【連載】『あの人の学生時代。』 ♯3:エステー株式会社 特命宣伝部長 鹿毛康司

学生の窓口編集部

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著名人の方々に大学在学中のエピソードを伺うとともに、今の現役大学生に熱いエールを送ってもらおうという本連載。今回のゲストは、エステー株式会社の宣伝部長・鹿毛康司さんです。鹿毛さんはクリエイティブ・ディレクターとして、エステーの人気製品である「消臭力」や「米唐番」などの個性的なCMを次々に生み出しています。そんな鹿毛さんの学生時代はどんなものだったのでしょうか?

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今振り返ると幼い頃の体験が大学合格につながっていた

―大学時代はどんな学生でしたか?

実は大学に入るまでも大変でして、高校時代は成績が450人中447番目でしたね。でも2浪してうまく早稲田大学商学部に入ることができましたよ。

―相当勉強されたのではないでしょうか?

浪人2年目は、1日15時間は勉強していましたね。入試は「国語」「英語」「社会」の3科目だったんですが、社会は記憶力ゲームだと考えて、教科書を20ページごとに分解して欄外の注釈まで覚えましたよ。意外と注釈が出題されたりしますから。例えば注釈に「漢委奴国王印を発見した農民の名前は甚兵衛」と書かれていて、それが問題に出たんですよ。今でも忘れられません。

―他の科目はどうされたんですか?

国語は「子供の頃にどれだけ文章に接してきたか」がということが重要になります。小さい頃、兄が私を寝かせるために毎晩読み聞かせをしてくれていたんです。その延長で家にある児童図書をずっと読んでいて……。小学生のころは児童向けではありましたが『レ・ミゼラブル』を読んだりもしました。感動しましたね。

―幼い頃に培った国語力で、国語はカバーできたと……。

そうです。レ・ミゼで得た国語力でなんとかなるだろうと思って、予備校で学ぶ以外は国語は一切勉強しませんでした。ジャン・ヴァルジャン戦法ですよ。ただ高校時代は遊んでばかりだったので、漢文や古文はさっぱりわかりません。なので漢文や古文が出題されない商学部を選んだんです。英語も国語で得た読解力などでなんとかカバーできると思っていて、両科目とも本当になんとかできました。兄に感謝ですよね。

モテたい気持ちで音楽活動に取り組んだ学生時代

―どんな学生生活を過ごされていましたか?

早稲田に入学して思ったのは「周りはシティボーイばっかりだ」ということ。彼らはそつなく女の子としゃべり、そつなくテニスをこなすなど、スマートでおしゃれなんですね。地方から出てきた自分にとっては衝撃でしたよ。そこで自分も同じよう「モテたい、恋をしたい」と考えた結果、「音楽だ!」と思ったんです。それで大学では音楽活動をしていました。

―どんなバンドだったのですか?

オリジナル曲をやるバンドでした。

―学生バンドだとコピーバンドが多いですが、オリジナルなのはめずらしいですね。

音楽でモテるには上手でないといけませんよね。でもコピーバンドは本家と比較されたりするので……。じゃあうまいのか下手なのが分かりずらいオリジナルをやろうと(笑)。

―では大学は音楽活動に明け暮れていたと……。

4年になって就職がどうかという時期にも「こうやって音楽で食っていけたらいいな……」なんて漠然と考えて音楽を続けていましたね。しかし、ここである大きな出来事がありまして……。

プロの精神から多くのことを学ぶ

―それはどんなことだったのですか?

「プロにアドバイスがもらえる」というアマチュアバンド向けのイベントに参加した際、私たちの部屋につのだ☆ひろさんが来てくれたんです。そのときは短い時間だったんですが、イベント終了後にまた来てくださって、そこで失礼にも「ちょっと(ドラムを)叩いてもらっていいですか?」なんてお願いしちゃったんです。

―実際に叩いてもらえたのですか?

そうなんですよ! しかも軽くではなく、しっかりと時間を掛けてドラムを調整してくれて一緒に演奏してくれたんです。さらに驚いたのが、私たちの曲を一度聞いただけなのに、タイミングも完璧だったんです。

―「さすがプロ」といったところですね。

演奏中にドラムが盛り上がるパートがあって、「つのださん!ここ盛り上がってください!」って言ったんですね。そしたらつのださんは「え?」と、思わずスティックを1本落とされたんですよ。それでも平然と「片手1本で倍速で叩いて対応」されて、合間にすっとスティックを拾って最後まで演奏したんですよ。それもすごかったですよね。

―突然のハプニングにも冷静に対応された、と。

プロのすごさをまざまざと見せ付けられましたね。そのときに「プロは入念な準備をして、初めてのことでも即座に対応でき、また何が起きても瞬時に修正できるんだ」と学びました。

―つのださんとの出会いは非常に多くのことを学んだのですね。

でもそのときは「俺たちは駄目だ……」と全員がめためたに打ちのめされましたよ。それがきっかけで解散しましたし。でもそこで「一流の人」に出会えたことで、プロとはどういうものか学べましたし、つのださんが私たちにしてくれたように、私も熱意を持った若い人に真摯に向き合ってあげたい、という考えを持つようになりましたね。

大学時代はとことん不条理を楽しもう!

―学生時代に得た経験や学びは、現在の仕事にどのように生かされていますか?

学生時代の音楽の経験も、今のCM作りに生かされています。年齢は違いますけど、曲を作る場合は20歳のときの私が出てきて作曲をしてくれるんです。このように「過去の経験」は何かに生きるのだと思っています。

―大学生のときにいろんなことを経験しておけば、それが後々生きてくると……。

そうですね。それと「とことん不条理を楽しめ」と大学生の皆さんに言いたいですね。

―不条理ですか?

例えば大学入試は若いみなさんが受ける最初の不条理だと思いますし、学生生活も勉強に恋愛に不条理ばかりです。つのださんとの経験も、4年間音楽に取り組んできた当時の私からすると不条理だと思ったことです。これだけ不条理だらけなんだから、いっそのこと楽しめばいいじゃないかと。

―学生生活だけでなく、社会に出ても不条理だらけですよね。

そうでしょう。不条理を楽しむことに慣れておけば、社会に出ても「不条理だ」と頭を下げることなく、何か楽しいことが起こるチャンスかもと思えるようになります。実際私の人生を振り返っても、不条理にぶち当たったときに面白いことが起きているわけですからね。大学生の間は「不条理を楽しむ練習」だと思って、不条理から逃げずにいろんなことに挑戦すればいいですよ。周りにいる人たちも、受験という不条理に打ち勝ってきた人ですから、一緒になって不条理にぶつかれば、きっと面白いことが起こるはずです。

一流の人に出会い、本気でぶつかっていくことが大事

―先ほど「私も熱意ある若い人に向き合いたい」と話されていましたが、実際に大学生にアドバイスをされたことはあるのですか?

ありますよ。茨城県の大学の子なんですけど、「エステーのCMが大好き」という手紙を書いてきたことがあり、その後私がツイッターで「公園で花見をします」とつぶやいたら、茨城からその子がやってきたんですよ。

―それだけ「鹿毛さんに会いたい」という強い気持ちがあったということですね。

やっぱり熱意ある人には、こちらもしっかりと話を聞き、向き合ってあげたいですからね。そこから話を聞いたり、その子の提案で大学で講演させてもらったりもしました。

―熱意はあるとはいえ、知らない大学生の子にそこまでしてあげられたのは、やはりつのださんとの経験があるからでしょうか。

そうですね。大学4年のときのつのださんとの経験が、今の私の人格を作っているといえます。ですので大学生の皆さんは、私にとってのつのださんのような人を探し、そして出会うといいと思います。やっぱり一流の人の影響力はすごいですから。

―一流の人にはなかなか会えないかもしれませんね。

そこは手紙を書くなり、積極的にアプローチすべきです。本気で好きならば、機会を自分で作れるぐらいでないと。それだけ本気であることを知れば、会ってくれるかもしれません。ただ、大学生の皆さんがそうした自分の熱意をメールや手紙で伝える際に気を付けてもらいたいのは、余計なことを書かないこと。例えば有名大学に通っていた場合は大学名を出したり、教授の名前を出したり……。

―他人のふんどしで相撲を取るようなことはするなと……。

有名大学の名前を出せば会ってくれるんじゃないかとか、そうしたのは見抜かれますし、相手に失礼です。本気で好きならば、自分の思いだけを真摯に伝えろ! ですね。

―ありがとうございました!

大学時代に一流の人に会ったことが、その後の人生や人格形成に大きな影響を与えたと話された鹿毛さん。現在も、CM作りなどで一流の人と一緒に過ごすことは大きな刺激になっているそうです。そんな鹿毛さんが、現役大学生のみなさんに一番伝えたいメッセージは、「一流の人に本気で会いに行け」。みなさんも、同じように自分に影響を与えてくれるような一流の人を見つけ、好きになって、できれば会うといいですね。たとえその出会いが不条理であったとしても、それを楽しむことが後に生きてくるかもしれませんよ。


(プロフィール)
鹿毛康司(かげこうじ)
エステー株式会社 執行役 エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター
57歳。福岡の田舎町で育ち2浪の末、奇跡的に早稲田大学商学部に合格。下手くそなアマチュアバンドをやりながら大学生活を過ごす。卒業後 なぜか大手の食品会社にはいり営業活動をするも非エリートとして扱われ、人生最大の決意でアメリカのMBAをとりにいく。最大の決意とは「ただひたすら勉学に励む」ということだった。42歳で転職し、何故か勝手にクリエイターになってエステーCMの父となる。震災後に日本を応援したと必要以上に感謝され2012年CMクリエイティブの最大の賞であるACC賞GOLDを受賞した。ミゲルありがとう。

(中田ボンベ@dcp)

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