伊藤博文は天皇をあきれさせる「辞表」を書いたって本当?―3回目の辞表が漢文 2ページ目

学生の窓口編集部
2015/04/12
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■あふれる知識を「辞表」に注ぐ?

政治家として手腕を発揮したのは1863年に海外視察に出てからで、いまの外務省的な仕事を担うようになる。攘夷!と暴れていた人物が外国人の玄関でもある兵庫県知事に就任し、その後は各国の要人と会うのだから、運命とは皮肉なものである。

やがて日本の初代総理大臣となり、大日本帝国憲法を発布し、いちやくときの人となる。憲法の原案を作ったのも伊藤で、当時の最高責任者である明治天皇が伊藤家を訪問するほどの信頼を得ていたのだ。

それからの人生も、やはり順調と呼べるものではなかった。幕府から議会へ、藩から県に変わったとはいえ、それがすぐに浸透するはずもなく、意見が対立=総辞職!が繰り返されていた。伊藤は4回も首相を務めるが、戦争や不平等条約の改正など問題山積み状態は続き、辞める!と言い出すたびに明治天皇に慰留されていた。

1898年・3回目の総理大臣を辞任する際、伊藤はとんでもない「辞表」で明治天皇を苦笑いさせた。なんと「漢文」で書かれた辞表を提出したのだ。

いま風に意訳すると「これ以上この仕事を続けると、あなたの評判を落とすことになるので、総理を辞め爵位(しゃくい)もお返しします」といったところだ。これをみた天皇は「伊藤の辞表を読むには、まず漢文の勉強をしないといけないのか…」と苦笑したとされている。

伊藤は漢詩を愛したことでも有名で、知識の「ひけらかし」も少なくなかった。ただし、決してエリートとは呼べない生い立ちから身を削るような努力で培った知識を「辞表」に使ったのは、全霊を込めたメッセージとも表現できるだろう。

■まとめ

・旧千円札で知られる伊藤博文は、日本の初代総理大臣

・若い頃は血気盛んな長州藩士。英国公使館に放火したこともある

・3回目の総理を辞任するさいに、漢文で書いた辞表を提出した

(関口 寿/ガリレオワークス)

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