドは奥多摩なんですが、そこまで行って練習をしていました。当時はラフティングというものがメジャーではありませんでしたから、用具をそろえるのも一苦労。勝つとボートがもらえる大会もありました。ヘルメットがないものだから道路工事用のものをかぶったりしていました(笑)。今はそのストローム会もすっかり強くなっていて、今年も全日本で優勝した、とかで連絡がありました。国際大会にも出ているそうで、びっくりしちゃいますよ。

ただ、私たちの時代と一番違っているのは女の子が入っていること。当時は今みたいに施設が充実していないので、お風呂もないし、トイレもない。北海道の天塩(てしお)川にツアーに行って10日間もそんな環境で過ごす、なんてことをやってましたから、女性が入会することは想像もできませんでした。

結局ラフティングが楽しすぎて、4年生のときもぎりぎりまでクラブ活動をやっていました。大学4年生はアルバイト、クラブ活動、ゼミの生活でした。

――4年といえば卒論ですが、ちなみに卒論はどのようなものでしたか?

恥ずかしいからあまり言いたくないんですが(笑)、「マネタリーアプローチを使ったメキシコ経済の分析」というものでした。自分が卒論を提出した翌年にメキシコ債務危機(1982年)が起こって、「お前の卒論は全然当たんなかったな」なんて冷やかされたものです。でもこの論文を書くのにいろいろな文献を調べて、国が経済に与える影響というのは随分大きいものなんだな、と思いましたね。

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